三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

ミニマリズムと現代的快適性

2016年02月13日 10時31分53秒 | Weblog
現代の住宅デザインでは、ミニマリズムの傾向が強まっている。
ミニマリズムってなんだろうと調べてみると
完成度を追求するために装飾的趣向を凝らすのではなく,
それらを必要最小限まで省略する表現スタイル。
1960年代に音楽・美術の分野で生まれ,ファッションにも導入された。
というように記述表現されている。

現代住宅では、さまざまな「快適性」が実現されてきた。
電気が通って、まずは照明が家庭生活にもたらされた。
そして、水道が通って下水道も完備することが普遍化した。
その結果、数多くの生活利便性が一挙に家庭生活に導入された。
大きく透明な内外遮断装置であるガラス入りの窓は、
それが社会に導入されたときの興奮と価値感をいつしか忘却して
短時間に、もう後戻りは出来ない快適性として
「現代社会常識」を形成してきている。
多くの家電品などが、欲望喚起手法に乗って家庭に入り込んでもきた。
それらは、途中からは「人々が本当に欲しいのかどうか」よりも
欲望喚起の流れの方が「普通」とされて、
やがて一種の現代的豊かさのかたちそのものとして受け入れられていった。
そうなってくると、人間の「価値感」というものも
きわめておぼろげなものであることがわかってきて、
その結果、家庭の中はそういった「便利さ」が
人間を包囲するかのような状況に立ち至っていた。

そういった総体としての社会の流れに対して、
もう一回、「ほんとうに人間にとって必要不可欠であるもの」に目覚めようとする
そうした意味で、シンプルライフであるとか、ミニマリズムは正しい。
で、そういった人間性回復の流れは、
その精神性の部分で、どうも利休さんの茶道や茶室に通底すると感じられる。
極小のスペースに向かって、限界的に空間性を絞った流れは
日本にしか、その文化性は存在しなかったのかも知れない。
ただ、今起こりつつあるミニマリズムは、やはり宇宙ステーション的な
茶室空間であることは疑いがない。
人間は一度手にした「快適性」は本質としては絶対に手放しはしない。
利休さんや茶室の作り手たちが茶室で目指したものは、
コトバとしての「草庵」そのものではなく、
一見そのように見える中に、あらゆる快適要素を磨き上げたのだろうと思う。

五十嵐淳さんの還元手法的マンションリフォームで
剥き出しにされた換気ダクトが白く彩色されて
モノトーンに還元されても、機能性としては有用に利用されている様子を見て
こんな雑感に浸っておりました。








コメント
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