連休も終わっての週末ですが、
札幌でも市中の桜が一斉に満開になっております。
東北の各地の桜、ことしはどうだったんだろうかと思いますが、
以前テレビで、福島県のしだれ桜の様子が放送されていましたね。
ことしの桜は格別のものがあっただろうと推察します。
よく日本以外の国の人には
どうして桜を花見としてまで愛でる文化が存在しないのか、
という文化比較を聞きますが、
どうも明確な考え方がないように思います。
というよりも、日本でどうしてここまで文化的に根付いたのか、
そっちの分析が必要なのでしょうね。
で、わたし、いつも思っているのですが、
日本の景観の中の「民家」のたたずまいとの対比的な側面についてです。
日本の民家は、おおむね木造で建てられ、
しかも屋根はその多くが茅葺きであった。
そうした自然素材そのままで推移した場合、
民家の景観としては、ほぼ日射による炭化が進んで、黒っぽくなっていく。
そういう都市景観、民家集住景観のなかで、
モノクロームが基調になっていく。
この背景の中にあって、一斉に咲き誇る桜の群舞のごとき景観の鮮やかさは、
ひときわひとびとの心情に対しての訴求力が強かったのではないか。
秋田の角館の桜を思うとき、
そういった情景がアタマをよぎるのですね。
こういうイベントのごとき、一斉性というのも
なにやら日本人の心性を明確に表しているとも言えますね。
ともあれ、桜の下で、カミさんと寒さに震えながら、
海苔巻きなどをパク付きながら、とりあえず、お花見しておりました。