日本の庶民信仰の中で
「ウソをついたら、地獄で閻魔様に舌を抜かれるぞ」
という具体的なイメージって、かなり大きなものがある。
幼いころに、大人たちから言われたことが記憶にかなり残っている。
そういったイメージって、さて、どこから来て頭のなかに点着するのか?
どうもよくわからない部分がある。
「えんま」という言葉自体、かなり恐ろしげな言葉の響きはある。
しかし、それは大人たちの口調の中にある旋律感から来るものなのか、
実際にその影像を目に描きながらイメージをつくって来たのでは
ないのではないかと思われます。
そんな思いをずっと抱いていて、
こういう庶民信仰の対象を眺めるのが面白く感じる。
幼いころのおどろおどろしいイメージはすっかり薄れて
まぁ、こっちがこどもたちにそのイメージを伝える役割になってきて
むしろそういう楽しみに替わってきたと言うことか。
写真は、江戸深川法乗院というお寺の閻魔堂の閻魔様。
北海道では、どういうえんまがいるのか、
わたしの記憶では登別には、さすがに「地獄谷」らしく
一匹、閻魔がおりまして、
毎夜、一定時間には電気がスイッチオンして
立ち上がり、目が点滅して踊るような仕草を見せてくれております(笑)。
まぁ、そこそこ迫力はあるのですが、
どうもこどもたちもすっかり楽しげで、笑いながら見ている。
これでは、閻魔らしくない。
っていうような閻魔イメージを抱いておりまして、
もっと迫力満点の、いかにも地獄の底での裁断者としての絶対的恐怖感を
ぜひ心の底から震え上がるような造形を常に期待しているのです(笑)。
ところが、この深川の閻魔様もどうも、なんともやさしげで、
イマイチ迫力がございません。
まぁ、江戸期までの庶民の映像体験からすれば、
こういう造形でも、そこそこの恐怖感にはなったのかなぁ。
どうも、わたしのなかには、雷オヤジというか
父権の象徴のような存在として、
閻魔様をイメージしている部分があって、
そういう力強さは、今の時代、オヤジ権力の衰退いちじるしい中、
期待はできないのかも知れませんね。
むしろ、恐ろしげな母親のほうが、子どもたちにはイメージが湧くのかも知れない
などと、妄想は違う方に展開してくるようです(笑)。
これからも、機会があれば、全国の閻魔様、
体感させていただきたいと思っております(笑)。
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