7月5日、
スピリチュアルな学びを通して出逢った友人と
約3ヵ月ぶりに お茶とランチをしました。
お互いの近況報告や、多岐に渡る深い話は
いつものように 尽きることなく(笑)
お互いの質、お互いの歩みの中で
それぞれの心地良い手段方法、
お互いの表現する言葉、感じ方などは
違うのかも知れませんが、
お互いの経験値や日々思い、感じる事を、
お互いが委縮する事なく、遠慮することなく
相手の瞳をしっかり感じながら、
相手のフィールドを無意識に確認しながら
今、この時に それぞれが感じる 偽りのない思いを
それぞれの音霊に載せて
語らうことが出来たのではないかと自負しています。
本当に お互いを認め合える関係と言うのは、
相手が自分と違っていても、
たとえそれが自分の意に反する事だとしても
自分の考えに固執して 相手を自分の安全地帯に
引っ張り込んだり、説得したりすることではなく、
そして相手をけなす事なく、批評をする風でもなく、
お互いの聖域の中にズカスガと入り込む事もなく
共に魂の部分での会話のキャツチボールを
愉しめる関係なのではないかと、ふと感じさせられた、
酷暑の中にも 清々しい風が吹きぬけているような
おだやかな日となりました。
人間は日々自分のペースで
進化向上をし続けるようですが、
私はメールの遣り取りではなく、
久しぶりに対面した彼女から聞かされる言葉達に
いつにない彼女の 強いゆるぎない意思、意志を感じ
心の中で
「あぁ、本来の彼女が漸く輝き始めたんだな」と
とても嬉しく思い そして より素敵に視えました。
スピリチュアライズされた生き方を
私のペースと歩幅でやっと歩き始めることが出来た今
私自身に於いても漸く、
本来の私が 顕われてきたように思います。
どんな自分のことも嫌わずに、卑下せずに、
自分が自分のことを無条件にただ受け入れ
自分が自分を批判しないで、
「まだまだ自分なんて駄目」だなんて、
自分が自分で勝手に枠を作ってしまわないで
認めてあげられる日々というのは
なんて 愛おしいのでしょう。
薄皮を剥ぐようにそうした日々を実践していく中で
私が私でいられること、私が私で存在する事は
こんなにも心地良いのだ、と気付く日々です。
自分の人生に、決定けんを下せるのは
他でもない 私自身であることに気付いた時
私はそれを もう決して手放すまい、
渡すまいと私が私に誓いました。
本当の意味で自分を大事に思い、それを実践した時、
その延長線上に
【相手のことを認め、尊重することが視えてくる】と
知りました。
人間関係に於いてトラブルが発生するのは、
勿論 様々な理由はあるとは思いますが、
頼んでもいないのに、いきなり相手がノックもせずに
自分の神聖な領域に入り込み、自尊心を
(自分の根幹、大切にしているもの) 否定したり、
ジャッジメントをしたり、と
出すぎる マネをするからなのではないか?
と、時々 感じさせられる事があります。
思います。信頼関係 というのは、
等身大の自分、等身大の相手、
そしてそれぞれの思い、それぞれの個性を尊重し、
信じあえる関係なのではないかしら、と。
今日も 佳い1日をお過ごし下さい。