四国への引っ越しが決まった時、魂が叫びました。
「猫が飼いたぁ~い」と子供のように泣きながら言った私。
引っ越しまであと1カ月とちょっと という2000年10月21日、
ご縁あってうちの仔になった、生後3ヵ月の日本猫。
ミーシャと名付けました。初めての猫、雄猫、ミーシャと暮らす日々の中で
動物の純真さ、真っ直ぐさ、あたたかさ、素晴らしさに沢山触れ
感謝する中で、動物の命についても次第に考えさせられるようになりました。
あたたかな命が、なにも悪いことをしていない命が、
沢山産まれたから、野良だから、糞尿をしたから、手に負えないから、
年をとり病気になったからと身勝手な理由で簡単にセンターに持ち込まれ
「安楽死」、「処分」というよく分からない言葉で命をたたれるという現状を知った時、
逃げることも出来ない恐怖の中で早朝、ボタンを押され殺されていく
彼等のことを思うと 暫くの間、思っていても、全ての命を救えない自分が切なくて
また、彼らの生きたい、という思いを想像すると、それは辛くて 哀しくて、
泣いて眠れないことがありました。
なぜ? 人間はそんなに偉いわけ??
一時期facebookで繋がっていた議員の方に このようなことが
廃止になるようにするには、どのように動いたらいいのかを
ご質問させて頂きましたが 返事はありませんでした。
ミーシヤのお陰で、過去世において行っていた
愛護活動の記憶が呼び覚まされ、
創作活動をする中で、自身の作品で彼らの命を護ることをしたい、と
自然に思うようになり、また、こうした場でも発信しています。
いまだ、犬、猫はペットショップで買うもの、
血統つきの流行の仔を 高いお金でブリーダーから買うこと、と
思われている方が多いと思います。
命は物でもなければ、洋服のように流行を追って買うものでもなく、
自己満足を満たす為に 首にかかる負担も考えず、
高価で重いブランドの首輪をつけたり、
例外な仔も勿論いるとは思うのですが、
猫は元々洋服など、好んで着る生き物ではないのに、
SNSにアップする為に無理やり服を着せストレスを与えたり、
クリスマスやハロウィンなどにはお決まりの衣装や被り物を被せてみたり・・・
・ペットの番組の投稿でペットが驚いていれば、
面白いと飼い主が受ける動画を作りたいために、
ペットの心にかかる負担やストレスを考えず繰り返しビックリさせてみたり
芸をしている仔がいれば彼等の気持ちを何も考えず
サーカスじゃないのにおやつで釣って
腰に負担のかかりそうな姿勢で、色んな芸やらせ、
犬種によってはジャンプするのはやはり腰に悪いのに
硬いアスファルトやフローリングので何度も何度もジャンプさせ、
身体に良くないと知っているのか?
お洒落だからと毛を染めてみたり・・・・
日常生活の中でそれって必要なわけ?と思ってしまいます。
真夏の炎天下のなか、肉球の事も考えず、
地面にお腹がつきそうな犬種のことも眼中になく平気で歩かせ、
自分はスマホに夢中になっている。
ペットはアクセサリーじゃありません。
外出する時、早朝や夕方の犬の散歩の時間帯は
なるべく外しています。なぜなら、飼い主さんのことを
一生懸命見て 感じようとしているのに我関せず。
首の負担を考えず、力まかせにグイグイ引っ張ったり、
時折、物のようにぞんざいに扱われている仔を見ると
いたたまれず、胸が苦しくなってしまうので。
今、猫ブームのようですが、新たに命を迎え入れる時、
ペットショップへ行こう! の前に
明日をもしれぬ不安の中、しっぽのついた仔たちの為に
尽力下さる方々の努力により、処分をのがれ 命が繋がり、
保護された仔が沢山いるという紛れもない現実を受け止め、
譲渡会や保護っ仔たちを迎え入れるという選択をして頂けたら
有難くおもいます。
心に傷を追う経験をしながらも、純真な彼等はどこかで人間を信じ、
今度こそ生涯自分を守り、愛し、大事にし、本当の意味で自分を受け入れてくれる
あたたかな家族を待っているということを視野に入れて頂けましたら
とても嬉しく思います。
創作活動をするようになってから改めて気づいたことがあります。
それは、細かな手作業であり、物づくりが好きだったということです。
幼稚園児の頃、折り紙博士と言われ、友達に色々な折り方を教えていたことや、
ラッピングなども含め、子供の頃からそれを特別とも思わずに
細かな作業を当たり前にしていました。