癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

大樹町探訪

2017年09月20日 | 登山・旅行
   
〈大樹航空宇宙実験場~これらの建物のほかに、滑走路もある。一番大きな建物はJAXA(宇宙航空開発機構)格納庫。飛行船などが入っているらしい〉

 忠類道の駅で朝を迎える。夜は雨が降っていたが、朝には青空が広がっていた。

     
 道の駅の裏の丘の上にある「シーニックカフェちゅうゆい」から、朝日に照らされる十勝平野を見下ろす。日高山脈は白い雲の中

     
     忠類のナウマン象発掘現場

◎大樹町探訪
 宇宙ロケット開発で有名な大樹町だが、町のことは良く分からないので、あちこち走り回った。

     
     秋色漂う町民の森萌和山(もいわやま)公園~この上の展望台まで歩いて登った

     
     公園展望台から大樹町市街地を見下ろす
 
     
大樹航空宇宙実験場の一角にある「宇宙交流センターSORA」の展示品やパネル

     
     幼鳥を挟んだ丹頂鶴の親子

     
     晩成温泉
~海が見える温泉だが、ヨウ素を大量に含む全国的に珍しい温泉らしい。ヨード液のような茶褐色のお湯で、イソジンの中に入っている感じとか。

     
     汽水湖の生花苗沼(オイカマナイトー)

     
     晩成社史跡公園
~「十勝開拓の祖」とよばれる依田勉三率いる晩成社は、明治16年に現在の帯広市へ入植し、3年後の明治19年に大樹町生花晩成地区で晩成社当縁牧場を開設し、牧畜業を始めている。
 晩成社は原生林を切り開き、不毛と思われた土地に鍬を下ろし、畑作と酪農を試みた。また、半地下式のサイロを作り、バターの製造やチーズの試作など時代を先取りした酪農経営を展開し、今日の大樹農業の基礎を築き上げた。
 ここには、復元された住居やサイロ跡、勉三が詠んだ『もみじひら歌碑』などが残されている。

     
     当時の晩成社集落地図

     
     復元された旧依田勉三翁住宅
~この家に明治26年(1893)から大正4年(1915年)まで住んでいた。

     
     深く掘り込んだ半地下式のサイロ跡

     
 昼食に食べた大樹町ご当地グルメ「大樹チーズサーモン丼」(980円)
~5種類の天ぷら(チーズ、チーズ+α、サーモン+α、サーモン、チーズ+サーモン)が原則の天丼に、つけ塩、つけたれ、かけたれの3種類に、各店オリジナルの香の物、汁物、地元産のデザート。

 午後からは、天馬街道を越えて、明日の楽古岳取材登山の哲さんと待ち合わせる三石道の駅まで走った。