イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

選・明・介 ~助け合い明るき存在(もの)を選ぶなり~

2016年01月07日 00時00分00秒 | 文字アート



眠る前どんな気持ち(想い)で眠りにつくかはとても大事と再確認して以来、
眠る前は自分自身と自分の身体に感謝をし、
穏やかな気持ちでベットに入るよう心がけています。

以前購入した書籍に付録としてついていたCDのアファメーションをスリープモードで流し
 そのままストンと眠りにおちることもあれば、
中世のケルト音楽を現代に伝える活動している男女合唱グループ、アヌーナのCDの中で
最も魂をドンドンドドドドンとノックされ深く揺さぶられ最も惹かれる「生の只中にありて」を こちら
https://www.youtube.com/watch?v=DGfBwWrNOic&feature=player_embedded

スリープモードでリピートすることもあれば、ヒーリングミュージックを流すこともありますが、
最近は眠りに誘われるまでの数十分、おもむろにブックシェルフから取り出した
数冊の本を手に その中から1冊を選び読み返すうちに眠くなり・・・・
というパターンが続いています。そんな風に 無造作に手に取った本を
数日前の夜読み返していました。当時は何となく読んでいたからなのでしょう。
内容も殆ど覚えていませんでした。
読み進める中で太字で書かれたある一行が目に留まりました。

【直感でいいエネルギーの物、人、場所を厳選する】


「生き生き伸び伸び過ごすには自分の幸せの待っている方向に
真っ直ぐ向かっていけるのが一番です。その為に先ずできることは
自分の好きな物人場所を自分の為に厳選してゆくことです。
自分を知って自分にいいものを選びながら毎日を過ごすのです。
家を出る時には直感のアンテナを全開にしてどれだけ直感のインフォメーションを
キャッチできるのかを楽しみにして出かけてみてください」

とあり、本当にその通りだなぁ~と思いました。

昨年、毎週見ているある対談番組の中で 
有名な演出家が話していた言葉が深く印象に残りました。
彼は日頃 劇団員に「慣れる・だれる・崩れる・去れ」と言っているそうです。
その劇団は知る人ぞ知る 自分を律し厳しくて有名なプロフェッショナルな劇団です。

この言葉は人間関係にも当てはまることだなぁ~と思いながら聞いていました。

美輪明宏さんも折に触れ、対人関係は「腹六分の付き合いが基本」であると、
仰られていますが 私もこのお二方の言葉には共感する1人です。

どちらかというと、自分のことをオープンな性格と思っている方や
身内と他人との境界線があいまいな方にみられがちですが、
親しくなるにつれ許可(確認)を取らず いきなり自分の感情の赴くままに
境界を跳び越えこちらの領域に入り込んでくる方が時々います。
空気を読むことに疎いそうした人達は自分の感情のままに、強い言葉を
ズバッと放ち あっけらかんとしていることも多く、
「この図々しさ、ヤだなぁ~」と思うこともあります。
そうした方の中には見切り発車であろうとも
合言葉は「アクション第一!」と信じて疑わない所があるので、
自分が信じるこれ!と思うことは 一呼吸おいて、とか 
相手の状況や気持ちをよくよく考えてから言葉にするということはあまりなく 
その時々に ほとばしる情熱や思いをガーッと熱い炎を吹きながら前進し
こちらの聖域に入ってきますが こうした行動は、ノックをせず
いきなりガッとドアを開けるのにも等しくて 私はですがこうした方に直面すると
ドキッとし 神経を疑ってしまいます。

親しい(親友)=何でもあり、は 大間違いと私は日頃思っています。

長いお付き合いをさせて頂いている 私の周りの素敵な方々は、
物腰は柔らかく 穏やかで、拒絶するオーラもなく 聴き上手な方が多いのですが、
そうした方々は恐らくご自身では気づいていないように思われますが、
ご自身の前に 「ここからは私の聖域なので入ってこないで下さい」と
看板を掲げることもなく、そうした態度も醸し出してはいないのですが、
ここから先は他を入(い)れない、というようなピシッとした境界線、
結界を張っていらっしゃると感じさせられます。
私は境界線は結界と同じと捉えています。
ここから先は 入ってはいけない はいれない、入らせない、という見えない境界線を
細胞で感じ取る 空気を感じるという いい意味での緊張感があるからこそ、
変な甘えや依存も湧かず 相手を尊重し だらけることなく 
丁度良い距離感の中で節度あるお付き合いをさせて頂けるのかもしれません。
相手の言動が心にささり 影響されるのは 私の未熟さのあらわれですが、
お互いの中で 「こんなことされたら嫌だろうな」と想像し、
お互いを慮れる関係においては、嫌な思いをすることも トラブルもなく
それこそ数十年単位の細く長い いいお付き合いをさせてせて頂けるというのもまた
紛れもない事実です。

肩書が素晴らしく、知識が豊富でも、サイキックでも 人の心の機微や 様々を
察知できない方が多いことに驚かされます。そんな中でやはり
 感じる力、感じ取ろうとする力は 大切と思わされるのです。
境界線を守る ということは 相手の聖域に
「これ以上あなたの中に踏み込むことは致しません」という
言葉なき誓約であると感じます。
双方ともに大事な心が不要な刺々しいものに触れなくてすむと感じるのです。

色々なことを感じ取ってしまう、大胆でありながら繊細な私も
自身に境界線、結界を設けています。
また媚を売らない性質なので、人との関わりの中で一方通行になっていると感じた時や
友人関係も含め その関係性にアンバランスを感じた場合や、
相手が投げやりと感じた場合は こちらの方から そそくさと立ち去ります。
ご機嫌伺いをする関係なんて まっぴらごめんです。(笑)
ほんと、時間が勿体ないので(笑)

冒頭でご紹介した、ある書籍に書いてあった、

【直感でいいエネルギーの物、人、場所を厳選する】

もそうですが、自分がご機嫌で 心地よく暮らす為にはこうしたことを
日頃から意識し 選び取っていくことがホントウに大事と感じさせられます。

本音では、心の中では 会いたくないと分かっているのに断れなくて
なんとなく義理で会う事を約束したり、向かう場所や入るお店にしても
あまりいい感じがしない、雑然とした荒いエナジーを肌で感じているのに、
何となく相手に引っ張られ、リーズナブルだから、というだけで入ってしまうと
やはり終始落ち着かず、会話をしていてもままならないに繋がる気がします。
ある時間を誰かと分かち合う時、その人も、場所と同じく
自分の魂が心地よいと感じる人を選び取っていくことがとても大事で、
丁寧に1つ1つを篩にかけ自分の本音と向き合えば、
結果、無理をしない、ということに繋がるように思います。
恐らく大半の人は自分の気持ちがウキウキしたり、心豊かになるような人と
時間を過ごしたいと思い、関わりを持ちたいと思っているように思います。
表面的な言葉、心にもない綺麗ごとや褒め言葉など
いいことばかり言っていても行動が伴わず、どこか投げやりだったり、
荒々しかったり、雑味があったり、変にプライドが高かったりする人とは
また会いたいなぁ、という気持ちにはならないと思います。

創作活動をする中で 今に繋がる有難いご縁もあれば、
解(ほど)いたご縁もあります。数々の出逢いや別れの中で
「これは自分のものだから渡さない!絶対に教えてあげない!」という
頑なな方が割と多いことに気付きました。こうした方々というのは活動的で
人前にドンドンでていくパフォーマンス能力にも長け、華やかな世界が好きな方なので
比例して交友関係も広くあらゆる分野に知り合いがいらして情報も沢山お持ちで、
知識も豊富でいらっしゃるのですが意外にも、誰かと誰かをコネクトして差し上げたり、
必要な時に必要としている人に必要な人をタイムリーにご紹介するという事はなさらず、
肝心な部分は「あ~げないっ!」と抱えこんでしまうので何だか不思議でした。
以前、そうした方から「凄い人にお会いして名刺も頂いたので今度お話しますね」と
テンション高い興奮気味のメールが届き 「近々会いましょう」ということになりました。直後、
 その人と会ったのですが不思議なことに メインテーマであろう【凄い人物】について
一向に話されないので聞かないと悪いかな?礼儀かな?と思い
「その方は何というお名前の、どういう方なのですか?」と聞いてみると
途端にモゴモゴと口ごもってしまい聴かれたくないことに話題をふられ
  どうやってこの場を凌ごうかと 慌てふためく様子が見て取れました。
 いつも堂々としている彼女とは全く別人の あたふたした様子。
 「あれ?何ていう名前だったっけ?」と、ワクワク感一杯に自分から、
 「お話ししますね~。会いましょう」と言ってこられたものの結局、
 その方がどんな人だったのか名前も含めて謎のままでした。
 終始動揺する彼女を目の当たりにし 彼女のプライドを傷つけるのも
本意ではなかったのでこちらも大人のマナーとしてそれ以上のことを
彼女に聴くことはありませんでした。
凄い人やらを紹介して欲しいというもくろみで会った訳ではなかったものの、
肩透かしをされたような妙な気分でした。意外な一面を垣間見て
人というのは、やはり分からないものだなぁ~と思いました。
その時はその程度でしたが時間が経つにつれ彼女の本質が(といっても一部ですが)
次第に見えてきました。頭の回転が速い計算上手なその人はシェア好きで
一見、面倒見もよく 人と人との懸け橋をモットーにしているような人でしたが
実際は自分にとってメリットのある人と  そうでない人をきっちりと見定め 
お付き合いをしてのちのち得になりそうな方、所謂 上昇気流に乗っている
旬の方々と接点をもつことを好んでいることが分かり、メリットのなさそうな人には
例え知っていることがあっても貝のように口を閉ざすようなタイプでした。

自分でいうのもなんですが私はそうした部分は単純で素直なので(笑)
自分の知っていることや学んだこと、情報は大事な人や友達には、
自分の所でせき止めてしまうことなく大抵はお話ししています。
大事な友達や知り合いが困っていたら 必要と感じたら
自身の知り合いであり 知りうる限りのことを惜しみなく伝え
紹介して差し上げたりお教えするほうなので、こういう根っこの部分は
その人とは元々大きく違っていたんだな~と
お付き合いが途絶えた今、改めて振り返りそんな風に思います。

また、ある時、さっぱりした感じの知人とお茶をしていた時も意外で
心の中では驚いていたのですが、会話の中に「私のお客様」いう言葉が
頻繁に出てきました。その言葉を聴きき 私なりに感じたのは、
この方は仕事をする中でご自身の努力で頑張って人間関係を構築し
その中で沢山のお客さんを得て来られたので、無意識に
私のお客様は他の人に取られたくない、紹介したくないという、
囲みが無意識な言葉となって出てしまうのかなと、感じました。
この時もその人にお客さんを紹介してほしいというような目的で
会っていたのでは勿論なく、友人としてお茶を楽しんでいた時の
何気ない会話の中に頻繁に出てきた思いがけない言葉だったので
その時も ただ、ただ なるほどなぁ~と 思っていました。

こうしたケースとは逆に、以前、ある方に
タロットリーディングをして頂いたことがあるのですが
はじめまして、だったその方に、その方にとって
とても大切な方を躊躇なくご紹介頂いたことがありました。
ご紹介頂いた方のお名前他を私はたまたま存じ上げていたので
その方との会話の中で、その方のお名前が出てきたとき、
私もその方を存じ上げている旨、お話ししました。
そんな自然な流れの中で ある方をご紹介下さいました。

僭越ながらこの方は私と根っこの部分が似ているとこの時感じました。
そしてこういう方こそ 本当の意味での人と人との橋渡しであり、
繋ぐ人であると感じさせられました。

ご紹介頂いた1カ月後、有難いことにその方とのご縁が繋がりました。
その際、その方に頂いた言霊が1年後、その流れとなり、
今、希望の途に向かって歩む私の背中をそっと押してくれています。
ご紹介頂いたその方は、人としても ある能力においても
謙虚で本当に素晴らしい方でいらっしゃいました。

人との出逢いは本当に不思議で 本当に有難いと思います。

「友達」という言葉は案外あやふやで 色んなレベルがあると感じます。

友達であり、自分が知っていることでも、持っている人脈でも
心の中では ライバル視しているあらわれなのか?
はたまた その人の心の狭さからなのか?、同業者でなく
自分の仕事になんら支障はなくても、自分が知っていることでも
最終的には知らせたり、コネクトすることなく 抱えてしまう
こうしたタイプの人達もいる中で、
躊躇なく、ご自分の大事な人脈であり、人を紹介下さった方の広いお心に
 折に触れ感謝しています。
その方がご自身のブログで綴られる言霊は一本筋が通っていて美しく、
とても素敵でよく立ち寄らせて頂いています。

この場をお借りして
素晴らしい方をご紹介下さり その節は有難うございました。

選・明・介
インスピレーションで受け取った この言葉のように
自分の心地良さを追求し、しっくりくる様々を選びながら、
おだやかな明るさをもって人と交わり、
ご縁のあった 私が思う私の大切な方々には必要とあらば
引き続き ご縁の橋渡しをしたいと思います。

(ただ、私の場合お人よしな所があるので(苦笑)あとあと嫌な思いをしない為にも、
提供する(与える)側ばかりになっていないか、お互いのバランスがとれているかも
チェックしながらある意味賢く、割り切るところは割り切って
アンバランスな関係にならないよう意識したいと思っています。
聞くこと、受け取ることに関しては積極的なのに、自分の知っている情報や
ご縁は頑なに話さない、口をつぐんでしまうという方も時々お見かけしますが、
そうした人に いいとこどりされたくはないので)