誰か助けて
入院中、同室になった一人の高齢の患者さんを思い出します。
その人が病院に来たのは、私の入院後数日してからのこと。
家でも寝て過ごすことが多かったのでしょうか、片方の大腿骨の
骨折でしたが、ほとんどベッドで動けません。
その日から。私は、「助けて、誰か助けて!」という隣の声を
なんども聞くことになりました

骨折した部位だけでなく、足をあげる、体を起こす、寝返りをうつ、
ちょっとした動作でも痛みが走り、相当につらいようです

コールボタンを押すのも大変らしく、代わりに私が看護師さんを
よんであげることもありました。
看護師さんが、彼の訴えをきいて介護すると落ち着きます。
「どうしましたか」
聞いてくれることが安心につながる、看護師さんの真骨頂でした

ごめんね
夜になると看護体制も変わります。すぐに看護師さんが飛んでくる
というわけにはいかないこともありました。
あまりに彼が看護師さんを呼ぶので、「我慢できないの」と
隣のベッドに向かって声をかけると、「ごめんね」とポツリ

迷惑なことはわかっていても声を上げずにはいられない。
「我慢」は、彼にとってさぞ辛い言葉だったろうと今思うのです。
がんばる、ありがと
同室もしばらくしてのこと、明け方隣のベッドで
「助けて! おかあさん!」と呼ぶ声がー

「どうしたの」と聞くと「おかあさん」とは奥さんのことのようでした。
看護師さんでなく、つい奥さんを呼んでしまったのでしょう。
「痛いでしょうけど、ご飯をしっかり食べて、体を動かして
そして、うちに帰りましょう。がんばれるかな。」と
声掛けをすると、「がんばる、ありがと」

神様がこの人の世話を
見舞いに来た奥さんに「ご主人はつらいようですね」と話すと、
「この人は家では何もしない人です。でも私は姑仕え
の苦労をすることなく過ごしてきましたから、神様が
この人の世話をしなさいということかもしれない。」

奥様は毎朝8時過ぎにはタクシーでやってきては世話を
していたのでした。
世の中にはいろいろな人生模様がある、そう感じた入院生活
でした

(続く)