さてきのうは一昨日の秋田訪問から、青森県津軽地方に。
最初の訪問先は黒石だったのですが、
その要件が早く片付き、次の予定までやや時間があったので、
車中から気になった道沿いの古寺・妙経寺へしばし参拝。
というのはなんと、校倉とおぼしき高床形式のみごとな社殿を発見したのです。
こういうふとした発見にはどうも弱い(笑)。
正倉院が校倉では有名ですが、ほかでもたくさんあるのかどうかは不勉強で
よくわからないけれど、わたしはそれほど見た経験はない。
もちろん時間がないので、ぐるっと回って外側から見ただけなのですが、
どうもこの校倉の外壁の特徴的陰影感は際だっている。
木造ログの美が、周辺の空気感を圧倒的に制圧している。
床下がみごとに人が歩けるほどの高さを持っているので、
その上に乗っかっている壁面の陰影感の美はハンパない。
WEBでちょっとググったら、寺については以下のような記述に出会った。
寺伝によると弘治2年1556年の開山とのこと。
この時代、室町幕府将軍は足利義輝。
相模国妙法華寺12世日弘の弟子である江東院日然が開山となり、
浅瀬石城主千徳氏の祈願所として浅瀬石中屋敷に大王山法輪寺を創立。
慶長2年に津軽為信に攻められて浅瀬石城が落城した際に焼失。
同年五輪台(牡丹平)に再建。承応元年に弘前本行寺6世日住は
3代藩主津軽信義に願い出、現在地を拝領し本圀山妙寺を建立。
正徳2年、延享元年の2度にわたり焼失。明和3年には大地震にて倒壊。
現在の本堂は昭和2年の建立。というような経緯のお寺さんのようです。
この校倉についての記述は見当たりません。
時間があればちょっと調べたくなったのですが、
いかんせん出張の旅の空で時間がなく、確認はできていません。さらに、
境内には昭和63年に県天然記念物指定されたカヤの巨木があります。
カヤの木は樹齢約700年、樹高19.5m、幹周6.55mで、
妙経寺創建以前から生育していたものと考えられているとのこと。
この地方では古くから天台密教が栄えており、各地を巡回した修験者が
苗木を植えたと考えられているそうです。
このカヤの木というヤツは、宮城県が自然分布地域の北限とするそうで
もちろん北海道人にしてみると見たこともない木。
一見するとヤナギのような葉の様子ですが、見事な姿であります。
なんとも面白い古寺が忽然として顔を見せるのは、
いかにも不思議の国・津軽を感じさせてくれます。ふ〜む。