人が最終段階に入り亡くなるときにどこで亡くなるかで、事件性の有無を問われます。
病人を入院させることは、自分が逃げたように思われるし、自分でも罪悪感を持つ場合が多いです。
亡くなった時の3例を書きます。
プライベートな事なのであまり詳しくは書けません。
①私の母(享年85).
最後の1ヶ月は意識はありませんでしたから、自宅で看取りました。私は大阪から行き、実家に泊まり込みました。
下血が酷いのでオムツがグチョグチョになる程でした。
1日一回、家庭医の看護師さんかみえてました。
家政婦派遣所から家政婦さんを10時から4時まで雇い、お昼には介護保険のヘルパーさんに来ていただきました。
ちょうど、ヘルパーさんがお昼ご飯の支度で台所におられたときに母は亡くなりましたので、
「母の呼吸がとまりました」とヘルパーさんに言いました。
家庭医にも電話をしました。
「息が止まりました」
②知人は仕事で日本のホテルに泊まっている時に亡くなりました。
日本人ですが、国籍は米国です。密室のホテルの部屋ですし、外国人ですから事件性ありと、ご遺体は警察に運ばれ、葬式ができるまで1週間程かかりました。
③友人はお母さんを10年間、自宅で看護しました。享年83。
朝起きて、見たら亡くなっていた。まだ体は暖かかった。
事件性を疑われ、警察が来て、調査、友人は警察に呼ばれ事情聴取されました。
すぐに事件性はないと成りました。
第三者が居ないところでの亡くなりは「事件性」を疑われることがあります。