三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

ドングリ

2012年12月03日 05時22分19秒 | Weblog



ドングリは、ことしは大豊作なんだそうです。
ということなので、ヒグマは一部地域を除いてあんまり人里には出てこなかった。
わたしたちは、今日、食用としては利用しませんが、
歴史的には、このドングリはDNAに刷り込まれるほど食べてきた。
Wikipediaを見てみると

~縄文時代においては渋抜きをして食用にしていたと考えられている。
その後も飢饉や太平洋戦争直後の食糧難時代によく利用されたのみならず、
米の栽培困難な東北山村などいくつかの地域では、
大正期あたりまで主食格の食品として重要であった。
ドングリの渋抜きの方法としては、流水に数日さらす方法と、煮沸による方法がある。
特に煮沸の場合、木灰汁を用いることがある。
日本においては、前者は主に西日本から広がる照葉樹林帯の地域で、
後者は東北地方や信州に広がる落葉広葉樹林帯で認められる。
また、渋みの少ない種の場合は、から煎りでもあく抜きになる。
北海道のアイヌ民族はドングリを「ニセウ」と呼んでいた。
秋にトゥンニ(ミズナラ)やコムニ(カシワ)の実を拾い集め、
何度もゆでこぼしてアクを抜いたものを
シト(団子)やラタシケプ(煮物)に加工して食べた。
北上山地の山村では、ナラ(ミズナラ)の実を粉砕して皮を除き、
湯、木灰汁などを用いて渋抜きした「シタミ粉」と呼ばれるものが作られていた。
シタミ粉は通常湯で戻し、粥状にして食べた。
長野県木曽地方等では、地域興しの一環としてドングリコーヒーを提供しているほか、
パンやクッキー等の材料としても用いられている。
熊本では、カシ類(イチイガシ)の実から採取したデンプンで作る、
「イチゴンニャク」や「カシノキドーフ」、あるいはシイの実を用いた
「シイゴンニャク」といった葛餅状の食品が知られている。
韓国では、ドングリ(韓国語で「トトリ(도토리)」)から採取したデンプンを、
「ムク(묵)」と呼ばれる葛餅ないしういろう状の食べ物にする。
元々は食料が不足していた時代や、飢饉の年に食べられた救荒食料だが、
一部の地方で受け継がれ、最近では健康食品として見直されたことにより、
大量生産されて市場に流通している。大衆食堂で副食として出されることが多いが、
最近ではクッパのように飯と一緒にスープに入れた
「トトリムク・パプ」が一品料理にもなっている。
また、以前は、皮を剥いてから、水さらしと加熱によって渋抜きをした
ドングリの実を用い、米と炊いたドングリ飯、また粉を用いたドングリ餅、
ドングリ粥、ドングリうどん、ドングリ水団なども作られていたようである。
縄文時代の遺跡からドングリが出土することがあり、
稲作以前にも日本に農耕文化があったことが示唆されている。~

あぁ、本日のブログはおおむね転記で終了かなぁ(笑)。
とくにブナの森が旺盛な日本列島では、
歴史的にひとびとが食べ続けて命を繋いできたのは間違いがない。
そうであるのに、今日、ほとんど食べられることがないのは、
ややもったいないように思われる。
もちろん、人間は栽培植物を食べて、こうした野生の食品は
列島に生息する野生動物たちが食べ続けていくのが自然な流れなんだろうけれど、
どうも最近の政治・経済の動向を見ていると、
弱肉強食型の金融資本主義、主にアメリカ資本家階級のやりたい放題が
極まっていって、いったんは経済が破綻するのではないかと思われてならない。
そんな時代が来ないとも限らない危機感がある。
どうもTPPというのには、そういう危うさがあるように思う。
そうしたときに、この国にいま豊富に存在する「食べられるもの」を
サバイバル的に考えておくことは必要なのではないかと思うのです。
コメント
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