三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【アイヌチセの住宅「デザイン」要素】

2019年05月24日 07時56分58秒 | Weblog


最近はどこのビルダーさんも「性能とデザイン」フレーズを使っていますね。
まぁ私のブログも2005年からなので、もう14年間もその看板。
ということで、住宅デザインということを深掘りするようになっています。
デザインっていうコトバは限定性よりも拡張性がある。
Wikipediaによると、
デザイン(英語: design)とは、審美性を根源にもつ計画的行為の
全般を指すものである。意匠。設計。創意工夫。
またオブジェクト、システム、 図画、設計図、回路、パターンなど)を
構築するための計画、または作成する行為など、
「デザイン」はさまざまな分野で異なった意味として用いられている。
〜って言う表記になっている。
ほぼ一般語扱いと言えるのでしょうね。
「審美性を根源にもつ計画的行為」という語彙でいえば、
住宅を作って行くことはデザイン行為そのものと言える。
そう考えると、温故知新、昔のそうした営為についてヒントを求める。

写真は先日訪れた「最上徳内記念館」隣接の「アイヌチセ」。
まぁアイヌの人たちの「家」なのですが、
北海道に縁のあった最上徳内さんらしく、北海道厚岸から
このチセを作りに来られてできた、という説明でした。
アイヌチセをこういう場所で見学するというのも、不思議体験。
わたし自身は北海道でほぼ年に一度くらいのペースでは
見学する機会がある。
で、デザイン的な志向から見てみた次第。
というか、アイヌのみなさんの「審美性を根源にもつ計画的行為」
という見方からして見たら、この「間取り」の考えに
すべてが思想として表現されているとわかる。
正面奥にはもっとも神聖な空間が「神座」として装置され、
その左手隅角付近は「家の守り神」が配置されて、
左手の壁面には「家宝」が端座するようになっている。
寒冷地住宅として、囲炉裏は家の中心にあって手前側に
日常生活の空間が広がっている。
アイヌの人たちのデザイン感覚の骨格が表現されているのでしょう。
よく考えてみれば、明治期以前の日本の住宅も
こういった「ハレとケ」に大きく分かれていたことは共通する。
敬虔な祈りを中心的に考えることがデザインの基本だった。
人間としての生き方・価値感に於いて共通だったように思う。

今日の住宅づくりではこの基本的な共通項が意識から後退している。
「なにがいちばん大切ですか」という問いかけから
家づくりがスタートするように思われる。
それくらい、個人の考えの方を優先する社会になったといえばそうだけれど、
そうなると「そんなことあんまり考えたことない(笑)」っていう
新たな困難なテーマが浮上してくる(ように思う)。
さてどっちが、美しく仕上がっていくのか、はよくわからない。
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