イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

華も嵐も・・・・

2014年10月16日 15時37分12秒 | ラメとサインペンのコラボ

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            つまるところ 

   心とココロが 通いあう関係(あいだがら)には

  計算が働いていない・・・そんな風に思わされます。

目に見えて分かるような誰それさんの立場や地位だとか

つきあうと自分にとってメリットがあるから仲良くしようとか

     ココロの片隅に そんな思いの欠片が

       チラチラと見え隠れしていたら
  
           その関係は・・・・

      あのヒトのそばにいると 得だから・・・・
  
せっせと貢物をするのは目をかけてもらえるから・・・・

      きっと 引き上げてくれるから・・・・

    ほんとは貢物なんて 全く必要ないような
 
   あらゆる面で豊かなヒトにはドンドン贈り物をし 
  
   自分を印象づけるアピール力のあるヒトのことを

 賢いヒトと呼ぶのかどうかは定かではありませんが

 人に関わらず 本来手を差し伸べる存在というのは

  様々な意味において サポートを必要としている

 弱き存在なのではないのかな と、私は思うのです。

  誰かの力を借りずとも 潤い続ける力のあるヒトに

「はいはい~これもどうぞ」と今迄上に向けていた目線を

       意識してちょっと ずらしてみると
 
     色々な光景が広がっていることに気づき

     声なき声が聴こえるように思うのです。

あ、見たくなかったな・・・・あ、見てしまったな・・・・と

      時々 心が傷むことがあります。

     それは ヒトの立場(背景)によって 

  時にとても分かり易く 時に分からないように

 接し方や おもてなし、差し出すものを変える人を

     目の当たりにしてしまったときです。

見ず知らずの人がしていたら全く反応しないことも

    関わりのある人だからこそ驚いてしまう。

    けれど、そういう場面を見せられる中で

        自分は大丈夫だろうか?

     力なき存在や 権威ある者に対して

      威張ったり、媚を売ったりなどせず

     変らない態度で接しているだろうか?

     ぞんざいになってはいないだろうか?

       そう、我を振り返り内観します。

           今日、久しぶりに 

    ある方のブログに立ち寄ったのですが

何気ない日常の出来事が愉しく綴られた記事に
      
       ふわっと ココロ温まりました。

     また、ご自身のお仕事のメニューを

  お客様の立場になって丁寧に分かり易く

     書いていらっしゃるのを拝見し

     彼女らしくて ステキだなぁ~と 

       やはり心温まりました。

   読書の秋、素敵な言霊が溢れた書籍を

      数冊並行して読んでいます。

        さぐり合う必要のない、

 ある意味無防備に素地を出せる関係性や
 
 目に触れるもの、聴く音や言葉に至るまで

   自分で選び取れるものは、やはり

 優しい余韻と心地良さがふんわり残る方を

   チョイスしてゆきたいと思います 

書籍もSNSも、思いやりや温かさに包まれた

     優しい言葉溢れるものからは

 素晴らしいエナジーが解き放たれているので

    元気のお裾分けを頂いています。

 私も紡ぐ言葉を丁寧に 大切に 温かに

  あらわしてゆきたいと、思いました

    みなさまの お幸せを祈って