三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

江戸期の村社会

2014年04月04日 06時33分58秒 | Weblog



陸前高田のことは今回の津波被害からの復興の状況を見つめ続けてきているけれど、
当然ながら、彼の地には独自の歴史が積み重なっている。
そんな展示会が東京であったので見学して来た。
そのなかに、「大庄屋・吉田家」のことが取り上げられていた。
古民家建物という興味もあるけれど、それとは別に
江戸時代という時代は、武家が確かに権力は握っていたけれど、
実際の経済運営は、庄屋層や都市の商人たちが担っていて、
そういった様子について大きな想像力を持っていないといけないと思う。
そんな様子をうかがい知る資料を見ることができた次第。
陸前高田の村は、江戸時代、伊達藩領だったけれど、
この地域の行政・財政の地方行政については、
この吉田家が、すべてを担っていたとされている。
その行財政の様子は、詳細な「定留」という記録文書に記載され続けてきている。
そのなかには、詳細な日々の行財政の様子が坦々とつづられている。
税として納められた詳細なものの記録など、
その背景としての気候風土条件などが匂い立ってくる。



陸前高田は、震災にも残った松が有名になったけれど、
江戸期を通じて、地元民がこれらの松を防砂林として植え続けてきた。
今日に残る絵図面に、民家群を守るように描かれた松並木がある。
記載では、ある農業生産者が植え始めたと書かれているようです。
そういえば、はるか日本海側の庄内地方でも
日本一の富豪と言われた本間家が、永年、防砂林を整備したことで
豊かな米所として、庄内は名声を博していったということだし、
生産力向上を考えれば、だれもが思い至る事業なのだろうと思う。
そういった「防砂」を目的として植えられた植生が
やがて、地域のプライドにもなっていくあたり、
ひとの仕事というものの本質的な部分を感じさせてくれる。
コメント
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