ブログ開設3周年企画
⑯歌を託す
コロナ禍で会場での歌会は昨年の8月から休みでzoom歌会に成っています。
★★2020年6月★★
リコは短歌をしてますが、コロナパンデミックで歌会が2月から休みに成っています。この機会に今までに詠んだ短歌を見直して、人生を見事に生ききられた河野裕子さんに思いを馳せました。
独自の感性と全身全霊で歌を詠われた稀有な歌人の河野裕子さんは平成22年8月12日に64歳で亡くなられました。
京都滋賀の歌枕の地をご夫妻で巡られて、平成20年7月から平成22年7月までの2年間に50回京都新聞にうた紀行を連載されました。しかし、紀行の新聞連載が始まって直ぐに裕子さんに乳がんの再発・転移が告げられました。
再発後の過酷な治療と向き合いながら『京都うた紀行』永田和宏・河野裕子著の出版準備中に裕子さんは亡くなられました。
来年もかならず会はん花棟(はなあふち)岸辺にけぶるこのうす紫に 裕子
こ れからはかなしく思ひ出すだらうあんなも若かつた夜と月と水
和宏
永田さんだからこそありのままの裕子さんと人生を分かち合えたと思います。20代の新婚の頃に、2歳と4歳の子供を寝かしつけて、2人で中秋の名月を見に広沢池へ行った若き日。今、60代に成り永久に輝く月を見上げ、妻はがんの再発と戦っている。いくばくの命が許されるのか。その思いの深さが夜の闇と重なります。
『歌に私は泣くだらう』(河野裕子・闘病の十年)永田和宏・著に次の歌が有ります。
○わが知らぬさびしさの日々を生きゆかむ君を思へどなぐさめがたし 裕子
○のちの日々をながく生きてほしさびしさがさびしさを消しくるるまで
そして、死の前日に永田さん自身が口述筆記で書き止められた歌、
○手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
この3首は言葉にならない哀しみを誘います。残されるご主人を想い詠われていて、重篤な病状の中でこんなにも思いを込めて居られる事に驚きと感動を覚えます。裕子さんは最後の最後まで歌を遺され、その歌をご家族に託されました。
この本は旅立つ人と見送る人の苦悩と錯乱をありのままに正直に書いて有り、歌があったからこそ支え合えた10年の闘病の日々だったと思います。
これら2冊の本から歌を詠む事の凄まじさとかなしみを私は心に深く刻みました。河野夫妻の覚悟を定められた生き様を歌に詠んでみました。
○歌枕訪ねて京に時刻み想ひ刻みしか河野夫妻は 涼風
○裏をみせ表をみせてありのまま思ひを尽くし息を納めぬ
○歌人はティッシュの箱に紙切れに薬袋にさへ歌を遺せり
○闘病に歌人一家の向きあ合ひし十年の日日をわれは羨しむ
○覚悟するいとまもなくて一年の闘病の後に姉は逝きたり
○還暦も古稀も祝はず写し絵に姉五十六の笑顔が遺る
私の姉は1年の闘病の後に56歳で亡くなりましたので、本人も家族も心をどこかに落ち着けるいとまもなく旅立ってしまいました。
わたしの方のブログでたくさんの「いいね」などをいただき、ありがとうございました。
自分が作った歌ではなく紹介させてもらっただけですが、嬉しく思いました。
そしてこちらのブログに訪問させていただけば、河野ご夫妻の紹介の記事・・・。
興味深く読ませてもらいました。また、涼風様の歌も。
お姉さまが早く逝かれたとのこと、辛かったでしょうね。
わが兄(77)は今年初めに連れ合いに旅立たれてすっかり気落ちしています。
「おばあさんになったあなたを見たかった 庭にちひさくまどろむような」という歌を見て、夫婦健在の有難さを思うこの頃です。
長々と書きました。どうも失礼いたしました。
コメントに書いた歌は兄の作ではなく、河野ご主人の歌でした。
歌の後に、(河野ご主人) と書いていたつもりでしたが、
書き直しているうちに消してしまったようです。
誤解を与える書き方をしてすみませんでした。