いよいよ万歳峠越えのラストウォーク。温泉効果もあり?9時間も爆睡。6:55のバスで湯の峰温泉から志古まで戻る。
7:30、国道の上の標識に導かれて、志古谷の林道へと進む。帰りのバス時刻まで3時間45分しかないので、ハイペースで進む。
入り口説明板によると、一遍上人は熊野権現のお告げにより悟りを開き、全国に時宗を布教する際、それまで上流階級の信仰だった熊野信仰を庶民の信仰に広げていったらしい。
その一遍上人の名合碑なるものが、この万歳峠越えの街道にあるらしいが、結局見落としたようだ。
持参したガイドブックでは、峠の手前までは舗装された林道歩きとのことであったが、「←志古 小雲取越え➡」の新しめの標識と、最近見つけられたらしい古道が4ヶ所ほどあった。
小雲取越えとは、中辺路の後半の呼び名である。万歳峠を越えると合流していて、自分も3年前にも歩いている。
痕跡ははっきりしているが、歩き込まれていないので、まだ歩きづらかった。
3ヶ所目の途中に、広い石段や石畳が敷かれているところがあった。設置されているはずの地蔵がなくなっていた。どこかのお寺にでも移設されたのであろう。
4ヶ所目の入口と右の林道。
最後の林道歩きの途中の標識。右に100m行けば桜地蔵や一遍上人の合名碑があるらしいが、時間が気になってパスしてしまった。
峠が近くなってくると急になり、石段や猪垣などか出てくる。
大急ぎで登ったので、5.7kmの登りを1時間10分で、標高417mの万歳(ばんぜ)峠に到着。ここも稜線の切り通しとなっていた。
この峠は、古い記録によると番西峠と呼ばれていたようだ。
25分ほど下っていくと、中辺路(小雲取越え)と合流する。ここからは、3年前にも歩いた道である。
中辺路は、本宮道へ入らずに、七里ヶ浜沿いの本街道をまっすぐ進み、新宮の熊野速玉大社とその先の熊野那智大社を回って熊野本宮大社へと向かう伊勢路である。
このような標識も設置されている。
松屋茶屋跡の標識と石段
この中辺路は、非常に人気の高い古道で、幅が広く歩き込まれているのと整備が行き届いているので、とても歩きやすい。歩く人が非常に多い。今日もわずか4kmほどの間に6人に出会った。その内2人は欧米系の人だった。
昨日の宿にも外国人の夫婦が泊まっていた。熊野古道や高野山は欧米人に人気が高い。
野良積みの石垣も見納め。
下っていくと、請川の集落と熊野川が見えてくる。右奥の備崎橋は、大峯奥駈道を縦走したときに渡ってきた懐かしい橋である。したがって、その先から熊野本宮大社までは3回目の歩きとなる。
市街地へ入っていくと、右手に大斎宮の大鳥居が見えてくる。最初の熊野本宮大社はここに創建されたが、熊野川の氾濫で流されてしまい、現在の小高い所に移設されている。
観光も含めると、5年間で5回目となる本宮大社の登り口に到着。
来年で創建2050年を迎えるらしい。
最後の石段登りが辛かった。
10:40、3時間10分で、14日間に渡る今回の歩き旅のゴール。
案内スタッフにシャッターを押してもらう。
これで、世界遺産に登録されている大峯奥駈道、熊野古道の中辺路と小辺路と伊勢路のすべて踏破したことになる。熊野古道紀伊路もあるが、これは世界遺産に認められていないのでパス。
もう、この熊野へ足を踏み入れることはないであろう。
11:15のバスで名古屋へ。さらに23:55の夜行バスで東京へ向かい、明日は成田からバニラ航空で帰函の予定。
今夜は、名古屋めしで完歩祝いの予定。
熊野古道伊勢路に入ってからの8日間の歩数計。
7:30、国道の上の標識に導かれて、志古谷の林道へと進む。帰りのバス時刻まで3時間45分しかないので、ハイペースで進む。
入り口説明板によると、一遍上人は熊野権現のお告げにより悟りを開き、全国に時宗を布教する際、それまで上流階級の信仰だった熊野信仰を庶民の信仰に広げていったらしい。
その一遍上人の名合碑なるものが、この万歳峠越えの街道にあるらしいが、結局見落としたようだ。
持参したガイドブックでは、峠の手前までは舗装された林道歩きとのことであったが、「←志古 小雲取越え➡」の新しめの標識と、最近見つけられたらしい古道が4ヶ所ほどあった。
小雲取越えとは、中辺路の後半の呼び名である。万歳峠を越えると合流していて、自分も3年前にも歩いている。
痕跡ははっきりしているが、歩き込まれていないので、まだ歩きづらかった。
3ヶ所目の途中に、広い石段や石畳が敷かれているところがあった。設置されているはずの地蔵がなくなっていた。どこかのお寺にでも移設されたのであろう。
4ヶ所目の入口と右の林道。
最後の林道歩きの途中の標識。右に100m行けば桜地蔵や一遍上人の合名碑があるらしいが、時間が気になってパスしてしまった。
峠が近くなってくると急になり、石段や猪垣などか出てくる。
大急ぎで登ったので、5.7kmの登りを1時間10分で、標高417mの万歳(ばんぜ)峠に到着。ここも稜線の切り通しとなっていた。
この峠は、古い記録によると番西峠と呼ばれていたようだ。
25分ほど下っていくと、中辺路(小雲取越え)と合流する。ここからは、3年前にも歩いた道である。
中辺路は、本宮道へ入らずに、七里ヶ浜沿いの本街道をまっすぐ進み、新宮の熊野速玉大社とその先の熊野那智大社を回って熊野本宮大社へと向かう伊勢路である。
このような標識も設置されている。
松屋茶屋跡の標識と石段
この中辺路は、非常に人気の高い古道で、幅が広く歩き込まれているのと整備が行き届いているので、とても歩きやすい。歩く人が非常に多い。今日もわずか4kmほどの間に6人に出会った。その内2人は欧米系の人だった。
昨日の宿にも外国人の夫婦が泊まっていた。熊野古道や高野山は欧米人に人気が高い。
野良積みの石垣も見納め。
下っていくと、請川の集落と熊野川が見えてくる。右奥の備崎橋は、大峯奥駈道を縦走したときに渡ってきた懐かしい橋である。したがって、その先から熊野本宮大社までは3回目の歩きとなる。
市街地へ入っていくと、右手に大斎宮の大鳥居が見えてくる。最初の熊野本宮大社はここに創建されたが、熊野川の氾濫で流されてしまい、現在の小高い所に移設されている。
観光も含めると、5年間で5回目となる本宮大社の登り口に到着。
来年で創建2050年を迎えるらしい。
最後の石段登りが辛かった。
10:40、3時間10分で、14日間に渡る今回の歩き旅のゴール。
案内スタッフにシャッターを押してもらう。
これで、世界遺産に登録されている大峯奥駈道、熊野古道の中辺路と小辺路と伊勢路のすべて踏破したことになる。熊野古道紀伊路もあるが、これは世界遺産に認められていないのでパス。
もう、この熊野へ足を踏み入れることはないであろう。
11:15のバスで名古屋へ。さらに23:55の夜行バスで東京へ向かい、明日は成田からバニラ航空で帰函の予定。
今夜は、名古屋めしで完歩祝いの予定。
熊野古道伊勢路に入ってからの8日間の歩数計。
美味しいビールで乾杯・・・ですね
武四郎バームも最高美味しかったですよ。幸せをいただきました。
北海道では触れることのできない歴史を実感できました。
明日から、また日常の生活に戻ります。
14日間一日も休まず歩き続ける73歳(?)なんてそうはいないのではないでしょうか?しかも一日の距離が半端ではないのですから…。
伊勢路の峠道を歩いているレポを読ませていただいたときに思い出したことがあります。私が熊野古道の中辺地を歩いた後、新宮市から伊勢市へ向かう列車に乗ったとき、あまりにもトンネルが多いものですから、思わず隣の方に「トンネルがものすごく多いですね」と語りかけました。すると、その方は中日新聞の記者の方で、「この辺りは谷合の集落が多くて、限界集落の問題が深刻なんです」とおっしゃっていました。
それくらい山坂が激しい伊勢路だったのだと思います。
掲載される写真も険しさが表現され、またその歴史的背景を説明するコメントもとても適切でした。
本当に、本当にご苦労さまでした。
名古屋めしはさぞかし美味しかったことでしょう。
国道を含めてトンネルが多いということは、昔はその部分はすべて峠越えだったということですね。
古道歩きは、家並みが続くことの多い街道歩きとは違う趣があります。
山中や峠越えなど、体力的にきついものがありますが、当時の旅人の苦労を実感できます。