つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

今は昔、津幡に国の道ありき。

2011年05月28日 07時45分14秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町内を走る、県道59号線。
撮影場所は、旧・津幡小学校があった大西山の裏手。
家から散歩に出かければ、片道数分の距離である。
だが、小学校低学年の僕にとってそこは、最果ての場所。
「ルビコン河」並みの「国境」だった。

『あそこは、自動車が多くて危ないから近寄ってはいけない!!』
当時、母親は事あるごとに、そう口にしていた。
何度も、何度も…。

確かに、交通量が多かった記憶はある。
トラックやダンプが朦々と排気ガスを撒き散らしていた。
現在と比べると、インフラが整っておらず、
道路には信号機が少なく、横断箇所も限られていたはず。
周辺道路の本数も少なく、交通が集中したであろう事は想像に難くない。
歩道も狭く、子供にとっては危険。
だから、10歳を超えるまでは、一人では決して越えてはいけない道、
足を踏み入れてはいけない道だった。

昭和40年代…「いざなぎ景気」を謳歌していた日本は、
物流に勢いがあっただろう。
その後のオイルショックを経て、ガソリン価格がグッと下がり、
モータリゼーションが加速し、自動車は「一家に一台」の時代に。
交通事故が社会問題になり、
津幡町でも「人と自動車の共存」を意識し始めた頃である。

県道59号線は、かつて七尾と金沢を結ぶ幹線道路…
「国道159号線」の一部だった。
しかし、津幡町内の交通の流れが変わった今は、
羽咋郡・宝達志水町~津幡町・太田間の主要地方道にすぎない。

ずい分と自動車の量も減り、歩行者にとっては優しい道になった。
コメント (6)
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