三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

過去への想像力

2009年05月11日 05時47分10秒 | Weblog




よく考えてみるんですが、
わたしたちは現在と向き合いながら、生きている。
段々年齢を重ねてくると、このひとつながりの「現在」がいろいろに存在してくる。
って、変な書き方ですが、
複合的な要因からものごとって進行していって、
思わぬことが起因で、まったく別のことが変化したりもする。
歴史とか、勉強の世界ではまっすぐに
「信長による天下統一事業」みたいに
特定の人間の生きた視角からとらえ返したりして
整合性を与えようとしたりする。
でも、現実的には、個人も内面も大いに変化し続けているもの。
跡づけて考えれば、信長という人物はこうであったのではないか、
というような「まとめ」は不可能ではないだろうけれど、
どうも実態とはかけ離れざるを得ないのではないか。
どうしても、個人の考え方などに依拠した方が
まとめやすい、という方向に行きたくなりがち。
ある個人が、大きな役割を果たす、ということはあっても、
直近の時代で考えても、ものごとは個人の思惑で決定されたりはしない。

まぁ、基本的には経済的な変化が時代を動かしていく最大のテーマ。
写真は北海道の江戸期から明治にかけて
大きくにぎわった収奪型産業・大型漁業の様子を描いたもの。
こういう産業って、驚くほどに
残っているものが少ない。
かろうじて風化に耐えて建築が少し残るけれど、
たとえば、「松前の春は、江戸にもない」と謳われたような繁栄の様子、
というのは、具体的なものとしては残ってこない。
よく、こういう収奪産業で蓄積された資本・富は
北海道に残ることなく、
ちょうど、開港して世界との貿易基地として栄えた横浜などに
移転していったのだ、というようなことが言われる。
そういう意味では、現代の金融ビジネスの存在に近いようなものだったのかも知れない。
農業などは、なにかの文化を随伴させていく。
生産のいろいろな局面で、そういう形態が残っていきやすいのでしょうね。

北海道の歴史って、
わたしも小学校以来、習ってきても、
スタートが明治維新以降にしか、スポットが当てられない。
しかし、歴史の事実としてはさまざまな収奪型ビジネスは展開されていた。
そういう歴史を掘り起こして、
まっとうな人間の営みの時間的把握をしなければならないと考えると、
やはり想像力が、絶対に必要になってきますね。
オホーツク海沿岸部の歴史時間とか、
発掘できてきた事実で、想像力が高まってきております(笑)。
なんか、まとまりのないブログになってしまった(笑)、
お許しくださいね。



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建築家イベント最新情報

2009年05月10日 07時15分04秒 | Weblog



きのうは今年初めから続けている
「建築家イベント」の2クール目の最終回。
都合12回開催し、そのほかにも「バス見学会」を行っているので
13回目というイベントです。
やはり継続は力。
いろいろなみなさんの住宅計画が具体的に進行しており、
もうすぐ、建築が始まるような物件も出てくるものと思われます。

まぁ、当初予想したとおり、
毎回の動員は大変ではあるのですが、
それでも続けてくることで、恒例化してきて、
予約はしていなかったけれど、来ました、っていう方も出てくる。
逆に土壇場で家族が病気しちゃって、時間遅れて
ひとりだけで参加するとか、
多種多様な模様が見えてきますね。
多くのみなさんの暮らしの現実に向き合うので、こういうのは当たり前。
受け止めて参加を募る方は、精一杯WELCOMEの気持ちを
持ち続けていくというのが、大切なポイントなのでしょう。

それにしても毎回、アットホームな雰囲気で
きのうはじめてこられた30代の方、
多くのハウスメーカーなども見学してきたという方ですが、
「家を売る、みたいな感じではない。それより、どんな家を建てようか、ってこっちも思える」
という率直な印象を笑顔で語っていただけました。
そんなやりとりの中から、
偶然、お客様同士知人だったり、
わたしと高校が同じだったりと、
くだけた雰囲気になっていく出会いがたくさんありました。

そうなんですよね、家づくり、
だまされないぞ、少しでも有利に交渉してやる、みたいな
ものの売り買いとは違うのです。
どうしても住宅企業では「営業マン」経由になるので、
そういう戦闘的な雰囲気になってしまいがちですが、
一方、建築家の基本的なスタンスは「家の仕立て」とでも言える部分。
自然にわが社で行っている建築家イベントでは、
そんなアットホームな雰囲気って言うのが
ひとつのスタイルになってきたかも知れません。

さて、次回5月23日には、初めての「女性建築家DAY」を企画。
来月6月からは、土日連続開催での「テーマ企画」での開催。
13・14日のテーマは、「燃費&外観」です。
さらに「建築家住宅バス見学会・懇親会」を6月20日(土)に開催。
こちらはいまのところ、6件の建築家住宅を見学に行きます。
街中のパナソニック電工さんショールームをお借りして
駐車場も無料開放していただき、
移動はらくらくのバス移動で、終了後は建築家との懇親会を開催します。
パナソニック電工さんからの協賛がいただけたので、
今回は参加料は無料、ということにできました。

進化してきた「建築家イベント・北のくらしデザインセンター」
ぜひ、多くのみなさんのご参加をお待ちしております。



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遺跡の復元住居

2009年05月09日 05時52分32秒 | Weblog



5月2日に行ってきた「ところ遺跡の森」です。
この遺跡は、旧石器時代から、アイヌ期までの8000年以前くらいからの
遺跡が積層している、遺跡の宝庫です。
ここまでの人間活動が発掘され、発見されてきていることは
北海道全体にとって、たいへん貴重な「資産」だと思います。
それが、東京大学の継続的な調査研究の成果でもある、
っていうことなのですから、
歴史的な信憑性とか、真実性はきわめて高く信頼に足るもの。
なにより、日本最高の学府が一地方遺跡のために
ここまで資源をつぎ込んでくれたことを活かさない手はない。
調査自体は、東大の資金で国費でまかなわれてきたのですから、
地方自治体は、まぁ、一定の負担はあったかも知れないけれど、
それを遙かに上回る資産価値をいただいている。

確認されている竪穴住居痕跡だけでも3000近いというのですから、
これはもう、縄文などの時代の大都会、大集落地域といっていい。
しかも民族構成も、多様な民族の痕跡がある。
わたしが高い興味を持っているオホーツク文化人の竪穴住居など、
隔絶するようなレベルの高い文化性を持っている。
ところが、
こういう文化資産を活かすべき現代の貧困さは目を覆うばかり。
まずは、こういう遺跡の存在を地元の人間がほとんど知らない。
友人にオホーツク海沿岸の地方出身者がいるのですが、
「そんなの、あるのか?」
っていう次第。まったく初耳の顔をしている。
そして遺跡の重要な事業になるべき、竪穴住居の復元作業。
これがまったく予算が付かないので、
地元のボランティアによる、勤労奉仕だけで行われている。
っておい、というところなんですが、
作業に当たっていた方に聞いてみると、
時代的、建築的考証は、最初の時に専門家によって指導されて、
その後は、ボランティアにもっぱらゆだねられてきたそうです。
まぁ、確かにきっちりとすべてを綿密には調査できないと思いますが、
ちょっと悲しい現実だと思いました。
石器時代など、どのように「穴を掘った」ものか、
そういう考証から始まって、
本来は歴史や建築の専門家が、いろいろ調査研究しなければならない。
とくに道具の問題って大きいと思うのです。
以前、日高管内の二風谷でアイヌ民族の住居を取材したときには、
たとえば丸木船をどうやってくりぬいたか、
実際に当時の材料を使ってやってみた、というお話しもあったのです。
それには地元で獲れる川床の石が、きわめて材料として適している。
それを掘削道具として使ってみたら、驚くほど性能が良かった、
っていうようなことだったのですね。
そこから、なぜ二風谷がアイヌの集落に適していたかの推論も生まれる。
文化というのは、生活の総体的な把握をしなければならないのですから、
ぜひそのように探求したいものです。
まぁ、アイヌ民族の場合には、そこにダムを造成するために
その国策のために土地を収用するために
国費を文化保護に使えたという側面が大きいとは思いますが・・・。

しかし、そのようなしっかりとした調査は、
あとになって、資源活用を考えるときに、たいへん大きな拠り所になる。
オホーツク圏全域にとって、
この遺跡を中心として、地域振興を図っていく手は十分に考えられると思います。
ぜひ、そのためにはしっかりした本物の調査活動を行っていきたいものだと思います。




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江戸期の基本ビジネス

2009年05月08日 06時14分13秒 | Weblog



写真は江戸期から続いていた増毛の成功者・本間家住宅より。
北海道の日本海側一帯は、江戸期に大型漁業で栄えました。
江戸期は旺盛な商品経済が地域的に発展した時代で、
あらゆる産品に及び、
それが今日社会の「地域性」の基本を形成していると思います。
そういうなかでももっとも旺盛な需要は
やはり流行の先端であるファッションであり、
若い女性を彩った呉服が極めつけの商品だったと思います。
西洋近代の国家では、こういう需要よりも
侵略戦争のための軍需産業が大きかったことでしょう。
その意味では、日本の平和社会というのは
江戸期からの基本的な日本社会の性格に根ざしているとも言えるのかも知れませんね。
そういう平和ボケを、黒船が一気に打ち砕き
明治の疾風怒濤の時代があり、
太平洋戦争に至るヒステリーを生んだのかも知れません。

で、こういう江戸期最大の産業を支えたのが
蝦夷地西岸域で大量に収奪されていたニシンを材料にした「金肥」。
木綿畑は、大量の肥料投入を必然にし、その最良の原料として
ニシンがその需要に応えたということです。
そして、この増毛の地でも、この写真のように
最新の京都のファッションである呉服反物が
北前船交易によって、もたらされてきたものでしょう。
「松前の春は、江戸にもない」賑わいだったというのは、
こういう経済循環の根源に北海道地域の産品があったことから
生み出されてきたことなのだろうと思います。
そういう余波のようなものがこの増毛にも来ていて、
いろいろなビジネスをやっていた江戸期の豪商に連なるこの家でも
このような反物を扱って儲けていたのでしょう。

いまの時代になってみれば、
もう、この時代が持っていた呉服反物への熱気というようなものは
追体験は出来ないでしょうが、
このデザインにおいて、京都の文化はまさに核心的に強い影響力を持っていた。
ことばで「下らない」という言葉が日本語の基本言語になってありますが、
それは、京都の文化が生み出す(酒)産品への強い憧憬を
長い年月、日本人が抱き続けてきた歴史を証してくれている。
京都から「下ってきた」ものでなければダメだ、下らない、なんですね。
花鳥風月であるとか、色彩への感覚など、
こういう呉服反物の基本デザインのテーマには
まことに色濃く、京都が持ち続けてきた
日本人の好みの文化性が直接的に反映していただろうと思います。
そういうものに、万金が投入され消費されてきたのですね。
そういう風に見てくると、
最北の日本経済圏という印象が深く感じられてくる光景です。



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重厚な建具文化

2009年05月07日 05時27分39秒 | Weblog



写真は増毛に保存されている重要文化財・本間家の
商家部分の区切りの建具。
こういう商家の建具って、実に多彩な工夫が凝らされていて
目を見張るほどなんですね。
なによりも手仕事での造作なんですが、
その造形のみごとさに圧倒される。
この建具では、かんぬきが仕込まれていて、
閉めると自動的にロックがされる仕掛けまで施されている。
たぶん、それを開放する鍵の仕掛けもあるのでしょう。
構造材は重量感のある広葉樹種の脂身のある材が使用されています。
一目見ただけで、相当の熟練の工務であり、
工芸品に近い出来映えであります。
いつも思うのですが、こういう実用の建具って、
その手仕事のレベルで言えば、工芸品を上回っていて、
しかも日常使いの実用の用を完全に満たしている。
日本の手仕事、職人のレベルの高さをみごとに証明していると感じます。
ただし、工芸品のように移動可能ではないので
仕事への価値、売買価格というような部分では評価されない。
なんとも不思議なものだなぁと思っています。

一度など、秋田での取材だったですが、
ものすごい重量の立派な建具が家の中で使われていて、
聞いたら、建て主さんがインターネットで購入したのだと聞きました。
ところが、100kgは軽く超しそうな超重量物で
しかも材料は、もう入手困難と思われる本物素材でありながら、
値段を聞いてびっくり。
なんと、輸送費も10000円程度の宅配便扱いで、
本体価格も20000~30000円だったものでした。
宅配便価格は寸法に対してしか値段規格がなくて
ものすごい重量物にもかかわらず、タダ同然だったと聞きました。
いかに日本では、こういう建具の価値について評価がないか、
よく表しているお話しだなぁと思った次第。

しかし、以前に見た余市の漁家の蔵の扉のみごとさなど、
ちょっと筆舌に尽くしがたかった。
こういう建具文化に対する価値観の低さって、
そのうちに必ず見直されると思います。
いいものを永く使って、エコロジカルに、というのが
本物の流れであれば、やがて必ず見直されると思うのです。
ただ、現状では、住宅建築の側では、
施工の簡易性や、合理性にばかり目を奪われていて
こういう手仕事の価値観について正当な評価がない。
こういうみごとな昔の手仕事を収集しておくと、
そのうち、「お宝鑑定団」で超高額な資産になるかも知れません(笑)。
いまから、買い占めに入ろうかなぁ(笑)。




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連休中の当番病院

2009年05月06日 05時06分08秒 | Weblog



おとといから息子が軽く発熱。
それが昨日の朝には、けっこうな高熱に。
一晩、様子を見て、と考えていたのですが、
一向に熱が下がる気配がない。
39度を超えて40度近い高熱状態。
バスケットの練習とかで、濡れたTシャツのままで歩いていたりしていたので、
どうも、疲れもあって、ダウンしたようなんですね。
で、朝9時になるのを待って、当番病院に。
「内科」でと考え、インターネットで事前に調べて
家の近くのそこそこの大型病院に行きました。
9時からなんですが、やはり連休中なので
来ている人は多い。
10分前に到着して、受付開始を待っていました。
で、ようやく名前を呼ばれて受付の方が来られました。
ところがどうも、年齢的に中学生13歳では、
こちらの病院では内科診療は出来ない、ということ。
聞いてみると、内科でも小児診療を受けられる病院と、
受けられない病院があって、こちらは受けられない病院なんだとか。
とはいっても、現に40度近い高熱が出て
具合が悪そうなので、看てもらえないでしょうかと頼んだのですが、
鮮明でないコピーを見せてくれて
「小児科」の当番病院に行ってくれ、ということのようなんです。
で、よく見えないコピーで何軒かの小児科を探したのですが、
ようやく判別した住所はどこも遠距離のところばかり。
まぁ、やむを得ず7kmほど離れた病院を目指したのですが、
途中、お花見の車列の大渋滞に遭遇。
一歩も先へ進めない状態。
カミさんが、もう一軒の事前に調べていた近くの「内科」の病院にケータイから連絡。
そうすると、中学生でもそこでは大丈夫ですよ、とのこと。
急いでUターンさせて、そちらに向かいました。
そちらでは、電話で概略話していたこともあってか、さっそく診察。
すぐにインフルエンザB型と判明。
治療を施していただけて、薬もいただくことが出来ました。
まさか、豚インフルエンザ?っていう心配は杞憂でした。
早めに対応していただけたお陰で、
帰ってから投薬して、安静に寝付かせたところ、
体温は半日程度で急速に下がってきておりまして、
夜も、ゆっくりと就寝できております。
カミさんもわたしも、マスクを掛けて家でゆっくり看病。
でも食欲もある程度戻ってきて、夕食には
「鍋を食べたい」という希望もでて、
いつもの半分くらいは食べておりました。

中学生というのは、難しい年齢ですね。
決まりでは、小児科診療というのが原則、というのはうっかり知りませんでした。
ただし、体力的にはおとなと変わらない。
息子は、身長が165cm、体重が48kgということなので、
カミさんよりも大きい。
ただし、発育的には個人差もあるでしょうから、
通常の投薬などでは難しい側面があるのでしょう。
インフルエンザでの投薬でも、タミフルなどは処方せず、
最近は違う薬があるのだそうですね。
しかし、中学生が小児科であるというのはこちらもよくは知らなかったのですが、
同じ内科でも、小児に対応する病院と、そうでない病院がある、
っていうまでのことは、ちょっと事前にはわかりにくい。
ましてや、連休中の急病対応での当番病院を選ぶときに、
患者側でそこまでの対応は難しいのではないでしょうか?
今回はクルマで移動していたので、こちらも対応できましたが、
これが、歩いてきていて、他に回ってくれと言われ、
しかも一番近い病院まで7km離れていて、こどもが高熱をいま、発している
っていう状況に遭遇したら、ちょっと困りますね。
救急当番病院の情報をインターネットでもう一度見てみても
小児を見られるかどうかの、内科の違いについては情報で触れられていない。
ちょっと考えさせられた次第です。
<写真は北海道・雄冬岬付近の滝です>




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紙越しの採光

2009年05月05日 07時19分50秒 | Weblog



ゴールデンウィーク、好天が続きますね。
きのうは足を伸ばして、増毛方面へ。
坊主はバスケットと言うことで、カミさんと母親、3人での行楽。
増毛は、古くからの酒蔵が観光の中心になっていて、
その本宅としての旧家も重要文化財に指定されて
ミニ小樽的な観光条件が整ってきていますね。
札幌からは海岸線をずっと北上するコースなので眺望が良く、
途中には豪快な滝があったり、
岩尾温泉という泉質の良い温泉施設で日帰り入浴も楽しめます。
きのうも街の中は大変混雑を見せていまして、
なかなかの人出でした。

ということで、カミさんの母親に観光案内しながら。
写真は、旧本間家商家の見学です。
酒を造ったり、海運業を行ったり、
明治以降は銀行を開設したりと、地域最高の有力者の邸宅です。
さすがに結構を尽くしておりまして、
書の類、ふすま絵など、豪華な調度が飾られています。

こういう旧家でいちばん感じるのは、
障子越しのやわらかな採光がもたらす心地よくコントロールされた明るさと暗さ。
紙で内と外の結界を造り、
採光の要素ももたらせているという空間って、
アジア的な独特なものなのでしょうか。
幾何学的な格子組と紙による繊細な採光。
それが室内に入ってくる光を統御している。
床に写り込む格子模様やらが、この写真のような広縁の鏡面に反射して
日本人が永く愛してきたような空間性を形作る。
ここは寒風吹きすさぶ日本海北端に近い寒冷地ですが、
いっとき、春から夏にかけて半年程度は
日本的な風情を堪能する「高級住宅」要件を実現していた。
というよりは、建築技術の問題として、
こういう雰囲気以外に、日本には「よき住宅」という概念がなかった。
左側の庭に対しては一面のガラス建具が障子の外にあるので、
それがかろうじて、室内の空気を外界から区切り、保持する装置。
こういう富豪の住宅でも、
建築技術者は、本州地域から「出稼ぎ」で来ていたのでしょうから、
この地に似合った高級住宅を創造する、という情熱は持てなかった。
半年は破綻する生活だけれど、
まぁいいや、という形で思考を放棄したものでしょうね。
今日でも、北海道の気候風土を考えたとは言い切れない建築が
「出稼ぎ的な建築技術者」が東京からやってきて、
たくさん建てられているのが現実。
それが「建築文化」だと言われれば、まぁしょうがないとも言えるけれど、
寒々しい家で耐えていかなければならないのはやや滑稽ではあります。
要は、こういう雰囲気の良さを
寒冷地的に活かして実現すればいいわけで、
それには、理解と知識、技術がどうしても必要なのですね。



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平安期・北海道での交易実態

2009年05月04日 05時32分50秒 | Weblog

写真は、縄文からアイヌ期まで8000年間の住居跡がある
サロマ湖畔・栄浦から北方を見た様子です。
住居跡は全部で2706軒分が確認されているそうで、
それらが積層しながら継続していたとはいえ、
未発見分も含めて考えれば、ここは狩猟採集生活文化にとって
まるでパラダイスのような地域だったと思われます。
オホーツク人は、漁網のようなものも工夫していたと考えられ、
海産物の採集能力はきわめて旺盛だった。
そういうなかには、「水豹~アザラシ」なども存在したに違いありません。
日本の歴史で言えば、オホーツク人の存在した時期は
ちょうど平安期に相当するので、
平泉藤原氏が、京都の政権に対して貢納した「北方産品」のなかの
貴重種の毛皮としての物産が想定される。
ここのオホーツク人が採集したアザラシの毛皮が、
平泉藤原氏の手に渡り、そこからさらに京都に収められていたに違いない。
鷹のハネなども貴重な交易品とされているけれど、
それらもこの地域のオホーツク人からもたらされたと考える方が自然。

当時の北海道には、
このオホーツク人のほかに在来の民族として、
「さつ文時代人」が併存していた。
かれらは、道央から道東一帯に主要な遺跡が確認されている。
また、この地域でも痕跡が確認されている。
そうであれば、かれらのネットワークから、オホーツク人との交易品が
きっと平泉地域との交易に使われたのでしょう。
鷹のハネは貴族にとって、なくてはならないファッション素材であり、
アザラシの毛皮は、高貴な女性の衣類として使用されたとか。
ちょうどこの時期は寒冷期であり、
女性の「十二単」などの重ね着ファッションがもてはやされた結果、
こういう素材の貴重性が高まったとも言えるのでしょう。
このような交易品物流ネットワークはどのように出来ていたか、
北海道内の各文化間の交流実態はどのようなものであったか、
このあたりは、まだまだ、わからないことだらけですが、
そもそも交易というのは、狩猟採集社会にとっては基本的な存在意義を持っていたそうで、
ひとの営みの開始から、交易活動はセットで考えるべきもの。
海の幸と山の幸の交換は、人間活動の基本だと思われます。
われわれが考えるよりもずっと自然なかたちで交易は進められていたと思います。
ただし、このオホーツク人地域から、
さつ文文化人たちの主要な居住地域である道央地域間は
どのような交易の道があったのか、探ってみなければならない。
多分、陸路だろうけれど、途中からは豊富な水路も利用できそうです。

明治期からの「開拓の歴史」のほかに
北海道地域には、われわれがまだ、つまびらかに出来ていない
豊かに積層した歴史が存在していると感じられますね。



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サロマ湖畔にて

2009年05月03日 05時28分38秒 | Weblog



念願の「オホーツク人」たちの痕跡遺跡ツアーです。
昨年年末にも一度計画したのですが、
温暖な冬が一転して大雪になってしまって
昨年内の訪問は断念せざるを得ませんでした。
「ところ遺跡の森」という場所なのですが、
北海道の歴史を知る上で大変重要な遺跡だと思っています。
オホーツク海側のこの地域、網走や紋別、知床にいたる一帯は
食品痕跡である貝塚から、温暖海域のはまうりなどの貝殻も出てくるのですね。
ということは、歴史年代的にこの地域は大変温暖な気候に恵まれていた。
以前見た書物では、椰子の木も痕跡が確認されていたということ。
現在でもそうですが、なんといっても豊富な魚介類が
漁労採集生活にとっては豊かな暮らし方を可能にしてくれる地域だったのですね。
で、人間の生活痕跡である「竪穴住居」跡が無数に存在している。
それも北海道の歴史年代で、
縄文から続縄文、さつ文、アイヌ期、クロスしてオホーツク文化人まで
実にさまざまなスタイルの「竪穴住居」痕跡がある。
とくにオホーツク文化人の竪穴は大変特徴的で、
入り口が天井部にあって、丸太はしごで出入りする構造。
しかも大型のものが出土しているという。
明らかに、北海道地ばえのほかの文化形式とは違いが見られる。
やはり北東アジアの文化が、食の対象の移動にともなって
北海道のこの地域に南下してきたに相違ない文化。
「北東アジアのバイキング」とも言われているほどに
海獣採集を基本的な生業とした民族のようなんですね。

っていうことなんですが、
遺跡のある常呂の栄浦というのは、行ってみてわかったのですが、
オホーツク海とサロマ湖の境界域に存在している。
汽水域で、まさに豊かな海の幸が豊富に存在する地域。
写真は、周辺にあった「海の幸」市場でバーベキューさせてもらった
ホタテですが、ツブやホッキなどじつに多彩で豊富な貝類が採集されておりました。
そのまま、炭火にあぶっていると、自然に貝殻が開いて、
適度な塩味のうまみが口中に満ちあふれます。
「これは、うまい」と
思わず、うなってしまうほど。
人間、どんな時代でも、うまいものへの執着は尽きないでしょうから、
北海道に人が暮らし続けてきた年代中、
この地域が永く住み継がれてきたことには、明確な理由があるのですね(笑)。

大変わかりやすい現地取材(笑)ができて、
わたしのライフワークも、方向性が明確になってきた気がいたします。
で、やっぱり、トドメはカニなんですけどね・・・(笑)。
ではでは、みなさん、楽しい連休を。



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春爛漫のGW

2009年05月02日 03時15分17秒 | Weblog



ことしは札幌、さくらの開花がやはり早いと思います。
わが家周辺のさくら並木も一斉に開花。
ゴールデンウィークに合わせて花開いた感じで、
景気は悪いけれど、天気だけはよいようですね(笑)。

わが家は坊主がバスケットクラブに入りまして、
たぶん、練習日程がきつくて、いっしょに出かけてくれないと
思っていたら、そうでもなく、本日からちょっと一泊旅行に。
お父さんの密かな願いであった、オホーツク周辺の遺跡探訪なんですが、
ほかで釣って(笑)、めでたく同行できることになった次第であります。
目的地は、「ところ遺跡の森」っていうところでして、
復元された、縄文からオホーツク文化人の竪穴住居が建設されているのですね。
これを写真撮影したい、というのが基本的な目的。
っていうことは、まぁ、半分は仕事にも関係する「取材」でもあります(笑)。
文字表現されていない時代のことを考える
いわば、考古から人間生活や、人物の思いなどを
類推するような、そんな思惑を持っているわけです。

ただ、オホーツク周辺までとなると、
大体往復で800kmくらいにはなる。
やはり高速道路の半額サービス期間を狙うことになる(笑)。
しかもいちばん燃費のいいクルマで、という次第。
まぁ、疲れたらカミさんに運転、代わってもらって、と考えています。
で、きのうは早くに就寝して、けさは2時過ぎに起きました(笑)。
これから、4時くらいに長距離ドライブ、出発です。
こどもがまだ、付き合ってくれるギリギリの年齢でしょうか?
こういうゴールデンウィークの家族一緒って。
安全運転で楽しんできたいと思います。ではでは。
<写真は、ある日の仙台空港。面白い建築です>




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