長男の次女の孫娘が、吹奏楽の演奏会に出るということなので聴きに行った。会場は長男の家のある滋賀県野洲(やす)市の近くの栗東(りっとう)市にあった。我が家から2時間足らずである。
孫娘は高校1年生、先日16歳になったばかりだ。動機は聞いていないが、中学校のクラブ活動は吹奏楽部で、サキソフォンを吹いていた。高校に入ると1年の時にはクラブは必修なので、仕方なく吹奏楽部に入った。仕方なくと言うのは、近くの大津市にある高校生が主体になっている吹奏楽団に入団していたので、とくに学校のクラブには興味はなかったようだ。2年生になったら退部するらしい。今回行ったのは、高校生達が主体の吹奏楽団の演奏会だった。
吹奏楽は久しぶりで、それも高校生達が運営している会というので興味があったが、今回は孫娘がソロ演奏すると聞かされてちょっと驚いた。いろいろといきさつはあったらしいが、孫娘に決まったとのことだった。
演奏が始まり、華やかな吹奏楽の曲に気分が浮き立ったが、孫娘の出番まではちょっと落ち着かない気分でもあった。
孫娘が演奏する曲は米国の作曲家アルフレッド・リードの「バラド~アルト・サキソフォンとバンドのための」というものだったが、私には初めてのものだった。彼女ははかなり小柄なのだが、それがバンドのメンバーの前に出て頭を下げると、それほど小さくは見えなかった。それに内心はどうかは計り知れないが、落ち着いた様子なので安心した。演奏が始まったが、私には技量の程は分からないがまずまず無難にこなしたのではないかと思ったのは身びいきなのだろうか。とにかく5分間の曲を吹き終わってほっとしたし、この子がとても可愛く思えたのは、ジジバカというものだ。
演奏会場に行く前に長男夫婦と食事をしたが、そのときに先月の成人式で撮った上の孫娘の写真を見せてくれたが、もうすっかり成人した娘のように写っているので感心すると同時に、やはりジジバカ気分になり、なかなかいいじゃないかと頬が緩んでしまった。小さい写真をくれたので、ここにジジバカぶりを発揮して載せる。
妻はせめてこの子の結婚式には出席したいと言い、そのときのプレゼントのための額入りの絵も買っていた。その夢は果たせなくなったが、もしこの写真を見たら涙もろいところがあったから、涙ぐみながら喜んだろうと思う。
孫というものはいくつになっても可愛いものだ。私には4人の孫がいて、人並み以上に優れたところは持ち合わせてはいないが、どの子もそれぞれ可愛く大切な存在だ。中国では小さい子どもを「宝宝(バオバオ)」と呼ぶが、今も孫達から「オジイ」と呼ばれている私にとっては、この子達はいつまでも宝宝なのだ。
孫娘は高校1年生、先日16歳になったばかりだ。動機は聞いていないが、中学校のクラブ活動は吹奏楽部で、サキソフォンを吹いていた。高校に入ると1年の時にはクラブは必修なので、仕方なく吹奏楽部に入った。仕方なくと言うのは、近くの大津市にある高校生が主体になっている吹奏楽団に入団していたので、とくに学校のクラブには興味はなかったようだ。2年生になったら退部するらしい。今回行ったのは、高校生達が主体の吹奏楽団の演奏会だった。
吹奏楽は久しぶりで、それも高校生達が運営している会というので興味があったが、今回は孫娘がソロ演奏すると聞かされてちょっと驚いた。いろいろといきさつはあったらしいが、孫娘に決まったとのことだった。
演奏が始まり、華やかな吹奏楽の曲に気分が浮き立ったが、孫娘の出番まではちょっと落ち着かない気分でもあった。
孫娘が演奏する曲は米国の作曲家アルフレッド・リードの「バラド~アルト・サキソフォンとバンドのための」というものだったが、私には初めてのものだった。彼女ははかなり小柄なのだが、それがバンドのメンバーの前に出て頭を下げると、それほど小さくは見えなかった。それに内心はどうかは計り知れないが、落ち着いた様子なので安心した。演奏が始まったが、私には技量の程は分からないがまずまず無難にこなしたのではないかと思ったのは身びいきなのだろうか。とにかく5分間の曲を吹き終わってほっとしたし、この子がとても可愛く思えたのは、ジジバカというものだ。
演奏会場に行く前に長男夫婦と食事をしたが、そのときに先月の成人式で撮った上の孫娘の写真を見せてくれたが、もうすっかり成人した娘のように写っているので感心すると同時に、やはりジジバカ気分になり、なかなかいいじゃないかと頬が緩んでしまった。小さい写真をくれたので、ここにジジバカぶりを発揮して載せる。
妻はせめてこの子の結婚式には出席したいと言い、そのときのプレゼントのための額入りの絵も買っていた。その夢は果たせなくなったが、もしこの写真を見たら涙もろいところがあったから、涙ぐみながら喜んだろうと思う。
孫というものはいくつになっても可愛いものだ。私には4人の孫がいて、人並み以上に優れたところは持ち合わせてはいないが、どの子もそれぞれ可愛く大切な存在だ。中国では小さい子どもを「宝宝(バオバオ)」と呼ぶが、今も孫達から「オジイ」と呼ばれている私にとっては、この子達はいつまでも宝宝なのだ。