今回、この「函館レトロ建築探訪」シリーズを掲載するにあたって、いろいろな目に付くレトロ建築物を見て歩いていたら、西部地区には「伝統的建造物」と「景観形成指定建築物」のプレートが設置されている建物が多かった。
その2つの違いを調べていたら、歴史的な建造物が数多く存在するいわゆる「西部地区」と言われる一帯は、「都市景観形成地域」として指定されている地域があり、その中でも、核心的な地区が「伝統的建造物群保存地区」として決定されていることが判明。
その中で「伝統的建造物」に指定されている建築物は「伝統的建造物群保存地区」に存在し、「景観形成指定建築物」に指定されている建築物は、その他の「都市景観形成地域」に存在することが分かった。(上の地図の青色の建物が「景観形成指定建築物」で、緑色の建物が「伝統的建造物」)
ちなみに、これまでアップしてきた、「その1・その2・その3」の建物はこの指定地区から外れている。
今回(その4)は、その「伝統的建造物群保存地区」の中のベイエリア周辺の「函館市伝統的建造物」に指定されている建物を取り上げることにした。(※ただし、自分がウォーキング途中に目に付いて撮影したものなので、漏れがあるかもしれない)
◎ベイエリアの中心的存在の「金森倉庫群」<明治42年(1909年)築>
函館観光を代表するランドマーク的な金森倉庫群・・・手前左から「BAYはこだて」、道路を挟んで「金森洋物館」、「函館ヒストリープラザ」、「金森ホール」。
1909(明治42)年建築、1988年から全面リニューアルし、ショッピングモール、ビアホール、イベントホールなどとして営業。
いずれも函館で輸入雑貨、時計や船具の販売を始めとし、新聞社や銀行などを幅広く手掛けた「金森」の倉庫として建てられたイギリス積みの煉瓦造り平屋建てである。「金森」の創業者は渡邊熊四郎で大分県生まれ。長崎で商いを始めたのち、函館に出てきたそうだ。1907(明治40)年に発生した大火で倉庫6棟を焼失し、不燃質の倉庫として再建されたのが、現在の建物。
◎はこだて明治館(旧函館郵便局)<明治44年(1911年)築>
昭和37年(1962年)まで函館郵便局として使用されていたものを再利用したショッピングモール&ミュージアム。
この建物は金森倉庫群と同じ明治40年8月の函館大火以降に建てられたもので、その中の代表的建築の一つといえる。この旧函館郵便局は函館の古建築再生活用のパイオニア的な建物でもある。
◎箱館高田屋嘉兵衛資料館(旧田中家昆布倉庫)<1号館(左)大正12年(1923年)築・2号館(右)明治36年(1903年)築>
切妻屋根を桟瓦葺とし,外壁を漆喰塗とするなど,和風の意匠を取り入れている建物で,海産物用倉庫を資料館として再活用している。左の1号館は鉄筋コンクリートなのかが平屋建て、右の古い方の2号館は石造平屋建てそのこと。
◎ザ・グラススタジオイン函館(旧海産商・宝興業倉庫)<明治43年(1910年)築>
明治の海産商の倉庫で、切妻屋根に桟瓦葺、開口部はアーチ型となっており,港町の風情を偲ばせる洋風の建築物である。昔は木工場として利用していたが、平成4年にガラス工房となっている。 煉瓦造平屋建て。
◎古稀庵(旧海産商・渡辺商店)<明治42年(1908年)築>
海産商・渡辺商店の建物として,典型的な洋風町家形式(和洋折衷住宅)のデザインを踏襲している。1階は竪繁格子をみせた和風の意匠、2階には、コーニスのデンティル、ブラケットの彫刻などを持った水準の高い意匠を展開している。現在は宿泊設備とレストランになっている。右側の建物は土蔵らしい。古稀庵の名前の由来は、ご主人が古稀の時に始めたことに因るとか・・・。
◎茶房旧茶屋亭(旧海産商・近藤商会店舗)<明治末期築>
海産商・近藤商会の店舗として建てられた典型的な函館の和洋折衷の町屋。2階が洋風で1階は和風の擬洋風。1階の赤い庇と2階の白い下見板貼りが明るいコントラストになっている。1階の窓にはステンドグラスがはめ込まれていて、和風とはいえ、ここもちょっと洋風を感じさせる。
一時は裏側にあるホテルの施設だったが、ホテルが廃業したため、現在は喫茶店になっている。
向かって左端には分厚い煉瓦造りのうだつ(防火袖、卯達)があり、現在は車庫兼通用門となっているようだ。ホテルのときは通用門として使われていたらしい。
◎和雑貨いろは(旧海産問屋・轟工業店舗兼住宅)<明治41年(1908)年築>
ザ・グラススタジオ・イン函館の横に建つ、明治末期の和洋折衷の店舗兼住宅。元は海産問屋の店舗として建てられたものだとか。一時はザ・グラススタジオ・イン函館の2号館だったことがあるが、今は和雑貨の店になっている。
左側に煉瓦のうだつ(卯建・防火袖)があるのが特徴。1階は簓子下見板張り、開口部に格子を持ち庇を配した和風、2階は南京下見板張り、縦長窓を等間隔に配置し、軒蛇腹を持った洋風で、妻壁は人造石の洗い出し仕上げとのこと。
◎ラコンチャ(旧深谷米穀店)<大正6年(1917年)築>
建築当初は米穀店であったが、現在はスペイン料理店として営業している 1階は、竪繁格子窓、簓子下見板張り仕上げで、2階は南京下見板張りに縦長窓、胴蛇腹、軒蛇腹、持ち送りを配する住居部分で、和洋折衷建物である。
◎Lサイズの店もりや(旧市水商会店舗)<明治42年(1909年)築>
もとは海運関連を取り扱う会社の店舗だったらしい。今は洋服店になっている。ただし、現在は営業をしている感じではなかった?1階は、竪繁格子窓、簓子下見板張り、2階は南京下見板張りに縦長窓、胴蛇腹、軒蛇腹、持ち送りを配する和洋折衷建物。
◎箱館カネサ商店 (旧 カネサ佐々木邸)<明治42年(1909年)築>
2019年7月1日にオープンした駄菓子屋。たこ焼き、焼きそば、たい焼きも扱っているようだ。2019年(平成29年)に外観が復原された建物で、1階は和風で堅繁格子の出窓、2階は洋風で縦長窓を等間隔に配している上下和洋折衷様式の建物。
こうして、このベイエリアの「指定伝統的建造物」を見ると、明治40年の大火直後に建てられて、そのまま残っている建物が多いことが分かる。
※函館特有の和洋折衷住宅についての解説は、下記が詳しい。
函館の街並みの「華」・和洋折衷住宅の魅力(函館市公式観光情報)
今や観光でしか生きる道のない函館ですが、これらの建造物は、すべて北洋漁業等で栄えた当時の遺産です。
幸いというか、この西部地区はどんどん過疎化が進み、近代的なビルに変われない地区なので、観光のために古い建物を残そうという動きになっています。
昔の札幌も駅裏の辺りには、結構古い建物が残っていましたが、今まではすっかり様変わりをしていますよね。
函館の古い建物大好きなのでこのシリーズ楽しみに拝見しています。
古稀庵は昔定宿として使っていました。
古希でこのお店を始めたご主人の料理と宿の雰囲気が最高でした。
多分ご主人が亡くなってだいぶ前から空き屋となっています。
以前は現在2階建てのロンドンバスが停まっているあたりに新館があり、そこが宿となっていました。新館は取り壊されてしまいました。
西部地区の再開発を手助けしているNPOが利用者を募集していましたがまだ決まっていない模様です。
古稀庵はご主人が古希で始めた・・・初めて知りました。追記しておきます。
今日、元町~弥生町~船見町方面へ写しに行ってきました。
このシリーズ、急がないで、少しづつアップして行こうと思っています。楽しんで下されば幸いです。
定年となり札幌で嘱託勤務です。
大町の電停近くの弁天寿司お勧めです。
ぜひ今度食べて下さい!
特上で1800円のリーズナブルで味は最高です。
先日久しいぶりに上○さんに遭遇。
お元気でした。
弁天寿司って、昔から有名でした。昔は谷地頭にもありました。
そのときに食べたことがあるだけです。
上○さんは、前の所から引っ越されたのですよね。元気で何よりです。奥さんを私が紹介したこともあり、書類に結婚保証人のはんこを押しています。