つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

さらば、母校よ。~旧・津幡小学校校舎その4。

2011年05月04日 08時46分35秒 | さらば、母校よ。
シリーズ母校への惜別。
「今日の一枚」は、校舎から体育館へと通じる「渡り廊下」である。

渡り廊下の距離は僅か数メートル。
写真の左右にあるシャッターが開くと、前庭から運動場へと抜ける事もできる。
体育の授業や式典、運動会、夏休みのプール、休み時間の遊び。
事ある度にここを通過した。

また、渡り廊下が「科学」と「学習」の受け渡し場所になった時期がある。
1970年代に、子供時代を送っていた方ならご存じだろう。
「学習研究社」…「学研」から発売されている雑誌、
「科学」と「学習」の思い出があるのではないだろうか。

国語・社会を中心とした『学習』は、1946年創刊。
理科と算数を中心とした『科学』は、1963年創刊。
どちらも読者の年齢に合わせ、小学校1年生から6年生の各学年向けに編集され、
日本の子供達に愛読されてきた。
読み物の面白さだけでなく、教材付録も大きな楽しみの1つ。
特に『科学』の付録は、時代を反映したアイテムが沢山あり、
僕などは、夢中になった口である。

「鉱石ラジオ」「カブトエビ飼育セット」「鉱物セット」「水飲み鳥」
「温度で色が変わる液晶板」も忘れ難い。

毎月、決まったタイミングで、渡り廊下に「学習」と「科学」が並ぶ。
僕達は姓名・学年を名乗って、お金と引き換えに購読雑誌を受け取る。
家に帰ると、時の経つのも忘れて読み耽り、付録で遊んだ。
当時『♪まだかなまだかなぁ~、学研のおばちゃんまだかなぁ~』と、
歌入りのCMが流れていたが、まさに心待ちにしていた。

しかし、2009年度を持って両誌共、休刊。
正直、寂しい。
思い出は残るが、追体験できなくなってしまった。
「学研」では、その理由について、
少子高齢化、理科ばなれ、紙媒体への需要ダウンなどを挙げている。
企業としてはあり得る選択だとは思う。
だが、個人的にはこの状況に一抹の不安もよぎるのだ。
理科に興味を無くすとは、世の中に興味をなくす事にならないか?

どうして雨は降るのか?
どうしてお湯は湧くのか?
どうして火は熱いのか?
こうした日常の不思議について学び知りたいと思う動機は、
理屈ではなく好奇心だ。
雑誌休刊は1つの事例だとしても、
自然や目に見えないものへの敬意が失われていくようで不安である。

そして、何より寂しい。
思い出は残るが、追体験できる存在が消えてしまった。
写真の奥…光輝く先にあったはずの体育館も、今はない。
コメント (2)
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