昨日、年始のあいさつに実家を訪れた際、
父が和室から5cm幅のキングファイルを持ってきました。
自身の人生を振り返り、簡単な自叙伝のようなものを
書きたいと思っていたらしく、親戚に家系図のことを
何となく話した所、昨年の11月下旬わざわざ遠方より
親戚のご年配のご夫妻が父の為にその方のお嬢様が
調べて下さったという、それは沢山の貴重な資料や
写真がおさめられた父であり私の大切なルーツの証、
家系図のキングファイルをお持ち下さったという事でした。
父は簡略な家系図をイメージしていたようですが、
思いがけず頂いた沢山の資料には、3頁に渡る
資料インデックスがあり、資料名、資料の所蔵・入手先、
更に備考欄まで設けられていました。
実際の資料は歴史を感じさせる
先祖代々の名前、
旧姓、性別、続柄、生年、没年、死亡時の年齢、
墓所、戒名、霊号、事項が
それは克明に記されており、
歴史に関心がある私にとって
それは大変興味深く、
暫しファイルを見入っていました。
折に触れ父から会津がルーツであることは
聴かされていたのですが、家系図の一番最初に
名前の出てきたご先祖は1603年頃に生れ
加藤式部少輔明成に仕えていたが(知行450石)
寛永20年(1643年)5月3日、加藤家石見国転封に伴い
ろうにんとなるが、天保2年(1645年)3月、
天樹院(千姫)の仲介で会津保科家(松平)に
召し抱えられ(知行450石)
〇〇〇〇〇〇の娘と結婚 etc・・・・とありました。
(↑名前は敢えて伏せました)
まさか1603年から先祖の名前他を確認できるとは、
夢にも思わなかったので、
それだけで感激もひとしおなのですが、
あの千姫様が、ご先祖の為に
仲介役をかって出て下さったことに
言い知れぬ感動を覚えると同時に
有難く思いました。
又、1851年に生れ1914年に没した
先祖の事項欄には、
会津戦争時、白虎隊として出陣との口伝、とあり、
その様子も書かれていました。
(今も残る先祖のお墓とその写真に感動しました)
何故なのかは分からないのですが、
昔から会津という響きに懐かしさを感じていました。
また、ここ数年来、親しくさせて頂いている方々は
東北のご出身の方々が多いのにも
不思議な縁(えにし)を感じていました。
長男である弟はこうした事に関心がないのですが
私は昔からお墓参りが好きで、
大人になってもちょくちょく1人で電車に乗って
1度も会ったことのない父方の祖父母の眠る
お墓へ参り、そこからほど近い
自身の産土の神(神社)にも参拝しています。
2014年のお正月、思いがけず
先祖の歴史を紐解く機会があり、改めて
受け継がれし命の重みを感じ、感謝すると共に
ご先祖様の行いに恥じないような日々を
過ごせたら、とおもいました。
父から借りてきた家系図ファイルを読みながら、
弱気を助け、強気を挫く的な、
熱い男気のような部分が
私の中に根付くのは、
少なからず?ご先祖様の影響を
受けているのかなと思わされ腑に落ちました。
新たな年の始まりは、実に爽やかで
感慨深く、身が引き締まる思いです
ご先祖様、調べて下さった方、
有難うございます。