シリーズ母校への惜別。
「今日の一枚」は「かつての前庭」である。
画面右、3羽の石の鳩を乗せた校名のプレート台はそのまま。
その奥、隠れているが鯉が泳ぐ池と周囲の木々もそのまま。
画面左、数多の学童達を迎え見守ってきた松の木もそのまま。
しかし、慣れ親しんだ風景は、こんなに空が広くなかった。
津幡町にお住まいの方、縁のある方なら御存じの事と思う。
撮影場所になった大西山には、かつて城があった。
源平合戦の折、平家軍が街道を見下す砦を造ったのがルーツ。
戦国期には「上杉謙信」が陣を取り、七尾城平定の足掛かりになる。
やがて、織田軍団の将「前田利家」の支配下に入り、
加賀と能登を繋ぐ要衝として、重要な役割を果たしてきたが、
太平の世の訪れと共に、廃城。
こうしたプロフィールは、以前の投稿でも書いたとおりである。
そして、昭和生まれの僕にとっては、
旧・津幡小学校こそ、堂々とした城だった。
正面にショベルカーのアームが見える。
手前には、解体現場を遮る塀が見える。
かつて、そこには4階建の校舎が見えた。
いつも目にしてきた学び舎が、ついに消えた。
「今日の一枚」は「かつての前庭」である。
画面右、3羽の石の鳩を乗せた校名のプレート台はそのまま。
その奥、隠れているが鯉が泳ぐ池と周囲の木々もそのまま。
画面左、数多の学童達を迎え見守ってきた松の木もそのまま。
しかし、慣れ親しんだ風景は、こんなに空が広くなかった。
津幡町にお住まいの方、縁のある方なら御存じの事と思う。
撮影場所になった大西山には、かつて城があった。
源平合戦の折、平家軍が街道を見下す砦を造ったのがルーツ。
戦国期には「上杉謙信」が陣を取り、七尾城平定の足掛かりになる。
やがて、織田軍団の将「前田利家」の支配下に入り、
加賀と能登を繋ぐ要衝として、重要な役割を果たしてきたが、
太平の世の訪れと共に、廃城。
こうしたプロフィールは、以前の投稿でも書いたとおりである。
そして、昭和生まれの僕にとっては、
旧・津幡小学校こそ、堂々とした城だった。
正面にショベルカーのアームが見える。
手前には、解体現場を遮る塀が見える。
かつて、そこには4階建の校舎が見えた。
いつも目にしてきた学び舎が、ついに消えた。