2000年頃からの数年間は讃岐うどんがブームでした。
書店には麺通団の書いた
「恐るべきさぬきうどん」も平積みされ そんな折、
縁あって数年間、香川県に住まうことになりました。
お餞別に頂いた「恐るべきさぬきうどん」を頼りに
四国ではうどんめぐりを沢山しました
昔からうどんは好きでしたが(十割そばも大好き)
エッジのきいた、艶があり、勢いや弾力のある、
太めの本場さぬきのうどんを頂いた時は
それは驚き 感激しました
特に好きで よく頂いていたのは、
木の桶にお湯とうどんが入った 釜揚げうどんや、
ゆがいた熱々のうどんに卵をおとし、
そこにお出汁を回しかけネギや生姜などの薬味を
好みでトッピングし混ぜて頂く和風カルボナーラといった感じの
釜たま(←たまとは生卵のこと)が好きでした。
遊びに来たお友達にも色んなうどん屋さんを
案内しました
今も時々乾麺を買ってきて 釜たまを作ります。
関東に戻ってから少しの間は、あるうどん屋さんの
お出汁の味が忘れられず、味を思い出しながら
自分でお出汁を作ったりしていました。
カンブリア宮殿の予告で、4月下旬に、
店舗数日本一のうどんチェーン丸亀製麺を
取り上げると知ったので、HDDに録画をし、
昨晩 懐かしい思いで 録画を見ていました。
丸亀製麺に行ったことはないと思っていたのですが
番組を見た後行きたくなってインターネットで調べていると
2年程前の春、小田原ラスカに入っている丸亀製麺に
友人とたまたま入り一度食べたことがあることを
思い出しました
幾つかの丸亀製麺店舗が番組で紹介されましたが、
イキイキと働くスタッフや 柔和な笑顔が印象的な粟田社長、
チェーン店でありながら一台数百万円するという製麺機を
各店舗に置き、国内の小麦粉を使い、毎朝各店舗で
うどんを一から打っていることや 加工工場は持たず
だしも昆布や混合節を入れてじっくり旨みを引き出し
毎日手作りしていること、天ぷら、などに使う野菜も
毎日お店でカットし、おむすびも手で握るという
店内調理と知り 嬉しい驚きでした。
丸亀製麺を一代で築いた 社長の粟田貴也氏が、
飲食店を志したきっかけは
大学時代にアルバイトをしていた喫茶店でお客様から
「いつも有難う」「美味しかった。また来るよ」
この何気ない一言に心を動かされ、嬉しくなって
更には社会に自分が必要とされているように感じ、
「これは自分にとって天職じゃないか!」と思い
飲食業を自分の一生の仕事にすると決め、
即座に大学を中退し、開業資金を稼ぐ為に
運送会社で猛烈にアルバイトをし
1年で500万円を貯めたそうです。
そして1985年23歳の時に、
焼き鳥 トリドール3番館を開業し、以降、
焼き鳥をメインにした洋風居酒屋やファミリー居酒屋など
27店舗に拡大したそうです。しかし、2004年
鳥インフルエンザが発生し事業プランの再構築を迫られ、
焼き鳥の代わりに事業の柱にしたのが
当時3店舗出していた丸亀製麺だったという事でした。
丸亀製麺の全国の店に立つ9割(1万6000人)は
パートで、その3割は50歳以上を占めるそうです。
みなさんとてもイキイキとお仕事をされ、
お客さんとのやりとりにも さりげない思いやりや
ちょっとした気遣いがあり愛が一杯溢れているなぁ~と
感じさせられ、とても素敵な場と感じました。
番組でも伝えていましたが、
年齢を刻んだ人達の接客は本当に温かいと、
私も思いました 番組を通して
【観察は気配りであり 愛である】
そんな風な事を感じ心がフワッと温かく優しくなりました。
そう遠くないうちに お友達を誘って
丸亀製麺を訪れたいと思います
今日の作品【観察】はこんな風に
テイッシュをねじって 僅かな墨をつけてかきました。