短歌を詠む時にどうしてもリコは自分の思いを入れすぎることが在ります。
最近、読む人に私の思いを委ねることを気づかせてくれた経験を書きます。
玉と拾はむ
特攻機に乗りゆき散りし子の踏みけむ鹿屋の石を玉と拾はむ 涼風
老夫婦が九州の鹿屋(かのや)特攻基地を訪問して滑走路で石を拾い
奥様が大切そうにハンカチに包まれました。
息子が踏んで飛び立った石かもしれないとご両親は思われた。
この記事を私は新聞で読んで何とかこの事を歌にしたいと推敲を重ねて
誰かの為に詠んだ始めての歌でした。
良き歌を詠みたいとの思いは十分に在りますが実力が追い付かずいつも自分の思いの先走る歌が多くなりました。
そんな中、万葉集の3400
「信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ」の歌を知り、まさに老夫婦の心情が詠まれた歌でした。
だれかの為に頑張り詠草する経験をしたことで独りよがりでなく、
人に判る歌、読者に想いを委ねるゆとりのある歌を詠もうとそんな事に気づかされるきっかけと成った一首です。
好きです。
歌会は6月も休みで、10月の東京の全国大会も中止で誌上全国大会となり、自由詠1首と25首の詠草で応募します。25首は大変ですが良い勉強になります。今後とも宜しくお願いします。
俳句も短歌と同じで、〝人に判る歌〟〝読者に想いを委ねる歌〟が詠めることを目指します。
ただ俳句は字数が少ない分〝言わずに語る〟ことが重要です。言ってしまえば17字を全部使ってしまいますもの。いや、それでも足りないかも…。
短歌はその分述べるところが結構ありますね。そこが俳句と短歌の大きく違うところなんですが…
だから、人に解るのは基本で、その先にある隠された作者の想いが読者に伝わるかどうかがよい歌かどうかの判定に左右するのではないですか?
俳句ではその言外の意味が深く描かれる世界が広いほど佳句になりますもの。
また、短歌には本歌取りというのもあるんですよね。頑張って下さい。
御歌 繰り返口誦させて頂きました。
件の老ご夫婦のお気持ちを共感され、そしてそれを受けての御歌、両者の思いが十分に伝わって
参ります。
まあ、歌作はそれぞれの感ずるところで良いとは思いますが、よきお気づきと存じます。
「人にわかる歌」と「読者に想いを委ねるゆとりのある歌」とは、ニュアンスが異なりますが・・・。
ますますのご精進を念じております。
拙ブログにも短歌関連記事も幾つかありますが、本日のURLは短歌繋がりに。それではまた。