イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

大丈夫、見てくれている人ちゃんといるから

2014年10月27日 02時16分00秒 | ハート♡の作品

 

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 もっと一緒にいたいな・・・と感じる人と過ごすひと時は

         あっという間に過ぎゆきます。

   たえず想いを音に乗せ 言葉に変換しなくても

      息遣いや間も しっくりきて心地よく

     そんな時、その場はマイナスイオンに

    ふわっと くるまれているのかもしれません。

 逆に居心地悪く時間が中々過ぎないナァと感じる時は、

 「私が・・・私が・・・・」を連呼し、「こんなことをしました、

   あんなことをしました」と 話の流れをせき止め
 
      相手の話しを遮って 場の空気を乱し、

       話の腰を折るような 自己顕示欲が

 あまりにも強い人と過ごす時間はとてもつまらないし、

         どっと疲れてしまいます

自分にゆとりがある時はそうした人を目の前にした時 

自己主張をし続け 話題の中心に留まり続けることを

  こんなにも切望するのには 何か理由(わけ)が

あるのかもしれないと思い、心の中で冷静に客観的に
 
   「もしかしたら 長きに渡り 周りの大人達から

      安心の中で 無条件に受け入れられ、

  認められ 評価される(褒められる)という経験が

     とても少ない環境で育った人なのかな? 

     または兄弟の誰かと常に比べられ続け、

  兄弟の誰かは いつも褒められているのを見て

     大人の自分は気づいていないけれど

  その時、本当はとても悲しくて、怒りを感じていて

    インナーチャイルドは深く傷ついたままで
 
 幼い頃からの そうした足りない体験を補うように
 
 周りの人や世間から自分がしている事に注目され、

  賞賛されるコトに執着し、同時にそこに喜びや

       生きがいを見出し、無意識に

 『私こんなこともしました』 に 
なるのかな?」と。

           善行をした人が 

   「私 実は いつもこんなコトしてるんです」と

        毎回、自らそれを語り続けると 

    心動くままに行ったその素晴らしい行為が
 
 大勢の人から 凄いね・・・と評価されたいが為に

  してるんじゃない?と 穿った見方をされたら
 
       なんだか勿体ない気がします。

  「こんなことをしました、あんなことをしました」と

言わなくても見ている人はちゃんと見てくれているし

        知っているように思います。

誰も見ていないような所で ただ、気になったから、

   そうしたいから そうしているだけ・・・・と
   
    そっとゴミを拾い続ける人の陰徳もまた

ちゃんと見て下さっている存在はいらっしゃいます。

あなた様の傷ついたインナーチャイルドが癒されます様に