3か月の病院生活の間、一日が過ぎるというよりも、もう朝が
始まる、そして今日もリハビリ、そういう思いでした。
単調といえば単調な毎日です。病室の窓からみる景色も
同じです。
でもこれまでの日常も、そのときそのときに小さな出来事は
ありますが、繰り返しの毎日なんですね。
自由に歩き回ることができないということ、考えてみれば誰もがいつか
そうした時がやってきます。
人に会うことも、いろいろな場にでかけることも、やがては気軽に楽しめ
なくなる。
そう思うと、何気ない日常をすごせることが贅沢のようにおもえて
きました。
それにしても、「歩く」・「歩くことができる」ということが
「生きている」ということを感じさせるものなんだと、
いまつくづくそう思っています。
ひょっとして神様が、早めに気づかせてくれたのかもしれません。
季節は早いですね。
春から、まもなく初夏を感じさせる時期になっています。
私のリハビリは、転院した病院でのアドバイスをうけながら
これからも続けていくことになります。
その病院の庭にも小さな花が顔をだし、そして桜が咲き、新緑が
目に優しく、まぶしくなってきています。


明日のことはわかりません。だからこそ今日をしっかり歩いて、
踏みしめていきたいと思っています。
リハビリのO先生・K先生、看護師さんや介護士さんはじめ病院の
スタッフのみなさん、見舞いに来てくださったみなさん、℡・メール
に付き合ってくださったみなさん。ありがとうございました。
そして、ブログをみながら、「どこにでもあるいてゆけー!」と
叱咤激励くださる奥様に、もちろん大感謝です
(完)
始まる、そして今日もリハビリ、そういう思いでした。

単調といえば単調な毎日です。病室の窓からみる景色も
同じです。

でもこれまでの日常も、そのときそのときに小さな出来事は
ありますが、繰り返しの毎日なんですね。
自由に歩き回ることができないということ、考えてみれば誰もがいつか
そうした時がやってきます。
人に会うことも、いろいろな場にでかけることも、やがては気軽に楽しめ
なくなる。
そう思うと、何気ない日常をすごせることが贅沢のようにおもえて
きました。
それにしても、「歩く」・「歩くことができる」ということが
「生きている」ということを感じさせるものなんだと、
いまつくづくそう思っています。
ひょっとして神様が、早めに気づかせてくれたのかもしれません。
季節は早いですね。
春から、まもなく初夏を感じさせる時期になっています。

私のリハビリは、転院した病院でのアドバイスをうけながら
これからも続けていくことになります。
その病院の庭にも小さな花が顔をだし、そして桜が咲き、新緑が
目に優しく、まぶしくなってきています。



明日のことはわかりません。だからこそ今日をしっかり歩いて、
踏みしめていきたいと思っています。
リハビリのO先生・K先生、看護師さんや介護士さんはじめ病院の
スタッフのみなさん、見舞いに来てくださったみなさん、℡・メール
に付き合ってくださったみなさん。ありがとうございました。
そして、ブログをみながら、「どこにでもあるいてゆけー!」と
叱咤激励くださる奥様に、もちろん大感謝です

(完)