優しい言葉をかけられたり褒められて嫌な気分になるという人は殆どいないと思います。
唯一人には言葉という 素晴らしいものを与えられています。
お母さんもお父さんも お爺さんもお婆さんも ご主人様も奥様も、お友達同士でも
一緒に暮らしている家族の一員である大事なペットさんにも
「私は、俺は褒めるなんて柄でもないし、
褒められて育ったことなんてないしわかんないから無理!」だなんて
言葉にすることを 頑なに拒絶して 照れて 自分の思いを
自分の造った枠の中に閉じ込めっぱなし、なんて勿体ないと感じます。
私自身 肯定され、褒められて育ったほうではありませんが、
普段から友達を含め、人の素敵な所や、日々心をなごませてくれる植物やペットなど
素晴らしいなぁ~、美しいなぁ~ 可愛いなぁ~と 感じたら
毎回 その想いを そのまま言葉にしています。
意識して褒めている訳ではありませんが自然に褒め言葉が口をついて出てきます。
お世辞などは言われても言うのもイヤなので勿論言いません。
心のこもった的を得た褒め言葉というのは、
褒められた側も 照れながらも嬉しそうに見えます。目の奥が笑っています。
素直な方なら、「いいえ、そんなことないです」とピシャリと返したりせず
「あら、嬉しい。そうですか?」と言ってくれることもあります。
目の前の相手をちゃんと見ていなければ褒めることはできないと感じます。
ご自身で自分は口が悪く、けなすことは大の得意とウスウスお気付気の場合は
イヤミや批判といった相手の気持ちがささくれ立つような
相手にとって何のメリットにもならないようような言葉は、発する前に
意識された方が宜しいかと思わされます。
普段、誰のことも認めない、褒めないのに、相手の欠点に対しては
饒舌という困った方もいらっしゃいますが、どんなに根は優しかったとしても
辛辣な言葉を常々発するような人に人は近づきたいとは思わないと思います。
北風と太陽のように。
子供も 大人も お年寄りも ペットも植物も お金なんて全くかからない、
褒めるという 優しくて あたたかな波動にくるまれ 肯定されると
やっぱり嬉しくて 心も安定し、自信もつくように感じさせられます。
時々、友達同士でも会うと意味ありげに上から下までジーッと観察する人がいますが
(相手は分からない様に観察しているつもりでも否定的な波動はちゃんと伝わってます)
こんな風に 心で何かを思っていても、
「絶対に認めてやるもんか!褒めたりなんかするもんか!」的な
刺々しいオーラを放っている頑なな方もお目にかかりますが、
争いのさなかにいる訳でもないのに、何だかそういうのって哀しいなと思います。
特に同性同士でこういう場面も時々見られます。
その人であり、その存在が いま、あなたの目の前に居る時に
どうぞ、恥ずかしがらずに、感謝の言葉をあらわしたり 褒めて差し上げて下さい。
褒め上手な人というのは人間関係において言葉足らずで誤解されるということもなく、
人間関係も円滑とかんじさせられます。
相手のいいところを褒める、ということを意識して習慣にされると、
それぞれの間に あたたかで 穏やかなものが流れるのを感じられると思います。
言葉にすることで、その存在をより愛おしくなり
居てくれることは当たり前ではなく有難い事と、感謝できるようになると思います。
素敵だな、いいな、と 感じたなら 躊躇せず その時に その場で・・・・
時間が経った後 思い出したように
「実はあの時イイナと思ってたんだよ~」なんて帳尻を合わすように言った所で
なんのことやら?と相手には伝わりませんし嘘言ってるなと思われるのがおちです。
素直に相手を褒められる、感謝できるということは、
「私は貴方の存在を認めています。いつもありがとう」のあらわれであり、
先に褒めたからと言って、あなたが相手に劣っている訳でもなければ
負けたわけでもありません。
甘えの生じる家族にありがちですが、相手を非難したり 責める言葉は
びっくりするくらい スルスルと出てくるのに
褒めることは一切しない、では不満が蓄積された相手の心も壊れてしまい
いつか亀裂が生じてしまうように思います。
唯一、言葉という素晴らしいもの持つ私達。
どうせなら美しく 相手も心地よくなるような言葉を使いたいものですよね。
ペットもいい仔だね~。大切よ、と 日頃から褒められてる仔は
心も安定し、穏やかなので問題行動も起こさないと感じさせられます。
動物も 植物もちゃんと貴方の言葉の波動を受け取っています。
私も愛猫を 毎日何十回となく褒めています(*^_^*)
そして最近は自分のことも一杯褒めています。
褒めることのできる人の中に不幸せな人はいないと感じます。