中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

上海寸描(4)

2008-02-17 09:09:39 | 中国のこと
豫園商場
  豫園商場は上海ではもっとも庶民的な歓楽街で、日本の浅草のようだと言われる。これまで何度か訪れたが、さまざまな専門店や飲食店が並び活気に溢れている。豫は愉に通じて「喜ぶ」、「楽しい」の意味であり、そのとおりに行くたびに楽しい気分になる。内外の観光客も非常に多い。






 専門店が軒を連ねている。


 箸(筷子クァイツ)の専門店。同行のH君がここで家族への土産に買った。




 テレビでよく紹介される南翔饅頭店。ここの小籠包(シャオロンパオ)は有名だが、いつも客が長蛇の列を作っているので買ったことがない。


 美しい飾りも多い。 


 商場の建物の間から見える浦東新区に建設中の上海でもっとも高いビル、上海環球金融中心(右)と金茂大厦。


 この豫園商場では、毎年の旧暦1日の春節から15日の元宵節まで美しい灯火で飾られる。

 

男の料理

2008-02-15 19:17:07 | 身辺雑記
 電車で、私の前に立って話していた女子学生らしい2人連れがこんなことを言った。

 「仕事をして食事を作ってくれる男はいないかなあ」
 「いないなあ」

 ちょうど終点の駅に着いたので、話はそれで途切れたが、席を立ちながら、まあ、いないか、いても少ないだろうと私も思った。

 今頃は料理も含む家事をうまくこなす若い男性は増えてきているとは聞いたし、男の料理をテーマにしている雑誌もあるようだが、まだまだ「男子厨房に入らず」としている男は多いだろう。私の長男の妻は専業主婦だから息子は家事をすることは少ないようだが、それでも時折休みの日などには気合を入れて料理をすることはあるようだ。私も食べたことはあるが結構美味く、妻子の評判も良いようだ。次男は共働きだから家事は手分けしてやっているが、料理は妻がすることが多いようだ。次男はかねがね、共働きの場合、夫が妻を手伝うのではなく一緒にするものだと言っているが、これは正しいと思う。

 私は、貧乏人の子沢山の家庭で育ち、一番年長でもあったから母の手伝いはよくした。両親は勧めこそしなかったが、私が手伝うのは当然のように考えていたようだった。母は料理が上手だったから、そのせいもあって私は料理を作るのは好きなほうで、妻が在世していた時には、時々手伝ったり、手の込んだものは私が担当したりした。それに私が作ったものを妻が美味しいと言ってくれるのが励みにもなっていたように思う。今は独り住まいだから何かしら作るのが面倒で、いい加減になっている。思い立って少し丁寧に作ることもあるが、作っている間のちょっと楽しい気分も、作り終わって食べる段になると萎えてしまい、せっかく作ったのだから食べなければ仕方がないかと、そそくさと味気ない思いで食べることが多い。

 中国の男性には料理が上手なのが多いし、概して料理することは当たり前のようになっているようだ。西安の李真の父親もとてもうまい。西安に行くと必ず家に招いてくれるが、何皿も作りどれも美味しい。昨年行った時には手打ちの麺を食べさせてもらったが、なかなか美味しいものだった。無口な人で、黙ってゆったりとさまざまな料理を作る姿はいかにも中国の大人(たいじん)という感じでいつも好感を抱く。李真の夫も幼い時からの習慣で厨房に立つことにはまったく抵抗はないようだ。李真の家で夕食の支度を待っているところへ仕事から帰ってきた彼が、一息入れることもなくそのまま厨房に行き、両親を手伝った、そのごく自然な様子が好ましく感心したことがある。肝心の李真は料理を作れないことはないようだが苦手で、一度何が作れるのかと尋ねたら、即席麺と答えたので笑ってしまったことがあった。今でも懶老婆(ランラオポウ=怠け妻)を自称している。もっとも男性が皆が皆料理を作ることではなく、李真の友人の袁毅は夫婦揃って作るのが嫌いで、台所には何もないからきれいだなどと言っていた。しかし日本の男性に比べると概して中国の男性は料理を作るようで、その点では特に上海の男性は上手だと聞いている。

 これからは日本の男性、特に若い人は上手ではなくても、少しは料理ができるようになった方がいいのではないか。共働きならなおさらで、夫だけでなく妻も仕事に疲れているのだから協同するのが当然だろう。そうでないといくら「男子たるもの厨房に入らず」などと威張っていても、所詮は妻に頼りきっているのだから、不幸にして私のように急に独りになったらまことに惨めなことになるだろう。

バレンタインデー

2008-02-14 21:47:51 | 身辺雑記
 今年も10日ほど前から百貨店にチョコレート売り場が特設されて、たくさんのメーカーが競って製品を売っている。もちろん女性対象で、どの売り場の前も女性が群がっている。チョコレートは好きだから、この機会に便乗しようと思うのだが、何しろ客はほとんどが若い女性で、その中に割り込んでいくのはかなり勇気がいるし、それに普段はあまり売られていない高級品もあってかなり高いのにも気後れがして、結局はチョコレートくらいいつでも食べられるさと諦める。





 バレンタインデーの起源は古くローマ時代に遡るという。調べてみると、それはおおよそ次のようなものである。

 当時、ローマでは、2月14日は最高神ジュピターの妻で、最高の女神、女性と結婚生活の保護者であるジュノーの祝日で、翌日の15日は豊年を祈願するルペルカリア祭の始まる日であった。当時の若い男たちと娘たちは生活が別で、祭りの前日に娘たちは紙に名前を入れた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚引き、引いた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。
  
  ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する者を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止した。キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、ルペルカリア祭の生贄にするために2月14日に処刑された。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となった。


  このようなことで、欧米ではこの日は恋人達が愛を誓う日となり、互いに花や宝石やチョコレートなどを送り合うようになったと言う。それが日本ではなぜ女性が男性に愛を告白し、プレゼントをするようになったのかは知らない。チョコレートを贈ることは戦前に神戸の著名な洋菓子店が始め、戦後には東京のある百貨店がキャンペーンしたようだがたほとんど関心を惹かなかったようだ。それがどういう契機で、現在のような盛況になってきたのかこれも知らないが、おそらくは生活が豊かになってきたことと、それに伴うコマーシャリズムの発達によるものだろう。

 中国でも最近はバレンタインデーは定着しつつあるようだ。中国語では情人節(チンレンチエ)と言う。情人は恋人のことだが、欧米風に男女互いに贈り物をし合い、また恋人に限らず夫婦どうしでも贈物をし合うようだ。女性から男性にはチョコレートやキャンディーなど甘いものを贈ることが多く、男性からは花、それもバラを贈ると喜ばれると言う。西安の李真は夫にはチョコレート、夫からピアス、袁毅は夫にはやはりチョコレート、夫からはブランドものの腕時計だそうだ。「女は得ですね」と袁毅は言った。2人とも今夜はデートのようで、若い夫婦が仲がいいのは良いことだ。
  
 外国にはおそらくないだろういわゆる「義理チョコ」、日本の女性がチョコレートを贈る対象は1人ではなく、店でいくつも買っていく。だが、今年は東京のあるデパートが、「本命」でも「義理」でもなく、「義理チョコ」よりは格上の「世話チョコ」に的を絞ってキャンペーンをしたそうだ。女性来店者にアンケートした結果、贈る相手は「会社の上司や同僚など」が最も多かったようで、世話になった人への感謝の気持ちを贈るチョコと言うことらしい。いかにもタテ社会らしいことだ。

 これも日本独特のものだが、バレンタインデーに贈物をされた男性がその女性に返礼の贈物をするホワイトデーと言うのが3月14日にある。確か初期の頃はマシュマロデーと言ったと思うが、どういう意味かは知らないがマシュマロを贈ることになった。今ではキャンディーやホワイトチョコレートも贈るようだが、いずれにしても菓子製造業者の発案だろう。前に何かで「情人節」についての中国語の文を読んだことがあるが、日本のようにホワイトデーがないから、中国の男性は二重の負担にならなくていいとあった。他にも柑橘類生産農家などが4月14日をオレンジデーとすることを提案しているようだが、これはまったく市民権を得ていない。

 バレンタインデーは今や「国民的行事」とかで、この日に消費されるチョコレートは年間消費量の4分の1と言うからすごいものだ。もっとも僻みっぽく言うわけではないが、私にはどうにも縁が薄いようで、かつては「義理チョコ」や「ぎりぎりチョコ」をいくつかもらったことはあるが、その程度である・・・のは当然のことか。妻がくれたことがあったかは忘れてしまった。もっとも結婚前の若い頃には、バレンタインデーなどはなかった。


2月6日朝日新聞夕刊

 そのような私も今年はチョコレートをもらった。1つは東京にいる施路敏からで、「義理チョコだよ」と言ったが、わざわざ東京から贈ってくれたから、義理チョコよりも格上の「じいちゃん好きチョコ」と勝手に解釈した。路敏はそれでいいよと言った。彼女は今年は「本命チョコ」を贈る相手ができ幸せそうだ。もう1つはよく一緒に中国に行くH君の奥さんからで、これも義理チョコより格が上の友情チョコと解釈した。さらに中国への教育援助の会の事務局で一緒に事務当番をしている女性からも。これはどういうチョコ?と尋ねたら、愛情チョコですよと笑って言ったから、有難く頂戴した。こんなことで、無論本命チョコはなかったが、何とかこの甘ったるい国民的行事に参加させてもらえたようだ。



ゴローとミーシャ

2008-02-13 08:18:41 | 身辺雑記
 北海道美唄のブログ友Sさんの家の雄猫のゴローが紹介されていた。これまでにも紹介されていたが、Sさんの孫たちが来るとどこかへ姿を消し、帰ると「うるせえ連中は帰ったか」と言わんばかりにまた姿を現すそうで、その様子が想像されて微笑ましい。写真を見ると我が家の雌猫のミーシャによく似ているのに驚く。

 ゴロー

 ミーシャ

 ゴローもミーシャもいわゆるチャトラ(茶虎)と言う毛並みだ。遠く離れている所でもこのように同じような毛並みのものがいるのは面白い。近所にもよく似たチャトラの野良猫が2匹いるが、これらは野良猫特有の警戒心の強い目つきをしているからミーシャとは区別がつくが、ちょっと見ると戸惑うこともある。

 南京の総統府にもそっくりな猫がいて驚いたことがあった。
 

 ミーシャ

 以前テレビでローマの遺跡に住んでいる野良猫たちの生態を撮ったのを見たが、その中にもチャトラがいた。おそらく先祖は共通していて、それがあちこちに広がったのだろう。日本に来たのはいつのことだったのか。

 猫の性質は個体によってさまざまなようで、ゴローとミーシャもそれぞれ個性があるようだが、猫は概してあまり人に媚びることをしない。こちらがいくら呼びかけても「我関せず焉」という態度で、そのくせ気が向くと黙ってのっそりと膝に上がってきたりする。そういうところがいいと言う猫党もいれば、可愛げがないから犬の方がと言う犬党もいる。猫も犬も物を思うことがあれば、人間というものは自分勝手な生き物だと思うかも知れない。

上海寸描(3)

2008-02-12 08:16:33 | 中国のこと
里弄(リーロン)
 上海市街地には旧い住宅が多くある。その住宅の地番表示は、例えば「上海市延安西路649弄60号203室」となる。この弄というのは小路、横丁を意味し、649弄は649番小路ということだ。北京の小路は胡同(フートン)と言う。

 表通りに面した弄の入り口。写真では見にくいが「94弄」とある。


 入口から弄を見る。


 弄の中は狭く洗濯物が満艦飾のように干してあり、庶民的な雰囲気が溢れている。


 唐怡荷(タン・イフ)は幼い頃このような下町のようなところに住んでいて、小さい池に金魚がいたり、葡萄の木があったりして楽しかったと懐かしんでいた。

比較的広い所もある。


 弄で遊んでいた幼女。年寄り達に声を掛けられ、愛嬌を振りまいていた。
 

 今でこそ雑然とし中にあるが、かつては中流の家ではなかったか・






 弄のそばの野菜売りの露店。


 旧い里弄のすぐそばには新しい高層住宅が建っている。


 旧い住宅はどんどん取り壊されて高層ビルに変わる。北京でも同じだが、暮らしの様式や近所付き合い、人情は失われていくようだ。





雪(2)

2008-02-10 11:13:47 | 身辺雑記
 日が当たり始めた頃から、家の周辺でドサンドサンと音がする。外に出ると屋根に積もっていた雪が落ちている。気温は10度。気温が上がったので融けて、屋根に接している下の方に行き、それが潤滑油のようになって滑り落ちる。大げさに言えば雪崩だ。






 午後には屋根の雪はすっかりなくなるだろう。落ちて軒下に積もった雪は北向きの日陰のものはしばらくは残るかもしれない。これが北国ならば屋根に上がって雪下ろしをしなければならないだろう。美唄のSさんのブログを見ても重労働だということがよく分かる。放って置いたら家が潰れるだろう。独居老人はとても北国には住めない。温暖な所でよかったと、落ちる雪を見ながら思った。

2008-02-09 21:56:41 | 身辺雑記
 珍しく朝からずっと雪が降り続き、夕方には4センチほど積もった。初雪でもないし初積雪でもないが、この冬一番の「大雪」となった。




  しかし気温が8度くらいもあり、深深と冷え込んではいないので雪の質は湿雪(湿り雪)、いわゆるベタ雪である。庭木の枝に積もった雪は溶けてみぞれ状になっているし、地面に積もった雪もぐちゃぐちゃしていて足元が悪い。




 ブログ友の北海道美唄在住のSさんが見れば、これが雪か、かわいいね~と言うかも知れないなと思ったりした。



上海寸描(2)

2008-02-08 09:31:41 | 中国のこと
新天地(シンティエンティ)
 西欧風の雰囲気が漂うモダンな町である。上海の近代住宅建築である石庫門(シクメン)を改造し、娯楽施設として生まれ変わった一画。訪れる観光客は多い。多くのしゃれた店が並ぶ。
 
 石庫門を改造した店。








 この建物では20世紀初頭の旧い住宅内部の部屋が保存されていて見ることができる。撮影は禁止。


 カフェテラス。この写真とは別の店でコーヒーを飲んだが1杯40元(600円)で日本よりも高い値段だった。


 小物を売る屋台。さすがにキッチュのようなものはなく、どれもきれいだがやはり高い。






 大阪の日本橋に「上海新天地」と言う中国の物品や書籍、食料品を売ったり、上海にある避風塘(ピフォンタン)と言うレストランのある店がある。店員は中国人が多く、上海出身らしい。食料品は豊富で、中国の店に入ったような気になる。東京のお台場にもあるそうだ。


餃子中毒事件

2008-02-06 13:58:10 | 身辺雑記
 電車内である週刊誌の吊り広告を見た。その中に次のような見出しがあった。

 殺人餃子より怖い!ひそかに上陸、国産に偽装して体内に侵入 「産地表示ナシ」中国産〝猛毒〟食品全リスト
  
 最近大きな問題になっている中国産餃子による薬物中毒事件に関連させた記事のようだが、何とも仰々しい表現だ。この事件では中毒者はあるが死者は出ていない。それなのにどうして殺人餃子などと表現するのか。それに「産地表示ナシ」と言うのにどうして中国産と断定できるのか。また「ひそかに上陸」し、「国産に偽装」したことがどうして確認できたのか。もしこれが事実なら、こういうことをしているのは日本の業者ということになり、天に唾することではないか。見出しを読むだけでいくらでも疑問が起こる。それは本文を読めば分かると言うのだろうが、何かひどくいかがわしい感じがして、わざわざ書店に寄って立ち読みする気も起こらないし、まして買おうとも思わなかった。もちろん「自信を持って取材した」と言うのだろうが、いったいどこまで信用できる内容の記事なのだろうか。

 今朝の新聞には他の2種類の週刊誌の広告もあって、両誌とも中国産食品の危険性をこれでもかと言うくらいにどぎつい見出しで特集を組んでいる。どちらも反中国的な記事が多い雑誌だから当然とも言えるが、「『日中戦争』に発展した『毒入り餃子』」などという穏やかならぬ表現もあり、これでますます一部の国民は中国嫌いになるだろうから、それが狙いなのだろうと勘繰りたくもなる。

 これが、今の日本の一部のジャーナリズムの実態だと思う。私は中国迷爺爺(中国好き爺さん)を自称していても、闇雲に中国が好きで何が何でも中国の肩を持つつもりはない。それでは贔屓の引き倒しになってしまう。焦点になっている餃子は確かに中国産だし、毒物で汚染されていたことも事実だ。原因は徹底的に究明されなければならない。だが、これを書いている現在ではまだはっきりしたことは判明せず調査中で、素人が勝手な憶測で物を言うことではない。このような段階では、マスコミも慎重な報道をするべきで、これらの週刊誌のような煽り方はジャーナリズムとして程度も品位も低い。何にでも便乗して売り上げ部数が増えればよいと言うものではあるまい。ましてやその底に反中国感情を植えつけようとする狙いがあるのなら論外だろう。

 この問題は決して軽視できるものではない。しかし一般の反応は少し過敏だと思うこともある。事件が報じられると厚生労働省や各地の保健所には、全国の消費者から体調不良を訴える電話が相次いでいるそうで、その数は46都道府県2117人(被害が確定した10人を含む)に上ったという。だが、被害が確定した10人以外には、今回知られた「メタミドホス」という毒物の中毒が疑われるケースは出ていないので、厚生労働省は「食べ物による体調不良について、多くの人が敏感になっているようだ」とみているとのことだ。同省によると、入院したのは9人、入院はしないが医療機関の診断を受けたのは379人だったそうで、体調不良の相談の中で比較的多いのが「下痢をした」との訴えだったらしいが、この有機リン系の中毒の場合の症状とは違うと言う。中には「日本産ギョーザを食べて体調を崩した」とか、「何を食べたか分からないが、1ケ月ほど前に体調不良になった」という訴えも相当件数あるようだ。入院した人の中には、医師が「必要はない」と判断しても「心配だ」と自ら入院をしたケースもあったということで、こうなると当事者には悪いが、何かしらばかばかしくもなるし、大げさなようだがこのような国民性だったのかと思ったりもする。

 いずれにしても、確たることが分かっていない時期ではあっても、不安になって浮き足立つような状態になっていることは事実だから、マスコミはやたらに騒ぎ立て、不安を煽りたてるのではなく、むしろ冷静な判断ができるように記事や番組の作り方に配慮するべきではないだろうか。また中国産の食品の危険性を大きく取り上げることのほかに、今回私は初めて知ったことなのだが、日本の商社が莫大な量の食品を中国の企業に製造させていることの問題をもっと深く掘り下げて国民に知らせることも必要だと思う。毒餃子とか殺人餃子などと言って、あたかも劣悪な環境で製造をしているようなイメージを持ち、中国産のものがすべて危険だと言うようなことになれば、中国としても一言も二言も言いたくなり、またぞろ両国間の誤解にもとづく険悪な空気を生み出すことにならないだろうか。



 


上海寸描

2008-02-05 09:04:04 | 中国のこと
龍華寺(ロンファス)
 上海市街地の南西にある上海きっての古寺。約1800年前の三国の呉の初代皇帝孫権が夫に先立たれた母親を慰めるために建立したと言われる。律宗、天台宗、禅宗などに所属してきたが、近年(83年)以降は浄土宗となった。

 龍華寺の門前には龍華塔が立っている。宋代の978年に立て直されたもので高さは約40メートル。


 山門。ここから広い境内に入る。


 龍華寺は宋代の建築様式で、立派な伽藍が立ち並ぶ。例によって文化大革命の際に非常な損害を被り、78年に再建された。中国ではこのような文化大革命の災厄の跡が随所に見られるが、そのたびに革命の名を借りた文化破壊の暴挙であると心底糾弾したくなるし、このような暴挙に民衆を駆り立てた当時の指導者に嫌悪を感じる。

 弥勒殿。祭られている弥勒菩薩は、わが国で言う布袋である。布袋は実在した僧侶だが、その逸話から中国では弥勒菩薩の化身だと言われている。




 弥勒殿から天王殿、大雄宝殿、三聖殿、方丈室、蔵経楼が境内の中央にまっすぐ並んで建てられている。

天王殿。


 四天王の東方持国天王と南方増長天王。四天王の姿も中国では変容して日本のものとはかなり異なっている。持国天(奥)は琵琶を持ち、増長天は宝剣を持つ。


 蛇を持つ西方広目天王(手前)と傘を持つ北方多聞天王。


 天王殿の中央に安置されている弥勒菩薩。


 天王殿に向かって左に鼓楼、右に鐘楼がある。鼓楼には関羽が祀られている。

 鼓楼


 鐘楼


 大雄宝殿。中国の寺院の本殿。


 華厳三聖が祀られる。中央は盧舎那佛。


 三聖宝殿。


 釈迦三尊。


 千手観音。


 五百羅漢。


 仏界の彫刻。


 祈る人達。老いも若きも敬虔に祈る。










 僧侶。若い僧が多く、何やら賑やかに談笑しながら食堂(じきどう)に向かっていた。