中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

男の料理

2008-02-15 19:17:07 | 身辺雑記
 電車で、私の前に立って話していた女子学生らしい2人連れがこんなことを言った。

 「仕事をして食事を作ってくれる男はいないかなあ」
 「いないなあ」

 ちょうど終点の駅に着いたので、話はそれで途切れたが、席を立ちながら、まあ、いないか、いても少ないだろうと私も思った。

 今頃は料理も含む家事をうまくこなす若い男性は増えてきているとは聞いたし、男の料理をテーマにしている雑誌もあるようだが、まだまだ「男子厨房に入らず」としている男は多いだろう。私の長男の妻は専業主婦だから息子は家事をすることは少ないようだが、それでも時折休みの日などには気合を入れて料理をすることはあるようだ。私も食べたことはあるが結構美味く、妻子の評判も良いようだ。次男は共働きだから家事は手分けしてやっているが、料理は妻がすることが多いようだ。次男はかねがね、共働きの場合、夫が妻を手伝うのではなく一緒にするものだと言っているが、これは正しいと思う。

 私は、貧乏人の子沢山の家庭で育ち、一番年長でもあったから母の手伝いはよくした。両親は勧めこそしなかったが、私が手伝うのは当然のように考えていたようだった。母は料理が上手だったから、そのせいもあって私は料理を作るのは好きなほうで、妻が在世していた時には、時々手伝ったり、手の込んだものは私が担当したりした。それに私が作ったものを妻が美味しいと言ってくれるのが励みにもなっていたように思う。今は独り住まいだから何かしら作るのが面倒で、いい加減になっている。思い立って少し丁寧に作ることもあるが、作っている間のちょっと楽しい気分も、作り終わって食べる段になると萎えてしまい、せっかく作ったのだから食べなければ仕方がないかと、そそくさと味気ない思いで食べることが多い。

 中国の男性には料理が上手なのが多いし、概して料理することは当たり前のようになっているようだ。西安の李真の父親もとてもうまい。西安に行くと必ず家に招いてくれるが、何皿も作りどれも美味しい。昨年行った時には手打ちの麺を食べさせてもらったが、なかなか美味しいものだった。無口な人で、黙ってゆったりとさまざまな料理を作る姿はいかにも中国の大人(たいじん)という感じでいつも好感を抱く。李真の夫も幼い時からの習慣で厨房に立つことにはまったく抵抗はないようだ。李真の家で夕食の支度を待っているところへ仕事から帰ってきた彼が、一息入れることもなくそのまま厨房に行き、両親を手伝った、そのごく自然な様子が好ましく感心したことがある。肝心の李真は料理を作れないことはないようだが苦手で、一度何が作れるのかと尋ねたら、即席麺と答えたので笑ってしまったことがあった。今でも懶老婆(ランラオポウ=怠け妻)を自称している。もっとも男性が皆が皆料理を作ることではなく、李真の友人の袁毅は夫婦揃って作るのが嫌いで、台所には何もないからきれいだなどと言っていた。しかし日本の男性に比べると概して中国の男性は料理を作るようで、その点では特に上海の男性は上手だと聞いている。

 これからは日本の男性、特に若い人は上手ではなくても、少しは料理ができるようになった方がいいのではないか。共働きならなおさらで、夫だけでなく妻も仕事に疲れているのだから協同するのが当然だろう。そうでないといくら「男子たるもの厨房に入らず」などと威張っていても、所詮は妻に頼りきっているのだから、不幸にして私のように急に独りになったらまことに惨めなことになるだろう。