昨日、前から観たいと思っていた高倉健主演の「八甲田山」の映画のレンタルDVDを、妻が借りてきてくれた。
この題材となった八甲田雪中行軍遭難事件は、1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練における最も多くの死傷者が発生した事故であるとともに、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故である。
それを新田次郎が1971年に「八甲田山死の彷徨」を小説として発表している。自分も当時すぐに買って読んだが、今回の映画より強烈な感動に襲われたことを覚えている。この映画は、それをもとに、1977に橋本プロダクション・東宝映画・シナノ企画の製作したものである。
ただし、新田次郎の原作は史実と違う脚色やフィクションの部分があり、この映画でもそのまま描かれている。たとえば、青森と弘前の両連隊の雪中行軍で八甲田で会う約束をしたことはない。またお互いに連絡しあったこともなく、たまたま偶然に3日違いで出発している。さらに、弘前の連隊と青森の連隊との競争意識の中で、編成などが後手に回った青森側が無理をしたことが原因の一つと設定されたが、史実では二つの連隊間で競争を行ったわけではない。
ちなみに、主演の高倉健は、遭難した青森歩兵5連隊ではなく、弘前から八甲田山を越えて青森まで一人の犠牲も出さずに雪中行軍を成功させた弘前31連隊の中隊長役だった。遭難した青森歩兵5連隊の中隊長は北大路欣也が演じている。
40年前の映画なので、CGやごまかしはなく、極寒の八甲田山中のロケなので、その凄惨さと苦労が伝わってくる。高倉健をして、のちに「俳優経験でもっとも辛い仕事だった」と言わしめている。吹雪の中の深い雪を貧弱な装備でラッセルしながら歩く姿に、自分まで歩いているような錯覚に陥って、観ているだけでも疲れてきた。
主演の高倉健をはじめ、すでに亡くなった大物俳優がたくさん出ているのも懐かしかった。
◎今年も愛媛からのお接待「伊予かんと甘平」
今年も、12年前の四国遍路でお世話になった愛媛県松山市の法起坊見習いさんからのお接待が届いた。
ちなみに、“お接待”とは、お遍路さんへ食べ物や飲み物をふるまったり、無料で宿や休憩所を提供さしたりする風習で、根底は「思いやりの心」であり、「大師様への功徳」でもある。
伊予かんは(右)12年間ずっと続いているが、聞きなれない甘平(かんぺい)(左)はここ数年新しく届くようになった新品種である。平べったい形で、薄い外皮の中にあまい果肉がギッシリ詰まって、種がほとんどなく、とても食べやすい。なかなか栽培が難しいらしく、価格も非常に高いようだ。
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