三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

奇観をさらす朝日新聞

2014年09月06日 07時35分30秒 | Weblog


写真は札幌市中央区宮の森の大通りにある廃屋。
以前は事務所もしくは倉庫的な使われ方をしていただろうと思うのですが
いまは開口部にはベニヤが張られ、
次の立地活用が決まるまで「塩漬け」という雰囲気がぴったりな風情。
しかしそれも、わたしが気付きはじめてからでも10年は経っているので
かなりの長期間、このような光景が維持されている。
「どうにかすればいいのに」という心情を見ている人間に感じさせる。

前フリが結論的かなぁ。
で、朝日新聞であります。こちらは32年間ですね。
先日も書いたように、わたしは朝日新聞には
立ち直っていただきたいと思っているのですが、
どうもそのように問題解決されない状況が、継続しています。
各週刊誌、産経、読売、さらには毎日新聞も従軍慰安婦報道について
朝日の姿勢をきわめて批判的に伝えるようになっていますが、
当の朝日では、ジャーナリストの池上さんの批判的なコラムの
掲載拒否、また一転しての掲載と
内容には触れないかたちでの「お詫び」告知などの動きがあったきり。
いまや、天下の奇観と言ってもいいような「分からず屋」ぶりをさらす状況に、
朝日は追い込まれていると思います。
至極まっとうでごく普通の、自ら掲載した池上さんの意見に従うしかない。
報道機関なのだから、その原則に則って、
改めるべきは改めて、それによって生じた諸問題には
真摯に対応するしか、道はないことは明白です。
であるのに、漏れ伝わってくる情報では社内限定のブログで
いまの社長さんは、「反朝日の勢力とは断固戦う」というような
金切り声を発しているのだそうですね。
どうも真実を報道する機関としての冷静さを失っているとしか思えない。
よほど追い詰められていると強迫的に思っているようです。
まぁたしかに追い詰められてはいるでしょうが
だからといって、集団的自滅の道をまっしぐらに走る必要はない。
もうちょっと賢明な対応を期待したいです。

しかしこのままの状況が続くと
いわゆる「新聞」というアナログメディア全般の死期が来ないとも限らないと
そんなふうな危惧を現実的に感じるようになってきました。
これまで「信頼」というアナログメディアが培ってきた
存立の大きな基盤が音を立てて崩れていく可能性が高い。
一方で、先日も、Facebookを介してある方と面談したのですが、
その方に聞いたら、「友だち」の顔ぶれを見て
これは知り合っていた方が良い、と判断したというのです。
SNS的なメディアは、このような使われ方が現実的になってきて、
社会的信頼感というものが、ある意味、
インターネットでも確かなかたちで醸成できるようになって来た。
既存のメディアはこういう時代、より謙虚な姿勢を堅持しなければならない。
そのように考えてみて、
今回の朝日の件は、歴史的な転換点になったと言われかねません。
勇気を持って32年前の記事を訂正したのですから
さらにもう一歩の勇気を期待したいと思います。


コメント
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