折り返し地点の木古内みそぎ浜~右の石碑は「佐女川神社の由来」が彫られている。
朝早く目が覚めたら、青空が広がっていた。きじひき高原ヒルクライムでもと思い、5時に家を出た。北斗市東前まで走って、夜はゲートが閉じられていることを思い出した。スマホで調べたら、ゲートが開くのは8:30である。それではあまりにも遅い。
急遽、木古内までのポタリングに転進・・・東前から千代田経由で上磯の国道228号へ出て、一路木古内を目指した。
往路は、遠回りをしたので43km。復路は、当別トラピストや葛登支灯台に寄って40.5km。所要時間6時間。
東前から千代田に抜ける農道から、田んぼと上磯市街地、その奥に当別丸山を眺める。
この時はまだ青空が広がっていた。早朝の内は涼しくて気持ちが良かった。
上磯の海岸へ出て、宗山橋から太平洋セメント上磯工場の2kmに渡って延びる積み出し用の海上桟橋を眺める。
「矢不来(やぎない)のボーズ」~これは正体不明の物体で、「函館要塞の目印」という説が圧倒的で、中には「遭難船の目印」という人もいる。昔はここに旗が掲げられていたという。
三ツ石集落の手前から当別丸山を眺める。左の奥の岬はサラキ岬。
咸臨丸の眠るサラキ岬公園~咸臨丸は1857年にオランダで造船された江戸幕府海軍の軍艦。幕府の船として初めて太平洋を往復した(艦長・勝海舟)ことから名を知られる。幕府の練習艦として用いられた後、戊辰戦争に参加するものの、軍艦としての機能は他艦に劣り、既に運送船の役割を担っていた咸臨丸は新政府軍によって拿捕される。明治政府に接収された後、開拓使の輸送船となった。
その輸送船として、1871年(明治4年)旧暦9月、片倉氏の旧臣401名を移住させる目的で北海道小樽へ向け出航したが、輸送途中、この木古内町泉沢沖で暴風雨により遭難し、サラキで破船、沈没する。
咸臨丸の錨~1984年(昭和59年)に、サラキ岬沖で発見された。
「木古内の坊」の石像~詳しくはここをクリック!
折り返し地点とした「みそぎ浜」~ここの浜で、毎年寒中みそぎが行われる。鳥居の中に函館山が見えるはずだが、ガスっていて見えなかった。
<復路>は、当別トラピストと葛登支灯台へ寄った。
当別トラピストへ
超絶品のトラピスト売店のソフトクリーム・・・トラピストに寄ったのはこれが目的。9時ちょうどの営業開始と同時に入店して、本日最初の客となった。380円に値上がりしていた。
スプーンのかわりに、トラピストのクッキーが付いている。バターの風味が利いているので、非常に濃厚で、自分的には日本一美味しいソフトクリームだと思っている。ワッフルも自家製でトラピストバターを使ってる。
初訪問の「葛登支(かっとし)灯台」~今まで車で走っていて、この登り口が分からなかったが、今日自転車で走ったおかげで偶然見つかった。
明治18年初点灯。北海道では4番目に古く、道南では最初に建設された灯台 。青森港を出港した船は葛登支岬を目指して北上し、この岬の手前で北東に進路を変えて函館港に入港する 。 レンズは日本で唯一となる、フランスのバルビエ・アンド・フェネストレ社製の第三等弧状不動十二面フレネルレンズである 。
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