きのうの続きなんですが、
グローバリズムへの批判はわたしも理解し、おおむね同意もするのですが、
企業活動においては、「理の当然として」グローバリズムになるモノなのかどうか、
については、よくわからないと思っています。
そしてグローバリズムというものが本当に存在するのかどうかも
やはり簡単には同意できないのではないかとも思っています。
確かに「もっとも効率よく経営する」ことを突き詰めていけば、
「もっとも安く生産できる」ということを追求するだろうことは自明です。
なんですが、だからといって
企業は、簡単にその生まれ出た「地域性」から自由になるとも思えないのです。
確かに「金融」企業は、そういった側面が強くあって、
かれらには国境意識はほぼ存在せず、
だから金融工学的に資金を扱って、貪欲に利益を追求もする。
そういった企業には、まさにグローバリズムを見る思いがする。
けれど、普通の製造業やサービス業の経営者の考え方には
基本的な部分では、そうしたものもひとつの与条件であり、
やはり総合的に判断しながら、経営を行っていると感じられるのです。
そういう経営感覚の持ち主として、
中国からの留学生として北海道大学に学び、
日本の東証に上場した企業を作った宋文洲さんがいます。
で、かれは現在ではふたたび北京に戻って
ひとりのフリーターとして、日中の架け橋のような存在になっていますね。
わたしはかれの企業活動のすばらしさに敬意を持ち、
そのメールマガジンの読者なのですが、
最近のかれのメールマガジンで「グローバルは「主流になる」ことではない」と
題したエッセイがありました。
そこでは企業活動とグローバル化の関係を述べていて
「基本的に、グローバルは日本の事業をよりよくするための補助手段です。」
というスタンスを明確にされています。
http://www.softbrain.co.jp/mailmaga/back223.html
どうもわたしには、この意見が、経営者としての実感をより明瞭に
示しているように思えてなりません。
神戸女学院大学教授である内田樹さんは
学者であって、経営者であったことはないようなので、
その世界観において、実践的な立場がやや弱いように感じられるわけです。
別に経営者の方が学者より偉いということではなく、
こういった経営者の実感というものも考え重ねて欲しいなと思う次第なのです。
しかしこうした論議の高まりは
たいへん素晴らしいことだと思っています。
既成の政治勢力からは、このような世界観に基づく論戦が行われていません。
とくに教条ドグマに陥ってしまっている勢力には
もっと現代世界の深層を解明する哲学を再構築して下さい、と
強く思う次第であります。