令和3年1 月16日に81歳で亡くなられた柘植恵介さんとの思い出を歌友のKさんが自歌自注に書かれました。
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ボトルキープに亡き友の「柘植」と書かれたKさんの男の無念が伝わります。
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kさんの先輩の歌友で飲み友達でもある柘植さんを偲んで書かれました。
令和5年2月号から、
酒場にて T.Kさん
在りし日の君の笑顔の浮かび来てバランタインに君の名を書く
早いもので、あけびの先輩柘植恵介さんが亡くなられて二年になろうとしています。歌会に入ったばかりのころ親切に歌会の事情や歌の世界を教えて頂き、おかげで徐々に分科会にも溶け込めることが出来た。
腰を据えて歌を続ける気持ちになれたのも柘植さんが、傍で常に気にかけてくださったからである。歌会の後の「ちょっと行くか」の仕草に即反応し、湯島の行きつけのバー「光」に向かったころが懐かしい。柘植さんとのつながりも、この酒場が原点であった。二人飲み会の場でのさりげない会話がいつも楽しく魅力的だった。酔うほどに口調も滑らかになり、最後はカラオケで締めた。柘植さんの愛した店の後任としては、これからも時々顔を出すようにしたい。
この短歌を月刊短歌誌で最初に読んだ時は、私はKさんと奥様の思い出を詠まれたものと思いました。
ところが2月号の「自歌自注」を読んだ時、「君」は柘植さんの事だと解りました。
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柘植恵介さん
私も平成28年10月18日の東京の全国大会の吟行の時、笑顔の柘植さんに迎えられて、とても親切にしていただきました。
笑顔のよく似合う、思い出深い人がまた一人旅立たれました。
「君」に因んで詠みました。
吟行の川越の辻に手を振りて
「こっちこっち」と笑顔の君は 涼風
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川越の蔵造りの街を散策する会員さん達。
この全国大会の時に柘植さんは
あけび賞25首詠草の2席に入賞されました。
一部をご紹介します。
平成28年12月号より
短歌に魅せられて 柘植恵介
○職退きし頃は思ひもよらざりき短歌に魅せられ迎ふる喜寿を
○怖づ怖づと入りしあけびの歌会を待ち詫ぶる日のよもや来るとは
○み教えのひと言すらも逃すまじ身じろぎならぬ歌会なりき
○亡き母の遺せし日記の端ばしにしるせし短歌の胸に迫り来
○松井せい(せい)様のごとく生きたや短歌の道身の尽くるまで詠みつぎゆかな
「作者の言葉」
学生時代から多趣味を誇ってきた私ですが、ふと気づいたら短歌ひとすじの白髪老人になっていました。入会当時のあの「逡巡」が今では甘酸っぱく思い出されます。今回の詠題は身近な詠題だけに、歌はすらすらと数多く浮かんできましたが、一方では何故か花田先生の「一本の道」がしきりに思い起こされました。書斎の壁の大津留先生の色紙は私の大きな心の拠り所です。受賞は年甲斐もなくやっぱり嬉しい。こころから御礼申し揚げます。(柘植 恵介)