東大での講義で、紹介した司馬遼太郎の文章からの要旨。
わたしは現在の住宅雑誌を始める前は、ごく一般的な読書傾向にあり、
間違っても、そんなに建築の世界にのめり込むことなど
想像すらしていなかったのですが、
なりゆき的に住宅のことに深く関わるようになってきて、
ふと改めて、司馬遼太郎さんの文章の中から
自分の事業分野についての著述を探してみたのです。
そうしたら、多作な司馬さんらしく、あったのですね(笑)。
司馬さんの旅行記・風土記とでもいえる
「街道を行く」シリーズで、北海道も取り上げていて、
やはり寒冷地住宅について書き綴っている文章があるのです。
そのなかで、一番端的に語っているのが、この一節。
日本建築文化の寒冷への非対応ぶりについて触れて
「驚嘆すべき文化と言っていい」というすさまじさであります(笑)。
函館・湯ノ川温泉の和風旅館に泊まって、
数寄屋作りの贅をこらしたその建物で、夜寝る前にストーブに
薪をくべてくださいね、という宿の主人の忠告をうっかり忘れたら、
驚嘆すべき寒さの朝を迎えて、その想像を超えた寒さに閉口した経験を語っています。
まぁわたしのような昭和30年代に子ども時代を過ごした世代では
わりと共通した体験を持っていますが、
わたしたちは北海道にいる人間の立場であり、
司馬さんは、その北海道に対して文化を与える中央の側の視点をもっていた。
そういう文節の中での「気付き」だったと思いました。
こういう視点の違いって、
北海道に住んでいる人間からすると、
いろいろなことを学習させてくれるものだと思いますし、
「生きることのリアリティ」を垣間見せてくれる文筆家・作家の
フィルターを通した日本文化の実相診断として
まことにわかりやすく伝えてくれる。
で、こういうわかりやすい視点というのを
中央の側は、認めることについて率直さにかけていたと思うのです。
そうではなく、温暖気候の中での文化習俗を
中央から地方の垂れ流すことをもっぱらとしてきた。
わかりやすくいえば、日本の権威ある建築の賞を受賞した建築家が
寒冷地気候に対してまったくの無知であることを恥とも感じずに
「中央はこういう文化なのだ」と押しつけ、
作られた建物には巨大な氷柱ができて、
冬期間、人間が使用することが危険でできない、というような極端な現実も生んでいる。
また一方で、地方の側も自己主張できずに
「長いものには巻かれろ」的に中央に迎合し続けてきたのが
日本という国家社会だったのだということを明瞭に示している。
で、そういうことが是正されているのならいいのですが、
まだまだ、延々とこういう背景文化社会は続いていると思うのです。
どうするべきなのか、悩ましい現実だと思います。