きのうは千葉県佐倉市の「歴史民俗博物館」での展示セミナーを取材。
震災の歴史というような企画展でした。
この模様については、別の機会にまとめたいと思っています。
で、展示の中でどうしても目が止まってしまったのが
関東大震災の非常時に行われてしまったという
在日外国人への加害行為について記述されている。
目を覆いたくなるけれど、わたしたちの社会はそういう過去を持っている。
いま、考え始めている日本社会の移民政策において、
こういった「排外主義」をそのまま持ち続けていては
たぶん、これからの日本国家社会を維持していく上では
大きな問題として浮かび上がってこざるを得ない。
そういった認識を突きつけられたように思います。
当時と今日では時代背景も教育レベルも倫理も違いがあるけれど、
流言飛語と騒擾自体は実際の多くあったことは疑いがない。
どうしてこういったことが起こり得たのかについては、
やはり日本社会の排外主義が、その絶対局面で顔を出したと言うことだろうと思う。
世界の歴史で見れば、そのようなことは起こり続けても来ているので
日本だけの問題とは言えない部分もあるけれど、
わたしたちの主体的な問題としては、考えていかなければならない。
多民族化していくとしたときに
多数派である日本人の側の認識がどのようになっていくか、
そのことは課題にしていかなければならない。
そうでなければ、この日本社会を維持していくために来てもらおうとする
多くの移民のみなさんに対して、
「安全」の環境を提供していくことが出来ない。
だから、これは日本の国家戦略にとって、きわめて重大なことであり、
真の国際化ということは、こういうことであるのかも知れない。
日本人が国内人口で8割で多数を形成するとしても
2割程度は外国人が人口を占めるようになる社会で
どんな倫理観、国家観をわたしたちは持たねばならないか。
移民の受け入れは、こういった点についての未成熟さを
わたしたちに突きつけてくるように思われます。