わたしは北海道の人間なので、
なかなか理解できない部分があるのですが、
関東以南地域の人には、抜けがたく寒冷地住宅の室内環境への不信感があります。
最近も、そういう方とお話ししていて、
ギャップの大きさにややとまどった次第。
ただそのなかに、大きく尊重しなければならないポイントも聞けました。
それは、わたしも不思議だったのですが、
アイヌのひとたちの住居が、それまでの
「竪穴」住居から「平地住居」に変わった経緯についてです。
江戸期の北方探検家・間宮林蔵の「北蝦夷図説」で触れられている
北方民族の住まいについての記述などですね。
かれらはおおむね、夏の家と冬の家を住み替えて生活していた。
冬の家は「穴居」と書かれた竪穴住居なのだけれど、
これは冬の極寒期だけの住まいであったというのです。
春になって雪解け時期になると、
もっと通風重視の、換気重視型の住まいに住み替えるのだそうです。
冬には断熱重視の住まいを選択するけれど、
そのまま夏期をそこで過ごすと、
疾病を招く、というように記載されている。
たぶん、かまどなどでの煮炊きによる室内気候の暑さや
雪解けなどの時期には室内の湿度が上がって、住みづらくなるのでしょう。
アイヌの住まいが竪穴から平地住宅に変わったのには、
そういった経緯もからんでいたと言うことなのだろうか、という点です。
逆に言うと、このような潜在意識が日本民族には
原体験的に刷り込まれているのだろうか?
アイヌの人たちというのは、推定で言えば日本の基底的文化である
縄文人をピュアに伝えている民族ではないかと思われる。
日本というのは、この狩猟採集の縄文文化の上に
弥生のコメ生産に特化したシステムが乗っかって形成された文化。
で、このような民族的住体験記憶が、無意識のうちに
日本人に強く存在しているのではないか。
どうも、そのような発想に
ここのところ、大きく心がとらわれております。
もう少し、焦点を定めて、考えを進めてみたいと思っております。
<写真は、岩手県の古民家>