三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

300mm断熱

2012年09月10日 05時12分08秒 | Weblog


今週は、仙台と秋田から建築家の一行が北海道の住宅と文化に触れる旅に
来られます。
そのコーディネートを承って、準備を進めております。
もう5~6年前に、同様のツアーを企画してから
とくに仙台の建築家の住宅の性能向上のきっかけになったことがあります。
断熱をきちんと修めることで、デザインも自由度が増して
結果、住宅の楽しさがもっと広がっていく。
それが建て主さんに対する一番大きな訴求ポイントになっていくのは間違いがない。
建て主さんに、この手の心配をかけさせるのはプロとして問題。
断熱のことは、本来は建て主が考えなければならないことではない。
それは承るプロの側の製品品質への誠意の問題だと思います。
しかし、現状ではやはりある種の誘導や仕掛けが必要であり、
業界全体のレベルの向上が必要であることは間違いがない。
私どものようなユーザー向けの住宅雑誌でも、ユーザーの基礎知識として
そういった「判断基準」を持たなければならない、
というメッセージをお伝えしている由縁ですね。
本来であれば、そういったレベルのことは一定にクリアしている作り手だけと
安心して、自分が求めている「ここちよい空間」への発想力を高めて欲しい。
それが、わたしたちのような住宅雑誌社の願いでもあると思います。




さてそんな見学ツアーが来られるのですが、
最近の北海道では、より重厚な外皮への探求が続いております。
日本の住宅は木造が基本であり、
それも在来工法という100mm角の構造材を組み合わせた建て方。
したがって、外壁の厚さは100mmが基本単位になります。
もちろん、ツーバイフォーの材料を使えばその単位も変わるのですが、
まぁ、一般にはこのようになっている。
そうすると、壁の断熱は100mmが単位になってくる。
ちょっと前までは、付加断熱で合計150mmという
グラスウール断熱+発泡系断熱材の組み合わせ断熱が主流になったり、
さらにその上を目指してグラスウール断熱をダブルにする
200mmというのが限度の壁厚みと考えられていたのですが、
それを超えて3倍にするという300mm断熱の試みが行われ始めています。
このような断熱厚みになってくると、まずは断熱材の保持について
どのようにおこなうのか、その工法手順の開発が必要になってきます。
新住協メンバーは、そういった挑戦を各地で始めております。
上の写真は、札幌にある展示場でのアシスト企画さんと、
下の写真は旭川で現場施工中の武部建設さんの事例であります。
とくに、旭川の現場は先日、プロ向けに公開され、
室蘭工大・鎌田教授も駆けつけてこられました。
壁をどのように構築すべきか、いろいろな
建築工法についての議論が交わされていました。
真摯なこういった姿勢が、より多くの作り手に波及していくことが
必ずや、ユーザーの利益になっていくと思います。


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鳥海の柵

2012年09月09日 05時04分11秒 | Weblog



先日、岩手県南部水沢周辺を移動中、
偶然に「鳥海の柵」という案内看板を発見したので、つい見学。
鳥海の柵といっても、歴史好きでもない限り、あんまり知られていませんが、
東北の歴史の中でその存在感が増している「安倍氏」の主要城郭のひとつ。
以下、Wikipedia他からの紹介。

鳥海柵(とのみのさく)は、岩手県胆沢郡金ケ崎町にあった、平安時代の豪族安倍氏の城柵。安倍氏十二柵のひとつ。
鳥海の柵は胆沢川左岸の東側に張り出した河岸段丘上(比高10m前後)に築かれた単郭の城柵で、規模は東西300m×南北200mほど。柵の北・南側は沢が切り込んだ小谷地形を濠として利用し、西側の丘陵部も堀で仕切っていたと推測されます。内部は耕作地として改変され、丘陵基部も東北道建設で破壊されていますが、発掘調査で竪穴式住居祉・堀立建物祉・焼土遺構が確認されています。
鳥海の柵は胆沢川左岸、西から東側に張り出した河岸段丘上に築かれた単郭の城柵です。(写真左上) 規模は東西300m×南北200mほど。東側は胆沢川に面した沖積地で往時は胆沢川の氾濫原だったと思われます。内部は耕作地として改変され遺構は確認できませんが、北側の濠は良好に残存しています。



という概略であります。
安倍氏というのは、平安国家の北方征服戦争の結果として置かれた
胆沢城・鎮守府で、地元側の有力者として交易活動の実質的な窓口になって
成り上がっていき、勢力を伸張させたのだと思います。
北方との交易による「宝・貢ぎ」は、平安国家にとって
貴重な「交易資源」だったのでしょう。
ということは、その実質を運営するのは、当時の経済活動の核心部分。
そうした新たな実質的利益を巡って、その利権に群がったのが、
源氏の一族だったのでしょう。
そのような背景から前九年・後三年戦争は起こっていった。
この鳥海の柵のような経済的軍事的要衝に位置する柵~実質的な城は
全部で12、確認されているそうです。
東北中心部、広大な陸奥国の経済活動総体をコントロールする地域だったのでしょうから、その重要性は当時の社会構成の中でも大きかっただろう。
とくに、ハッキリと国家領域が定まっていないということは、
現地での権力行使者にとって、魅力的だっただろうと推測します。

こういうフィールドワーク、実際にその場所に立ってみる、
という行為は、リアリティを持って想像力を高めるのに非常に有効。
ライフワークにふたたび活力を与えてくれました。
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炎天下、久々のゴルフ

2012年09月08日 05時11分08秒 | Weblog



さて記録づくめの暑さが続いている北海道ですが、
全国のみなさんもいかがお過ごしでしょうか?
わたしは、自宅がそこそこの住宅性能を維持していまして
寝室の環境は、冷房とかナシでおおむね25℃くらいの温度で推移していて
寝苦しいというようなことはなく
まことに申し訳ないような夏を過ごさせていただいています。
外断熱のブロック住宅、しかも1階で、日射遮蔽が機能しているという
そういった条件で実現している環境であります。
快適に寝付けて、健康状態はきわめて良好。
毎朝の散歩と合わせて、気持ちのいい夏を過ごさせていただいています。
きちんと寝られれば、熱い季節もメリハリがきいて、快適に過ごせる。

でもまぁ、仕事上のお付き合いで
この炎天下に、きのうはゴルフ大会に参加であります。
参加されているみなさんは、全国各地から札幌に来られたみなさんで
聞くと、夏場にゴルフをやるというのはレアケースということ。
北海道は冬の間、ゴルフ場が積雪でクローズするのですが
なんのことはない、炎暑の夏の本州以南でも
同じように、クローズしているようなものなのですね。
しかし、最近の札幌にはヒグマの出没情報もあって、
さてどんな様子なのかなと、そっちの方が心配でもありましたが、
毎日、状況はチェックしていて、大丈夫と言うことだそうです。

わたしは、ゴルフのことはほとんどブログに書くことがありませんが、
ヘタです(笑)。
「どれくらいで回られますか?」
というイヤな質問には、「まぁそうですね~、大体ハーフ2時間でしょうか」
みたいにお答えすることにしております(笑)。
まぁ、いまから25年前くらいまではけっこう頑張ってやっていて
ハンデが14まで行っていまして、
大好きだったのですが、その後、子どもが生まれてからは
家族と一緒に過ごしていることが大好きになって
すっかりご無沙汰になってしまった、という経緯はありました。
でもそれ以上に、ハンデ14くらいになってくると、そこから先は
「シングル」みたいなことになって、
それこそ年に20回も行くようにならなければ、
腕を維持することも難しくなりますよね。
それで合理的に判断して、付き合いだけにしようと決めたのです。
それ以来、年に行く回数は大体、2~3回。多くて5~6回。
これくらいだと、スコアはそれなりの水準から先にいかない(笑)。
きのうも、ことし確か3回目だと思うのですが、
50-52というたいへん、平和的なスコアで上がって参りまして、
おかげさまで初めて参加の懇親大会でしたが、目立つこともなく
また、そうご迷惑もおかけせずに楽しく過ごさせていただきました。
別に摂待ゴルフ的に気遣うわけでもなく、本人は至って真剣に取り組んで
こういうスコアになる次第でして、内心、よかったと思うようなスコア。
やはり、たまにしかやらないので、
大きくスコアを崩して、他の方にご迷惑になるのは怖いのです。
で、一生懸命にやって本人的には満足できるスコアで
平均的なスコアに納まる、というのが大目標になるワケなんですね。
まことにおかしい目標の立て方とも言えるでしょうか(笑)。
でもまぁ、お付き合いの楽しさ優先で考えるとこういう考え方もあります。
ゴルフをやれ、でもうまくなる必要はないぞ。
っていうように人生の大先輩から教えられた経験が影響しているかも知れませんね。
そういうことで、きのうも
若い同伴者の方が飛ばす、けど、曲がるという方で、
あるホールで2発OBしておりましたが、
「おおお、すばらしい! 気にせずもっと思い切っていきましょうよ!」
ととんでもない応援を飛ばしておりました(笑)。
普通はそんなのはとんでもないと思いがちですが、
でも心底、ゴルフは楽しく、という考えなので
スコアなんて気にしないで、北海道らしく豪快にぶっ飛ばす、
っていう方が、気分的にも楽しくなってくるのではないかと思う次第。
と、いいながらこちらは、同じホール、尺取り虫的なゴルフで
ロングホール、4打目でグリーンまわりに張り付いて
そこからトップ気味だったアプローチが
直接カップインでのパー獲得というせこいゴルフ。
まことに人格が疑われるような展開。すいませんでした(笑)。

ということで、みなさん、
ゴルフは、お金は取られますが、命は取られませんので
楽しくやりましょうね(笑)。

<写真は、一服の清涼剤に北海道三段滝の様子>
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書籍というビジネス

2012年09月07日 05時30分37秒 | Weblog


どっぷりと住宅関連の業界にいるのが、わたしどもの立場なのですが、
一方で出版業であることも、これも当然の立場。
出版業界関連の会に呼んでいただいて、参加する機会も数多くあります。

まぁ、業界的な話題については
ここで書いてもしょがないのですが、
面白かったのが、出版社と著者との出会いが具体的に見えた事例。
それも書籍としての視点というのは、これまでのわたし自身にとって新鮮でした。
雑誌と書籍って、やはりやや視点が違う部分があるのですね。
きのうは、講演で元プロ野球の審判員さんのお話しがあり、
その方と出版社編集者の出会いのありように興味を持ちました。
人間は結局、人間に深く興味を持ち、そこに感動する動物なのだ、
という至って当たり前のことですが、
そのプロセスに書籍出版の核心的な部分が存在することは間違いがない。
出版元と、その著者の出会いはある講演会での話を聞いてから、
ということでしたが、
わたしどもとしては、そうか、そのような仕事へのアプローチと仕事成立のプロセス
ということの方が、きわめて新鮮な部分。
まぁ、要するに「人間への興味」の部分ですね。
この元プロ野球の審判員さんの、人生模様、
「でこぼこ」という表現に込められた思いに、強く惹かれた編集者と
2人3脚で出版にこぎ着けていくプロセス。
ふだん、雑誌作りの視点とはまた違った表現スタイルの面白さに
ついふわりと、釣り込まれておりました。
ふむふむそうか、という納得感があって、
大変新鮮にこころのなかに入ってきてしまったのですね。
講演後の懇親会では、著者の人ではなく、
むしろプロデュースをした方の編集者の人に、
その体験について取材させていただきました。
たいへん勉強させていただけた次第であります。
さて、本日はその続編の催しがあります。 さて用意、用意・・・。

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旭川高砂酒造「蔵」の窓

2012年09月06日 05時29分01秒 | Weblog


いつも古民家、というか古い商家などを見ていて、
そこには大体、「蔵」が付属して建てられています。
そういう建物は例外なく重厚な塗り壁もしくは石の壁で作られていて
同時に、必要な開口部の造作が、手作りで半端でない迫力を持っている。
たぶん、骨としての木組みに対して、
段々に重厚に漆喰が塗り重ねられて、
重々しい存在感を周囲に光彩として放ってくる。
入り口の重厚な扉が、まことに趣向が凝らされたまるで芸術品のような
印象を与えているケースが多い。
写真は先日、高校同期の連中といっしょに訪ねた旭川市の「高砂酒造」倉庫です。
この建物もまったく同じで、窓のしっくい造作の見事さは
ちょっとびっくりするほど。
こういう開き方の窓は、「観音開き」というのでしょうが、
機能性ということを遙かに超えて
その造形の美しさにほとんど目が点になってしまう。
白い漆喰壁と、下側の外壁に使われた木のコントラストが美しい。
窓を雨から保護するように設けられた木枠のような庇も彩りを引き立てている。
開かれた扉が閉じられるときに、段々の枠が
組み合わさって、重厚な壁面と同調するように重なるのでしょうが、
このように開かれた状態では、
街に対して一種のランドマークとしての役割まで果たしていると思います。
造作は無名の職人さんが行ったものでしょうが、
果たしてきた街の中での役割としては、一個の芸術的オブジェでもあった。
そんな思いがしてきます。

そもそもこういった蔵は、
大事な家財を収納させるのが目的で建てられたものでしょうが、
今日の社会では、このような目的意識自体が希薄になってきている。
ここでも現在は、昔の使用用途、家財の収納としてではなく、
レトロな資料室的な空間として使われていました。
しかし用途がたとえ変わったとしても、
美しく作られたものは、そういう機能性を超えて
人間の情緒に訴えかけてくるような力を持つのかも知れません。

今日、日々作られ続けている住宅や
近代主義そのものであるビル群などが、
その「美しさ」の故に、後代のひとびとの胸を揺さぶって
長い命を保ち続けていくのかどうか
ひるがえって考えさせられるような窓の表情であります。
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WEB制作がんばる(汗)

2012年09月05日 05時06分09秒 | Weblog


高校の同期生たちと先日、「還暦修学旅行」に行ってきました。
卒業後42年経っているわけで、
さて何人集まるのか、と不安だったのですが、
なんとか1割ほどの45人参加で挙行できました。
幹事の人たちの苦労が偲ばれる次第でありました。

なんですが、
わたしは仕事がパブリッシングなので、
当然のように、HPの管理運営とかを仲間内では引き受けております。
そこでこの修学旅行の様子の写真類をHP上で公開するという役目が回ってくる。
仕事では、最近、WEB制作の仕事が増えているのですが、
もちろん、そういう作業的な部分は自分でやることはほとんどない。
まぁ、テキストの制作ライティング程度は関わるけれど、
やれ画像処理だとか、カタログ制作、HTMLライティング、FTP送信だ、みたいなことは
若い人たちにお任せしているわけです。
しかし、こういう個人的なボランティア活動はやはり自分でやるしかない。
まぁ、それなりに一生懸命にやっていた時もあるけれど、
ちょっとご無沙汰していると、すぐにやり方を忘れる(笑)。
どうもこういうWEB関係のことって、トリ頭はなかなか覚えておけないのではないか(泣)。

今回は、幹事の人から写真を渡されたのが日曜日2日。
で、受け取ったのは日曜の夜くらいの時間。
むむむ、やらねば、とそこから方法を思いだそうと努力を始めたわけです。
まずは受け取った写真類に、どうも「ロック」が掛かっていてアタッチできない。
それをどうするのだったか、覚えていない。
ようやく、「情報を見る」から下の方のセキュリティ関係のことだと思い出す。



無事にロック解除ができる。
それも「フォルダ内のすべて」が可能だった、ラッキー!
さて、渡された写真は全部で180枚で、こちらが撮っていた写真も合わせて合計230枚ほど。
どれもデータサイズが大きい。
そのままでは500MBを超えてしまう。
そうですね、こういうのには毎日お世話になっているPhotoshopの「バッチ処理」を思い出す。
ただし、何度教えて貰っても「バッチ処理」は覚えない。
若いスタッフにやり方を思い出させてもらってなんとかクリア。
出来上がったデータサイズ総量は、なんとか40MB程度に小さくなっている。
さて、そこから画像の「カタログ」制作。
たしか、ソフトでGraphicConverterを使っていたように記憶が甦る。
久しぶりに立ち上げて、あちこちをいじってみて、
なんとかデータは出来上がるけれど、仕上がりがイメージと違う。
あれこれ、試行錯誤を繰り返し、繰り返し・・・眠くなってくる。



寝て、起きる。
ふたたび解決していない問題点に立ち向かう。
あ、そうだ、と思い起こしたチェックポイント。やってみる。
やった、できた。俺は天才だ(笑)。って、ソフトが優秀なだけですね(笑)。
・・・っていうような状況に至るまでに、だいたい時間にして一日。
仕事の合間にやるのですから、まぁなかなかのペースとも言えるけれど、
ふだんWEBの仕事をやっている人に比べたら、まるで牛の歩み。
で、そこからHTMLのライティング作業であります。
あの呪文のようなテキストタグのたぐいは、あんまり見たくないほうなのですが、
まぁしょがない、向き合う。
でもこのとき、天啓のようなヒラメキ。
「そうだ、以前アップしたHTML文をコピーして一部修正すれば・・・」
ピンポンであります。
確か以前は、フリーのHTMLエディタで一生懸命、書いていたのですが、
最近はMacの進化に伴って、使えなくなったソフトが増えているのです。
まぁそれは普段お世話になっている「Jedit」がHTML構文にも対応しているのでなんとかなる。
で、以前のアップしたHTMLデータの一部分をコピーして、
そこに新規のテキストを書いて挿入させる。
このテキストは、まぁ感じたことをそのまま書けばいいので、
通常のブログを書いているような感覚でさらさらと・・・。
で、ようやくアップさせるデータはめでたく完成。
しかし、FTP送信については、
アップさせる場所も以前とは「住所」も変わっていて、
再度やり直しで、環境を再構築させる必要がありました。やれやれ。
っていうような次第で、昨日夕方ついに着手から丸2日間で
めでたくアップロードさせることが出来て、
仲間のみんなにお知らせできた次第であります・・・ふ~~~。

忘れないためには、ちょこちょこなにかの作業をやればいいのですが、
まぁそういう時間はなかなか取れないことは明白。
結局、今回と同じように必要に迫られて毎回一夜漬けで
なんとか切り抜ける、という人生がこれからも継続しそうであります(笑)。



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国見山廃寺でさざれ石?

2012年09月04日 06時17分15秒 | Weblog


歴史フリークとしては、最近なかなか探訪の旅に出られず、
ややさみしい思いをしておりますが、
先日、少し時間があったので、前から見ておきたかった
「国見山廃寺」を探訪して参りました。
これは、奥州の安倍氏の時代に栄えた寺院跡で、
たどり着いてみると、北上の展勝地からほんのすぐ近くに位置しています。
ということは、北上川からも目につくような位置にあることになる。
以下、Wikipediaより

北上市街地の東方、北上川東岸の国見山(244メートル)の山上及び山麓一帯には仏堂や仏塔の遺跡が散在し、かつてこの地域に大規模な仏教伽藍の存在したことが明らかである。この寺院跡は「国見山廃寺跡」の名称で国の史跡に指定されている[1]。『日本文徳天皇実録』の天安元年(857年)条に「陸奥国極楽寺、定額寺に預かり」云々の記述があり、この「極楽寺」は国見山廃寺を指すものと推定されている[2]。この寺は平安時代初期の9世紀に創建され、発掘調査の結果から、10 - 11世紀に最盛期を迎えたと推定される。伝承では、坂上田村麻呂が異敵降伏のため毘沙門天を祀ったのが始まりであるという。

国見山南麓の谷奥には極楽寺の寺号を継承する小寺院が残っている。また極楽寺の近くにある如意輪寺、国見山北麓の立花毘沙門堂(万福寺)もかつての極楽寺の坊舎の跡と考えられている。立花毘沙門堂には木造毘沙門天立像と木造二天像(いずれも国の重要文化財)が安置されている。



ということなのですが、
「極楽寺」というすごい名前の寺が現在も残っている。
そこから山上に向かって2~3分クルマで走ると
鳥居が立っていて、急峻な参道石段を10mほど上ると
やや平坦な寺域・神域とおぼしき清浄な空間が展開していることが察せられる。
周辺にはたくさんの案内板があって、本堂跡だとか、
経跡だとかの宗教的な施設群がそこに展開していたことを知らしめている。
真ん中の写真は、そんななかにふと見つけた岩とも石とも言えるもの。
苔むしているし、周辺の植物が覆いかぶるように繁茂しているのですが、



近接してみていたら、
どうも「さざれ石」なのではないかという気がしてきた。
神域で見るからそのように思えるのかも知れないけれど、
表面の様子などから判断すれば、どうも確かなように思われる。
で、ここからは、まったくの夢想だけれど、
この寺域・神域は坂上田村麻呂による創建と伝えられている。
ようするにヤマト政権による東北征服戦争のモニュメント性も与えられた建築群。
そこに「さざれ石」は、なんとなく符帳が合う。
さざれ石は、コメ生産を中心的な生産手段として各地に成立した古代の「クニ」が
たくさん集まって連合的な集団安全保障体制として
より大きな権力機構として成立した日本という国家を象徴するものだったのではないか。
君が代に、あのように歌い込まれているのには意味があるのではと思うのです。
そのような国家の意志を持って征服地に神域を作り、
そこにさざれ石を鎮座させたのではないか。
そのようなインスピレーションを持った次第。

まぁきっと妄想でしょうが(笑)、でも誰か専門の人に今度、聞いたみたい。
さて、これはどうやって検証すべきなのか?
学者ならぬ、イチ民間歴史民俗好きオヤジとしては、途方にくれるテーマを
抱えてしまったと思っている次第であります(笑)。


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AppleのOS壁紙という「場」

2012年09月03日 05時08分43秒 | Weblog


JOBSさんが亡くなってから、どうなるのかと思われたApple社、
CEOを継承したCookさんという人も、どうやらただ者ではないようですね。
あれだけのカリスマ指導者の後を受けて
それでも坦々と、日常的な積み重ねを実践してきて
その資産を確実に増やし続けている。
対AndroidOSとの戦いにおいて、アメリカ市場での重要な勝利を収め、
パソコンOS市場での対WindowsOSとの戦いとは違う局面を勝ち取っている。
本来であれば、Appleが提訴すべきだったのは、Googleなのだろうけれど、
国家間的なテーマにもからめられる韓国企業サムスンへの提訴という戦略は
まんまと最重要な市場であるアメリカ地裁での勝利という確実な果実を得た。
これはやはりWindowsとの裁判での敗北から
深い教訓を得た企業戦略の展開の結果だろう。
そしてこの、GoogleのAndroidOSの危機は
どうもWindows8の市場での伸びを後押しするだろうという
Appleにとって、皮肉な結果にも繋がると言われる。
AndroidOSをつぶすためならば、核攻撃も辞さないと言ったといわれる
JOBSさんの死してなお、の執念が実を結びそうだし、
それを確実に実現させた後継者・Cookさんの手腕もすごいと思う。
PCから始まった現代の技術市場での「三国志」
まだまだ、熱い戦いが続けられている。
いま、雌伏の時を強いられている日本の技術企業が、どのようにチャンスをつかむのか
あるいはこのまま、世界市場での立場を急速に落とし続けるのか
日本の企業家にこういう競争に参画する気概が、まだあるのか、
トロンという、アメリカによってPC用のOSとしては窒息させられた
国産OSのことは、まだ忘れてはならないと思う。

考えてみれば、SONYはAppleを買収できるチャンスはあったのだろうけれど、
しかしたぶん、買収しても今日のAppleのような輝きは決してありえなかっただろう。
国家戦略もからんで、技術の世界はものすごい暗闘の世界であることは疑いない。
結局、日本企業はアンタッチャブルな世界には
踏み込んでいくことは危険だし、許されてもいない。
そうではない枠組みの中で、戦後の日本企業は戦ってきているのだろう。
そうしたなかで、できることだけで戦い続けていく知力こそが
日本の最大の活力源だけれど、
TPPなど、新たな困難要因も多い。
ただ、戦後の世界はこうした日本企業の個別的な戦略が
いろいろに根底的な部分で、揺り動かし続けた歴史でもあると思う。

先日、そのAppleのMacintoshコンピュータ壁紙に採用された
北海道美瑛町の「青い池」を見てきました。
この池は火山噴火の火砕流を防ぐための堤防施設に
自然に湧水してできたものだそうで、
得も言われぬ色合いが、不思議な世界を作りだしている。
しかし、この池の写真が、OSの壁紙という世界標準の場で
まったく思わぬ形で、
命を得ていくということのほうが、不思議な世界の輪廻を感じさせる。
強者だけが生き残るのではなく、
結局、世界は循環していくものなのではないか。
戦いを継続していく資源・財産はまだまだどこにでも眠っている。
そんな思いを感じながら、見続けていました。


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長く熱い夏の自然

2012年09月02日 10時02分51秒 | Weblog


今朝も散歩に行って帰ってきましたが、
まだまだ札幌の9月、暑い日が続きそうであります。
今週から来週にかけての気温の予報を見ても、
30℃超えが予想されていて、46年ぶりとかの猛暑、というか、残暑の
暑い日がまだまだ継続していきそうな気配であります。

そんなことで、散歩道でも
動物たちの活動が目に見えて活発なように見受けられます。
北海道神宮境内は、後背の円山からの山並みに連なっていて
市街地と自然領域の境界に存在しているのですが、
ことしはリスの数がたいへん多いように思います。
最近は、散歩の40分ほどの間に十匹以上発見いたします。
先日など、境内の緑地帯を抜けて100m道路を渡って別の緑地めがけて
決死の横断を試みるヤツもいて
わたしのクルマにあやうく轢かれそうになっておりました。
後続車を気にしながらも、なんとかブレーキをかけて
殺リスを免れたのですが、
ヤツらもテリトリーの拡大に必死なのではないかと推察します。
たぶん、天候の良さからコロニーの生存可能数を超えて個体が発生し、
そういった自然的生存域拡張活動なのではないか、と。
きのうは、札幌市南区の芸術の森美術館で
ヒグマの目撃情報があって、野外美術館が閉鎖のやむなきに至っていた。
最近のニュースでは、札幌の市街地でも目撃情報が頻発している。



旺盛な自然の息吹はうれしいことでありますが、
人間界と自然界の境界部分では、注意深い行動が必要になるでしょうね。
真ん中の写真は、先日訪れてみた北上市郊外の国見山廃寺周辺に
至ったときに、まるでわたしの車を先導するように導いてくれた
猛禽類のワシであります。
なかなかに勇ましい飛翔の仕方で、まことに魅せられる。
人間界と自然界、それぞれで別の原理原則で動いているのですが、
ときにはシンクロするような瞬間もある。
いろいろと教わることも多いと、
祈りに似たような思いでかれらの行動に見とれていることもあります。

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テキサスから北海道魂!

2012年09月01日 07時50分26秒 | Weblog


ことしの野球も大詰めが近づいてきました。
わが北海道日本ハムファイターズ、いまは首位西武から1.5ゲーム差の2位。
ことしはウチとロッテが序盤戦、引っ張ってきたのですが、
ここにきて、西武とソフトバンクに勢いが出てきた。
ウチはエースと期待した斉藤佑樹君が2軍に落ちたまま、
なかなか帰ってこられない情けない状態で、
このペナントの修羅場に「エース不在」が強く印象づけられる展開。
きのうも、来年以降は不動のエース候補にのし上がってきた
吉川投手の力投も報われず、中田クンのファインプレーで
なんとか、サヨナラ負けを逃れるという薄氷の戦いを続けています。
エースと4番を手作りするぞ、というのが
今シーズンのわがチームのテーマだと思って見てきました。
中田クンは、17本ホームランを打って
今現在0.234という打率でここまできている。
まぁ、やや物足りないが、我慢していて希望は持てるレベル。
一方、斉藤君の残念さが、いまのチームの現状の象徴でしょうか。
最後の最後で、ふたたび土壇場でカムバックしてきて
西武に完封勝利する、というドラマを夢見ているのですが(笑)、無理かなぁ・・・。
むむむ。

なんですが、
ことしはダルビッシュくんが大リーグに挑戦しているので、
こっちも二股で気になり続けている。
日本のローテーションとはだいぶ違う、先発投手には厳しい日々。
最初は打線の援護がすごいチームで、
点は取られながらも、勝利を挙げるという運にも恵まれていましたが、
やはり大リーグの打者たちは底力がすごい。
やや、停滞した状況が続いていて、心配し続けていました。
酷使しているに違いない肉体も悲鳴を上げてきて
28日のレイズ戦。中10日と間隔を開けての登板と、初対戦チームという
あちらのチームの首脳陣の作戦的配慮も感じられるなか、
みごとに復活しての7回無失点での勝利。
ほっと、ひと息ついたところでした。
そんななか、海を渡って、ダルビッシュくんからある写真が公開されたそうです。
情報は日刊スポーツで見たので、その写真はここに掲載は出来ませんが・・・。
それは、北海道の地図のマークをワッペンのように
グラブに縫い付けて、この戦いに立ち向かったという写真です。
(この写真、見たい方は日刊スポーツのページで見つけてください)
・・・むむむ。

つい涙腺がゆるんでしまうではないか!
ダルビッシュ、あんたはえらい!
今の状況の中で、全力を尽くして立ち向かおうという
そのときに、北海道のことを思い起こして戦っているというエール。
すばらしいスポーツマンシップがこっちの胸に迫って参ります。
こういうエールを受けて、
いっしょに太平洋をまたいで戦っていきたいと思います。
頑張れダルビッシュ!
頑張れ、北海道日本ハムファイターズ!
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