一般的に人の人生は60代から男性は退職後、女性は家事・子育てが終わると新しい出会いもなく、ほぼ穏やかな日々となりますが、あけび歌会で短歌に出会った方々は歌友とこんなにも深いお付き合いの日々を過ごされていたのですね。
驚きとともに感動しきりです。
先日、私の属しているあけび歌会の柘植恵介さんの三回忌の記事を書きましたら、ブログを見られた小笠原嗣朗代表から、大学のゼミで柘植さんと一緒だったとメールを頂きました。
小笠原先生から柘植さんの歌集、もえぎ歌会の柘植さんを偲ぶ歌集を送っていただきました。
あけび歌会の分科会の東京の、もえぎ歌会の方々に柘植さんは優しかったですね。
今回の記事で、彼にお世話になった歌友さん達がエピソードを寄せてくださった歌集のご紹介をします。
3回に分けてご紹介します。

序
あけび短歌会で永く活躍しておられた柘植恵介さんが、本年1月16日に亡くなられた。コロナのためビデオ開催となっているもえぎ歌会に毎月欠かさず出席し画面に元気なお顔を見せておられたが、11月の出席の後入院され、我々の心からの願いも空しく逝去されたのは心痛に堪えない。
柘植さんは私とは大学のゼミの同期の仲間で60年に亘るお付き合いであった。会社生活を終えられた頃、勤務地の北海道の大自然に魅了されて短歌を詠んでいたと伺った私の、度重なるお誘いを受け入れて頂き、平成18年にあけび歌会に入会された。もえぎ歌会に所属し、大津留温先生のご指導を共に受け、あけび誌の編集委員や校正を担当、本部の入退会・会計を担当され、もえぎ歌会の世話人を務めていただいた。
柘植さんは、登山、釣り、スキー、囲碁,将棋と多趣味な方であったが、近年は「詠む・酌む」しかなくなったと次の歌を詠まれている。
詠まざれば耄けの道をたどりけむ
こころ若やぐあけび歌会
柘植さんの歌は、伸びやかにありのままの自分を隠すことなく詠出されている。歌の調べがよく、時にユーモアがあり、そのまま我々の心に響く。
ほろ酔ひて詠みし歌にはこころ在り
衒(てら)ひの無きがその要(かなめ)かも
と昨年11月の遺詠にある。まことに柘植さんらしい歌である。
柘植さんは、あけび歌会でその大きな包容力、人徳で皆さんに敬愛されておられたが、別けても、もえぎ歌会では、その中心にあって、歌の指導、会のお世話とともに周囲の人たちを和ませる貴重な存在であった。歌会での3時間以上に及ぶ活発な質疑の後の二次会を楽しみにしておられ、みんなと酌み交わしながら、時を忘れて話し込んだ日々は忘れられない。
柘植さんはあけび歌会での14年間休むことなく投稿されており、合計で1500首ほどの歌を投稿されている。このたび、もえぎ歌会の方々に声を掛けて、敬愛する柘植さんの歌の十首選集を編もうと言うことになった。この選集には、それに加えて、柘植さんを偲ぶ我々の歌1首と自注を付け加えて掲載することにし、このような冊子が出来上がった。(後略)
令和3年6月 小笠原 嗣朗
あけび短歌会
「もえぎ歌会」の仲間による
『柘植 恵介さんを偲ぶ歌集』
〇何ごともありのままなる君なりし
歌の道にもそれが光りき 轟 雄介
柘植君とは、編集、校正の仲間として濃密な一時期があったことを今懐かしく思い出している。校正が終わった帰り道で彼と酒を酌みつつ、きまって思い思いの歌論を熱く闘わせたものだった。彼には折り返しの人生の全てを歌に賭けるという迫力があった。自分の生き様を歌に残そうという自分史へのこだわりも人一倍強かった。また、師に心酔し、その一言一句にひたすら耳を傾けながら、ありのままの自分をさらけ出して歌の道を求め続けていたのである。それは病を得てからも衰えることはなかった。彼にとって病は正に「境涯」だったのだろう。「喉頭がん」ふたたび(一)~(三)」にはそれが如実に表れている。この連作24首を残して彼は朝露の如くに天に召されてしまった。残念でならない。
〇二次会の定席に居てゆふるりと
歌のごとく笑みを絶やさず 飯田 穣壹
柘植恵介さん、大兄との思い出は、数え上げればきりがありません。
始めて親しく話し込んだのは奇しくも東日本大震災の日、白梅忌の帰途、京王線の不通で緊急避難場所となった小学校の体育館。一緒に入会した即詠会で大津留先生の講評に一喜一憂した恰も青春時代のような日々。全国大会後にカラオケで三次会をやろうと二人で企画し会場を探し回った雨の神田の夜。何より、もえぎの月例会の二次会の中華料理店の入り口脇の定席で盃を手に微笑を絶やさず皆と歓談されている大兄のお姿が忘れられません。
誘ひあひ同時に入りし即詠会
あけびのなかのわれが青春
君が歌を詠み継ぎゆけばいつしらに
穏しきものの満ち来るなり 合掌
〇「添削の実例集」より君の名を
見つけ思わず涙込み上ぐ 上杉 勝子
仕事場の「二重橋前」を降りて地下道をまっすぐに行くと日本俱楽部のあるビルがあり、いつも改札を抜けて地下道を見ると柘植さんの穏やかで優しい笑顔が思い出されます。
短歌とお酒が大好きで歌会の懇親会では終わりに近くなる頃に遠慮がちに「もう一本頼んでもいい」と言い満面笑みの顔も忘れられません。
本当に、未だ信じられない気持ちでコロナ禍が終わり歌会が再開すれば、又、柘植さんに会えるような気がしてなりません。
アッ、また涙が滲んできました。
〇中学時学びし君と八十路まで
付き合いできた短歌の力 江本 朝子
中学2年の時同じクラスの柘植さんと六十過ぎての同窓会で会うようになり、短歌をしているとの事でした。ご自分の歌を会にもってきました。その頃より実に上手く感心してましたところ、「あけび会」に勧められましたが、レベルが高いからと物怖じしてました。応援するからということで入会し今日に至ています。友人であり師でもありました。
②に続く。