三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

地域工務店の情報武装・戦略構築

2013年04月10日 06時05分07秒 | Weblog



きのうは午後から、北海道の地域工務店の集まり「アース21」の
設立20周年の祝賀会と総会に出席しておりました。
年に五~六回、情報交換をメインにした例会を継続してきている団体ですが、
北海道の「地域工務店」というものの活動の姿を
もっとも端的に表現した集まりだと思っています。
それは、「地域工務店」という存在が現代でどのような存在感を持って
存続していくのか、ということに正面から向き合っていると思うからです。
きのうの会では、このアース21にも先駆けた動きとしての
「十勝2×4協会」についての発表もありましたが、
そこでの発言に、大きな示唆があったのだと思います。
十勝2×4協会は、日本に2×4が導入されたごく初期から活動を開始した集まりで
大手ハウスメーカーやパワービルダーによる市場席巻の流れに抗して、
地域工務店が、どのように生き残り、戦っていくのかを
「地域全体」のなかで位置づけて、協同の力で
戦略を練り、地道に取り組んできたことを坦々と語られていました。
ほぼ30年以上になるその道程は、
いままさに、東北の被災地域の現状のなかで
「地域連携」ということが声高に言われている現実に、
もっとも良き先例といえるでしょう。
高台移転の用地整備にメドがつき、もうすぐ整備が終わって
具体的に、そして集中豪雨的に多くの住宅を建設しなければならないとき、
地域の生産者がなすべきことの実質をすべて表していると思うのです。

本来、地域連携、ということは掛け声さえ掛ければそれで済むというものではない。
いまの国が主導する地域型住宅の政策の流れは、
この動きを主体的に担う、いわば主体論が欠落したままに
その結果としての、そうだったらいいなという
形だけを無理矢理に作り出そうとしている。
もしそうでなければ、集中的な住宅生産には到底間に合わない、
という焦りが政策提起側にあるのではないか。
そしてもっと問題なのは、こうした主体論について
いまに至っても、国側は気付いていないだろうと言うことです。
国としては、地域型住宅という器は作った、というようなアリバイはあり、
現実にそれが機能するかどうか、までは責任は問われないだろうというヨミなのか。
たぶん、現状のようなままに高台移転の用地整備が終わったら、
そこで開始される家づくりは
推定的に言えば、ローコストパワービルダーの跋扈に繋がるのではないか。
それに対しての、地域工務店側の戦いの、
「情報武装・戦略構築」は、決定的に足りない。
きのうの会合を聞いていて、
実は、東北住宅復興の現状と重ね合わせて見続けていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住宅産業の構造変化は?

2013年04月09日 06時33分27秒 | Weblog



図は、北海道がまとめている住宅のマーケット状況。
平成15年のものですから、いまから10年ほど前の状況を表しているのですが、
まぁ、傾向としては現在もこの状況が進行中です。
現在は寒冷地住宅の工法が、基本的には周知されていて、
エネルギー使用の状況から見ても、そこそこの段階には来ているのだろうと推測できます。
熱損失係数で北海道全体が1.6のレベルに決められてからでも
すでに15年近く経過していますので、
そうしたレベルの住宅では、さらに省エネを進めるように
根本的な改善、建て替えというように全体が向かう理由は、
希薄になることが容易に推定され、
ある程度のストックで、住宅性能の改善が前進した段階になったので、
そうすると「住」というマーケットの構造は変化せざるを得ないでしょう。
社会が安定して、この地域での暮らしをもっと楽しみたい、
というように社会欲求が進化するとすれば、
その変化は、どういった住のあり方を志向するか?

そういう段階になると、
現状で形成されている「街」の機能性とか、求心性とか、
総体としての「文化性」というような部分が重要になってくるのかも知れません。
個別の住宅というよりも、
そこでの暮らしのクオリティというものが大きな要素になる可能性が高い。
日曜日に参加してきた仙台での震災復興フォーラムでも
仮設住宅での暮らしが長くなってきて、
その「街」のなかでの暮らしから、結婚するカップルが出るなど、
時間の経過は、大きな変化を作りだしてくる。
「もう戻れない」という意識も芽生えてくる中で、
たとえば、既存の社会インフラのなかでうち捨てられている
多くの街のシャッター商店街に、
そうした人々の暮らしの誘導を考えたりもする必要性が語られていました。
エネルギーの社会全体での節約ということで考えても
ひたすら住宅の個別性能の向上だけではなく、
既存ストックをどう再活用するか、と考えれば、
既存の集住形態の効果的な再活性化、高性能化というような追求があってもいい。
より大きく、「人々の幸せな暮らし方とはなんなのか」
というように考えていけば、そこに面白い可能性があるように思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙台メディアテーク、場の力。

2013年04月08日 09時16分10秒 | Weblog



きのうは仙台でJIA東北支部主催による
「震災復興シンポジウム2013」が開かれて、取材して参りました。
会場は仙台メディアテーク。
いつも思うのですが仙台ではこの会場が、いわば「常打ち」的に使われて
場としてのメッセージパワーも持っているので、
わかりやすくその中身のメッセージが多くの参加者にも伝わってくる。
そういった「話題性」という意味でも、公共的施設にこのような
惹き付ける力があると言うことは、得がたいことなのだと思います。
これは、伊東豊雄さんの場のデザイン力、ということも大きいけれど、
それ以上に、仙台市の持ち物である、という公益性が大きい。
わたしは基本的にガラスだけで覆われたような建築は好きではないのですが、
このメディアテークでは、その前面に仙台を象徴するケヤキ並木があり、
それとの親和性が非常に意識される立地のなかで、
このガラスファサードの意味合いは、やはりいいなぁと思ってしまいます。
ケヤキ並木がいわば壁を提供しているので、
適度に夏場の日射の遮蔽や、冬には落葉した枝越しに日射も得られることが、
巧まずして、自然利用的な効果をもたらしていると思います。
もちろん、絵としてのケヤキ並木はそのままでも、
場にいる人間たちに、ある懐かしさや、仙台らしさを伝えてもくれている。
ただ、年間での暖冷房用エネルギーはどれくらいなのか、
そこのところは、詳らかではありませんが・・・。
それと周辺駐車場の比較的安さ(1日上限1200円)もあって、クルマでのアクセスもいい。
こういう立地と場としての魅力という両方の意味から、
たとえば札幌と比較して、格段に違いがある。
まぁ、東京でもこういう性格を持った施設はなかなかないけれど、
札幌の現在の「人が集まってなにかをみんなで取り組む」という場の少なさを考えたとき、
その「構想力」の無さに愕然としてしまいます。
札幌にも北大植物園という公共資産があり、
それとの親和性を、立地的には満たしている施設があるのですが、
場としてのデザイン力は到底及ばず、現実にメッセージ性はまったく欠けている。
何度行っても、名前すらまだ覚えないほど、場に力がない。

これは、北大植物園とケヤキ並木の性格の違いにもよるのか。
都市の魅力の再生利用として考えたときに、
札幌の場合は、時計台とか植物園とか、赤煉瓦庁舎などのモノはあるけれど、
それを活かそうとするグランドデザインが決定的に欠けていると思える。

きのうのイベントとは話が全然違う内容のブログで恐縮です(笑)。
なお、「震災復興シンポジウム2013」については、
明日のブログでご紹介していきます。
何回かに分けて掲載するのではないかと思います。どうぞよろしく。
あ、写真は、全くの無関係です。
先日行ってきた「北総研」建築でわたしの好きな場所、
春の雪解け水を屋根から落とす「樋」の様子。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

爆弾低気圧さなかの取材出張

2013年04月07日 06時39分46秒 | Weblog



昨日は朝一番で仙台へ出張。
週末は大荒れという予想の中で、不安でしたが、
仙台までのフライトではまったくの順調な天候でした。
仙台到着後、前から行かねばならなかった秋田の会社まで、今回の旅程で訪問。
たっぷりと、三時間半ほど話し合ってきました。
たいへん有意義にこれからのことを話し合うこともできて、
やっぱり来られて良かったと安堵いたしました。
で、そこから仙台まで帰ってから、ついに低気圧の大荒れ天気が襲来。
一晩中、盛大な降りようと荒れようでした。
さて本日は仙台でイベントに出席取材してから、札幌に帰るのは最終便の予定。
今の状況だと、かえって遅い便の方が飛ぶ確率が高そうですが、
それも前の便がたぶん、相当に欠航すると思われるし、
通常は千歳ー仙台間は飛行機を折り返して使うケースが多いので
千歳からの便が正常に運行されるかどうか、まことに微妙。
月曜日にはいくつかのアポイントも入っているので、
ちょっと早めには取材を切り上げたいのですが、
もしできても、最終便に乗れるかどうかはきわめて微妙です。
さて、どうなるか、爆弾低気圧に翻弄されております。

ということなんですが、
最近多くのみなさんと話し合っていて、
家づくりと暮らしようについて考えるうちに
いわば、「生活の哲学」あるいは、生活の文化というようなことに考えが及びます。
現代は、多様な暮らしようがあるようで、しかし生活についての価値観は
きわめて一元的な物差しでしか測っていないのではないかと思われてなりません。
住宅づくりというのは、建て主の暮らしようの価値観に合わせて
具体的に考えられていくべきものだと思いますが、
どうも依頼する側も頼まれる側も、価値観が多様ではなくなっている。
おおむね経済原則のようなものに絡め取られていて、
価値観と言うよりも、その経済合理性のようなものに
すべて飲み込まれてしまっているように思う。
まぁ、最終的に建てられるモノとしてみれば、そのことは当たり前ではあるのだけれど、
しかし計画の仕方では、多様性を意識しなければならないのではないか。
出来上がるモノは、経済合理性だけの用で使われるものではなく、
いわば生き方の部分で、多様な「幸せ」を満たすモノであるべきなのだ。
こういった暮らしの中の「幸せ」って、
その実質は、やはり日本人としての暮らしようの価値観が反映されるべき。
具体的には生活に深く根ざした文化、ということになる。
こういった文化と言うことになれば、やはり京都などの歴史を背負った
そういう価値観を発掘する、ということが近いのかも知れない。
ただそのときに、様式化され権威化されたものと、
本来的な生活文化性との間に乖離が生じているケースが多く、
それをまっさらに見ていかなければならないのではないか。
・・・、どうもしきりとそんなことを考え巡っています。

さて、写真はきのう札幌出発前に
事務所の庭で、雪の下から芽吹いていた植物であります。
名は知らない(笑)。
ダメですね、こういう鈍感さは北海道特有なんでしょうか。
こういう草花をしっかり愛でて、それこそ一編の歌にでもするのが、
本来の「生活文化」というものなのかも・・・。
でも、雪の下で可憐に、またたくましく芽吹く姿、
まことに凜としていて、美しいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

爆弾低気圧?

2013年04月06日 05時55分01秒 | Weblog



最近の天気予報の「当たりぶり」は顕著で
予報精度の向上にはまことに同慶の至りと思っておりますが、
しかし、それにこっちの予定が重なってくると困ったことも起こりますね。

「6日は全国的に暴風に警戒して下さい。
何かにつかまっていないと立っていられない程の風が吹くでしょう。
大雨にも警戒が必要です。日中は沖縄や九州から関東まで広く雨が降りますが、
雷を伴い非常に激しく降る所があるでしょう。
東北や北海道も夜は雨が降る見込みです。
自宅周辺と外出先では風や雨の強さが異なることもあります。
こまめに気象情報や交通情報を確認しましょう。」

というのが、今回の天気予報。
実は、土曜日曜と出張予定があり、
仙台と秋田に出掛けようと考えているのですが、
まさに直撃のようなんですね。
また、日曜日は夜に札幌に帰ってくるのですが
こちらもチョーあやしい雰囲気。
その上、「不要不急の外出はお控えください」とまで書かれている。
8日月曜日には札幌に居なければならない要件もあり、
さてどうしようかと、たいへん悩ましい状況になっています。
しかし、今朝一番の飛行機を予約しているし、
それも旅行代理店からの購入なので、キャンセルもできにくい。
代理店の営業開始時間よりも早い時間なのですね。
わたしはこの週末の予定が無事に済むのかどうか?という次第です。
う~~~ん、困った・・・。

ということなんですが、
ブログを書いていると当たり前ながら、それを読んでくれる方も居るわけで、
きのう、体調のことをついそのまま書いてしまったら、
訪問先で「あ、マスクをしながらでなきゃ、やばい(笑)」と言われてしまった。
まぁいろいろ心配をおかけしてしまって、
申し訳ありませんでした。
幸いにして、保管していた風邪の処方薬がたいへん効果的で、
行き帰りも自分で運転しての移動でも大丈夫でしたし、
帰ってからも、すっかり風邪は抜けた感じであります。
カミさんも心配してくれて、同行してくれたのです。
いろいろ忙しいのに、すっかり手間も掛けさせてしまった。
どうもこういうブログで書くのはいろいろ支障のある場合もありますね。
反省させられた次第であります。
さて、どうするかなぁ・・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

急な発熱

2013年04月05日 09時29分46秒 | Weblog



きのうは1日、いろいろな打合せで忙殺されておりまして、
以前から懸案になっていた企画書がおおむね書き上がったところで、
夕方から会議も入り、終えたところで、
急激な悪寒が襲ってきました。
本日も、土日も遠方への出張もあり、「やべ・・・」であります。
カラダの悪寒は帰宅してからも続いて
たまたま家人もみんな出払っているし、食欲もないと言うことで
そのままベッドに潜り込みました。
ところが、その瞬間が悪寒のピークのようで
体の震えがなかなか治まらない。
本当は以前処方されていた風邪のクスリもあるので、
飲もうと思っていたのですが、
そういう猶予と思念が出てくる間もなく、とにかく震えが止まらない。
そんなことで、やや小康を得たのが深夜12時ころ。
空腹ではクスリを飲むのはまずいなぁと思って
ふかし芋をほんのすこし食べて、クスリを服用。
うんうん、唸りながら朝まで断続的に寝ておりましたが、
そんなことで、やや回復感が出て参りました。

どうも、なにもかも出来ないようなカラダの疲れが
どっと押し寄せてきた感じでありました。
でもおかげさまで、今朝はこのブログを書こうかというところまでは
気力回復であります。
ここのところ、会社でいろいろな懸案が生起しており、
その対応でやや忙殺されていたことと、
きのうは、家の前の雪割りも少しやったのですが、
予想以上に、この雪割りで体力のダメージが蓄積しているようです。
しかし、本日は旭川への往復での取材がありますので、
なんとか、体力を回復させて頑張らねば、であります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ススキノ逍遙

2013年04月04日 05時38分48秒 | Weblog


きのうは久しぶりに街、それもススキノを探訪。
っていうか、スタッフと食事の後、クルマで迎えに来てくれたカミさんと落ち合うまで
足の向くままに散歩してみた次第。
ごく若いとき、学生時代から30代くらいまではよく飲み歩いた街ですが、
やはり、ここ20年以上は月に一度か二度くらいしか訪れることはなく
最近は、年に数回程度しか来なくなっている。
でもまぁあちこちに、それなりの愛着はある街で
ややタイムスリップしたような感覚で歩いておりました。
これでカミさんに迎えに来てもらっていないと、
ついあれこれのお店を「新規開拓」からハシゴしてしまうところですね(笑)。
「あれ、ここにあったあの店は?」
「あ~~~、この店まだあるんだ~~」
とかと、感慨が胸に迫ってくる。
世を捨てた仙人が下界に下りてきて、人の匂いを懐かしがるような心境です。

しかし、どの界隈にもそれなりの想い出がある。
この街で落としたお金のことを考えたら、無常観に襲われたりもします(笑)。
昔はずいぶん人並みも多かったように記憶していますし、
すっかり主のように泳ぎ回っているひとも多かったようですが、
やたら目につくのはタクシーの行列くらい。
それでも栄枯盛衰を重ねながら、しぶとく生き延びている店も散見される。
ススキノをテーマにした歌謡曲や歌は多いと思いますが、
最近のそういった歌の世界にも歓楽街を謳うようなものは少なくなっている。
たぶん、若者たちの生態のなかに、この街が入ってこなくなったのか。
しかし、反比例して客引きの数は異常に増えているように思います。
それもちょっと危険な雰囲気もプンプンと感じる。
まぁこの街で一人で歩いていたら、客引きには格好のターゲットですか(笑)。
「お客さん、きょうはどちらへ?」

すっかり酔いも覚めて、ひたすら観察眼の固まりになって
「街の取材」をしている自分がおりました。
なんとか無事に帰還できて安堵感と、一抹の後ろ髪引かれる思い(笑)を
味わわさせていただきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢化の実相

2013年04月03日 05時24分22秒 | Weblog



図は、65歳以上人口の「健康度」を表したデータ。
統計がまとまっている2008年段階で、
全くの健常状態の人口がおおむね2000万人。
入院している人はごく少なく百万人以下のようです。
外来や「要介護・要支援」を合わせて、7~800万人という状況。
ざっと見て、七割以上は健康状態を維持している。
要介護・要支援よりも「外来総数」の方が
より「入院総数」に近い、というように読み取れるのですが、
厚労省的には、どういった認識であるのか、
ちょっと不明ですね。
この数字を見て、どう考えるかは見方によるでしょうが、
案外、健康な人の割合が高いという印象。
昨年、還暦を迎えた高校同期の仲間たちを見ていても、
ポツリポツリと病気のことを聞くけれど、
おおむねは元気いっぱいという人が多い。
少なくとも人生の「上がり」というような実感には乏しく
なんと同期同士で再婚したというカップルまでいて、ほほえましい。
総じて人生の半ばでやや小休止が来た、くらいの感覚。
ただ、仕事についてはリタイヤする人が徐々には増えてきた。
しかし、やはり社会への参加感覚は持っていたいようで、
継続的に働き続けている人が多い。
たぶん、仕事を継続していた方が
精神的にも健康を維持できるのではないか、という気がします。
社会的には、こういった健康な高齢者をどのように活用するか、
社会活性化に活かせるかどうかが、
国レベルでは重要な指標になるのではないかと思います。
社会保障という概念が導入された頃には、
60歳以上人口というのは、ごく少なかった。
だからそのごく少ない高齢者に対して、社会全体で支えようという
そういった哲学に基づいて制度が作られていった。
そういう意味では前提条件は大きく変わってきている。

住宅についても、これまでは高齢化対策というと
バリアフリーというような概念が中心だったけれど、
より能動的な
「ユニバーサルデザイン」という潮流が大きくなって来ている。
どんな世代にも使いやすい、当然高齢者にも使いやすい。
という「デザイン」の問題としてクローズアップされてきている。
先日、石器時代から縄文時代への変化の過程で
社会的に食料調達方法がより簡易というか、容易になったことで
コロニーの中で高齢者が生存可能になった。
そしてその結果、「生きてきたことで身についた知恵」が
世代を超えて共有されるようになって、「文化」の多様性が生まれた、
というような知見を得ました。
そういうことが、住宅においても世界の先頭を切って
日本で始まる、というような見方も持っていくべきなのだと思われます。
注意深く、変化を見ていきたいと思う次第。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンモスの骨の家

2013年04月02日 06時36分59秒 | Weblog


きのう、ある人からわたしのブログについての感想を聞きました。
やはり毎日更新しながら、一定のテーマ性のあるお話しを書いていることに
率直なお言葉をいただきました。
まぁ、どうなんだろうと自分で考えてみるのですが、
やっている本人は必死でして、
当社のスタッフたちから、毎日更新のブログのリクエストがあり、
それを一度決めたことなので、絶対に書きたいと思っている次第。
で、そうなると作戦として、毎日書くのには時間の確保がまず第一の関門。
幸いにして(笑)高齢化してくるので、朝はいくら早くても対応できる。
なので、早朝、起き抜けのおおむね1時間程度を執筆時間とする。
続いては、大まかに興味分野のテーマ付けをする。
当然、住宅に基本的には関連する領域だけれど、
そのなかでも、いくつかの分類を頭のなかに描いて
そのテーマ付けを日々の「取材活動」に活かして、そのような行動様式を考える。
なので、必然的に住宅に関連する興味分野はどんどん広がっていく。
大学の先生とはまったく違うアプローチですが、
いわば、ジャーナリストとしての視点から
日々、日常的な行動に中にそういう住宅についてのテーマを仕掛けておく。
まぁ、そんなルーチンを自分に課しております。
で、やはり、書くということにだんだん、慣れてくるもの。
文章を書いたりすることが基本的に苦ではない。
やはり継続は最大の力ですね。これからも頑張ります。

前置きで、本日はおおむね文章量が多くなりましたが(笑)、
ここのところ、人類と住宅、というような分野にも興味が向かっております。
そんな取材の中で、一昨年だったと思いますが、
網走の北方民族資料館で見学した北方狩猟民の住まいであります。
動物の骨の利用という、まことに即物的で自然的。
こういう生命痕跡への態度には、人間の行動様式全体が試されるように思います。
やはり仏教的、あるいは宗教的素地をDNA的に経ているわれわれには
やや恐ろしげな光景に感じられますが、
かれらにとっては、ごく自然な素材選択であったのでしょうね。
というか、必要を満たすに、もっとも手近にあった素材だったのでしょう。
マンモスハンターという人類の生き延びる歴史的一段階では
本当に切実だったのだと思います。
こういう段階で、人類は生命というものに対する価値認識を
どのように持っていたのか、興味も湧いてきます。
そしてこのような「感受性」が、わたしたちにどのように繋がってきているのか、
そういうことにも、思考が巡っていきますね。
ふむふむふむ・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪割りサンデー

2013年04月01日 06時25分14秒 | Weblog


きょうから4月になって、ことしも四半期が終わりました。
ということで、国の年度も改まり、暦の上でも春の訪れであります。
が、やはり北海道の春はまだまだ遠い。
でもやっぱり早く春が来て欲しい。
そういうことで、この時期になると北海道・札幌では
家の前に冬の置き土産の固い雪、まぁ氷のかたまりになっているヤツを
叩き割って、細かく砕いて、という雪割り作業が行われるのです。
土曜日はちょっと多用だったので、きのう日曜日、
わが家でも着手開始いたしました。
お隣近所では、みなさんウィークデーにも作業できるようですが、
夫婦とも仕事しているわが家では、休日のお勤めであります。

2台分の駐車スペースの方は
積層している床面の雪の塊を砕くとなると、大変な時間がかかるので
こっち側は自然に太陽さんに任せることとして、
玄関前の約15㎡ほどの場所の雪割りであります。
高い場所で50cmくらいで、家の周囲には煉瓦の床面が一部露出している
というような状況からスタートであります。
ちょうど春休みの高2の息子が、露出部分の拡大から着手。
夫婦でその様子を歓声を上げながら見ておりましたが、
約30分で撤退して参りました。
どうしたのかなと聞くと、「つるはし壊れてる」ということ。
見ると木部と鉄の繋ぎ部分がやや心許ない状態で、
ヘタをすると抜けてしまいそうな印象がある。
でも、これまでもそんな印象だけれど、実際は大丈夫なんですが
まぁもう20年くらい使っているものなので、不安もあって
「じゃ、新しいの、買ってくるか」と
息子とふたりでクルマで出掛けた。
ところが、やや遠くの超大型ホームセンターに行ったら、
「今年度の入荷予定はありません、まったくの品切れです」
という無情の宣告。
どうもみんな考えることは一緒で、ことし買い換えようとした人は多いようです。
最近は振り上げるタイプのツルハシではなく、
上から垂直にまっすぐに氷を叩き割る1本タイプがあって、
「あれ、使いやすそうだな」と思っていたのですが・・・。
ということで、しょがなく、気をつけながら古いツルハシで、えんやこらです。
天気も見ながら断続的に、筋肉痛にならない範囲で(笑)、
夫婦で頑張り続けまして、
おおむね10㎡ほどは完了させることが出来ました。
ことしは雪が多く、前面8m道路面にはまだ50cm以上の固い氷があるので、
それと極端な段差を生じないように、
わが家側の氷も、傾斜をつけるように雪割りしなければなりません。
道路の向こう側にはまだ2m近い雪の壁もあります。
まだまだ、1日ではとてもとても無理。
しばらくは、雪割りサンデーが続いていくものと思われます。
さて、筋肉痛、どうなっていくでしょうか、
今朝は事前のケアが実って痛みはありませんが、さて今後どうなるか、
ハラハラドキドキの雪割り月間が続きそうです(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする