イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

負傷し不便を知りて知る有難さよ

2014年10月09日 23時45分33秒 | 日常のあれこれ

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 9月中旬、使用している2つのキッチンバサミのうち、
   長年愛用している方のキッチンバサミの方が
 いよいよ経年劣化の為か 片方の樹脂がひび割れ
       ポロポロと崩れてしまいました
 といっても、肝心なハサミの刃の部分は全く問題なく、
  切れあじも良かったので このままサヨウナラと、
     処分してしまうのも しのびないと思い、
 片方の柄は完全に取って、注意しながら 引き続き
   使用していました。それから数日後の9月29日、
猫のご飯の外袋の封を切ろうとした時、いつものように
 十分気をつけてハサミを握ったつもりが、樹脂が取れ
むき出しになり尖った部分が利き手親指をグサッと捉え、
 「痛っ」と思った瞬間、もう赤々とした血がポタポタと
   垂れていました。止血したのち、夕食を作る為、
       キッチンに立ち、食材を刻んだあと、
   いつものように包丁を洗おうとしたのですが、
  あろうことか、シンクの包丁を手にした時、刃先が
       利き手 薬指を軽くチョンと突つき、
  同じ日の僅か十数分の間に、利き手の2本の指を
     刃物で切ってしまいました。こんなことは
    これまでになかったので、流血を見ながら
    「今日は一体どうしちゃったんだろう?」と
不思議に思うと同時に「2度ある事は3度あるになったら
   イヤだなぁ~」と一瞬思いましたが、それでも、
   「(切ったことは)大難が小難」におさまり、結果、
    ことなきを得たのかもしれないと、スッと思考が
        良き方へと切り替わっていました。

       昔から ちょっとした切り傷くらいでは
   消毒をしたり 薬を塗ったりせず、自然治癒力で
    ゆっくり、自然に治していたので、この時も
 絆創膏も貼らず自然に傷口が塞がるのを待ちました。
  しかし利き手 親指先の切り傷は思っていた以上に
不便を感じました。何かを持つ時、フタをあける時etc・・・
    力を入れると傷口が塞がらないこともあり、
    他の指で親指をかばうようにしていましたが、
   これまでササッと当たり前に出来ていたことが 
    切り傷ひとつで こんなにも時間がかかり、
   また、どの指も皆、大事ですが、要である親指は
    本当に色々な場面で活躍してくれていたと
  今更ながら気づき、
感謝の念が湧きあがりました。

 1週間程経ち漸く傷口が塞がり、日常のあれこれが
     スムーズにでき始めたのも 束の間、
  今朝、洗濯物を干していた時のことでした・・・・・
    物干し竿の端が若干錆び、銀色の塗装が
    少しめくれていることに気づいたのですが
  まさか それが刃物のように固いとはつゆ知らず、
 物干し竿についていたハンガークリップを移動させようと
    躊躇なく利き手で外そうとしました。すると、
   手が滑り、銀色の塗装がクルンとめくれた部分に
利き手親指がグサッとささり、その走るような痛みに
     「えぇーっ こんなに固かったの?」と
     一瞬寒気が走ったような気がしました。
   洗濯物を干す途中での 想定外の出来事・・・・
      困ったことに 前回の時とは異なり、
     傷口はもう少し深く、切れた範囲も広く
      止血しようと指の根元を抑えても、
   血は中々止まらずにドンドン溢れ出ています。
どうしよう・・・・その後正しいのかは分かりませんが、
 ぬるま湯で傷口を洗い、テッシュで軽く拭いたあと、
   止血他の件で 友人に電話をさせて貰い、
         アドバイス頂きました。

   普段から薬にお世話になることがない為、
塗り薬をはじめとして薬という物が我が家にはなく
    今の所 その必要性も感じていない為
         薬箱も置いていません。
 絆創膏は必要かも、と 数か月前に久しぶりに
購入していました。前回のように絆創膏を使わず
   自然に治すことは 今回は難しいと判断し、
 水仕事をする時や手先を使った作業をする時は
        絆創膏をつけています。
 幸い心臓がズキンズキンするような鈍痛もなく、
    今、pcのキーをトコトコしていますが、
 傷口を乾かす為にも 絆創膏は外しています。

2週間にも満たない中で、立て続けに利き手親指を
  負傷するということは初めての経験でしたが、
 親指を負傷したことの意味を、ただの不注意、と
  やり過ごしてしまうことなく、もしかしたら・・・と
    思い当たることや 感じさせられたことを
      自身の中で掘り下げてみました。

日常の中で何気なく起こった一見些細と感じる様な
    出来事であるほど、人は まさかそこに
  大きくて 大事なメッセージが隠されているとは
   中々気付けないものなのかもしれませんが、
 見落としてしまいそうな ささやかな事象にこそ
  実は、後々役立つ 素晴らしいメッセージであり
     サインがある、教えてくれている、と
        そんな風に思わされます。

  基軸を大事にし、慎重に こと、運びながら
        変化を静かに受け入れ、
    様々な事象に 一喜一憂することなく、
      いよいよ動く時期を見極める

   私の中で最近とみに感じさせられている
      わたし自身に関することです。

    サインは、色々な形でやってきます。

 それは連日見る夢の中に象徴的にあらわれる
         物や状況であったり

 また 蝶が親しげにエレガントに 「ごきげんよう」と
 身体の周りを軽やかに飛んでくれることもしかり

数字がメッセージを届けてくれるという事もあります。

私はよくゾロメを目にするのですが昨日外出先では
5分以内に続けて1111、999、1111、3333、
      77のゾロメを目にしました。

勿論それぞれの数字にはちゃんと意味があります。
  特に最近 頻繁に999のゾロメを目にするので
    あ、やはり・・・と 静かに準備しています。

また、初夏辺りからは割と頻繁に思い入れのある
  長年愛用している食器やグラス、硝子製品など、
  どう考えても 割るシュチエーションじゃないよね?
という場面で結果
割ってしまう、という事が続いています。

 その事象から「ブレイク・スルー」という言葉が浮かび
 勇気を出して 自分の殻を破ることや、決断、そして
  出逢いも含めた 新たな始まりを示唆しているとも
            感じさせられます。
長きに渡り紡いできたものの動きのなくなった関係性に
終止符がうたれることになり、緩やかに、でも大きく変る、
   温故知新という言葉もふと、感じさせられます。

指の負傷を通して、また、静かに内なる自分と対話でき
   そしてまた 不便さから身体の大切さを思い
          感謝する日々なのです