今日も、朝から雨が降り続き、最高気温も6℃までしか上がらず、39年ぶりという寒い1日だった。そんな中、恵山では、みぞれの降る中、道警と消防30人態勢で捜索を行ったそうだ。本当に頭が下がる・・・お疲れ様です!
今回は、在庫から、基坂と日和坂沿いの「伝統的建造物群保存地区」で指定されている「伝統的建造物」の紹介をしたい。
◎旧相馬家住宅(元町33-2)<明治41年(1908年)築>
元町公園の南隣の一角に建つ、明治40年(1907年)大火の翌年に建築された、明治末期の函館を代表する和風・洋風の建築意匠からなる歴史的建造物。(国指定重要文化財)
相馬家最後の代に増築された住居が、現在は内部も開放されており、贅を尽くした造りの部屋や調度品などが見られる。蔵を改築した「元町ギャラリー」は歴史回廊・歴史的美術館として活用され、アイヌ絵巻や江差屏風などの展示物も見学できる。
この豪邸を建てた相馬哲平は、1861(文久元)年に新潟に生まれ、後に箱館(函館)に渡って米穀商で財を築き、旧函館区公会堂の建設費5万8千円のうち、私財を投じて5万円を負担するなど、函館の発展に貢献している。
★公式ホームページ ※内部の詳しい様子などをどうぞ!
◎旧イギリス領事館(元町33-11)<大正2年(1913年)築>
元町公園から基坂を下った右手に建つ、白壁に瓦葺きの寄せ棟屋根の洋館。昭和9年(1934年)に閉鎖されるまでイギリス領事館だった建物。平成4年(1992年)の市制施行70周年を記念して復元され、現在は函館市が管理する開港記念館(現名称は函館市旧イギリス領事館)として一般公開されている。
海側に並ぶ5連の半円アーチ窓、青色の軒天井。白亜の壁から木造に見えるが、実は煉瓦造り。中庭に面する半円形ア-チを架けた吹き放しのコロネードなど、イングリッシュガーデンのある裏庭に面する縦長窓の青い窓額縁も印象的な外国公館らしいモダンな建物。設計は英国工務省上海工事局だが、施工は大村合名会社建築部。(函館市指定有形文化財)
★過去記事~「リニュアル~旧イギリス領事館」(2009年)※内部の様子をどうぞ!
★過去記事~「旧イギリス領事館のローズガーデンほか」(2019年)※見事なローズガーデンの様子をどうぞ!
◎伊賀家住宅(元町32-10)<昭和9年(1934年)築>
日和坂から1軒奥まったところに建つ住宅。竪繁格子付出窓、簓子下見板張り、漆喰塗りの小壁を配し、洒落た趣を感じさせる和風の建物である。
もともと、この右側に連なる1軒2棟の建物だったようだ。現在は、右側には繋がってはいるが、日和坂向きに新しく建て替えられたと思われる同じ雰囲気の和風の建物になっている。
◎本郷家住宅(元町32-10)<昭和3年(1928年)築>
日和坂沿いに横向きに建つ住宅。洋風っぽい雰囲気のお宅で、大火後に不燃質の木造2階建てとして建てられたもの。外観は質素なデザインだが、邸宅風の重厚さを感じさせる。
◎高橋病院天使寮(旧海員ホーム)(元町32-13)<昭和3年(1928年)築>
日和坂に面している。外壁は、木製下見板張りで、縦長窓を配し、妻部分に木組みを強調したハーフティンバーとなっており、どこか北欧風の匂いを漂わせる建物である。
もともとは、海員掖済会の宿泊所「海員ホーム」として建てられ、その後白百合学園の寮として使われたのち、高橋病院の寮になり、現在は、高橋病院系列の「通所リハビリテーション元町」として利用されている。
◎日下部家住宅(末広町20-1)<大正6年(1917年)築>
日和坂とバス通りの南西角に建つ和風の住宅建物。1階2階とも,外壁は簓子下見板張り、窓は戸袋がついた横長の出窓に、化粧垂木を持った庇がついている純和風の建築物である。現在も住居として利用されている。
意匠的に優れたものが随所に見られ、建物の構造面でも、現在では見受けられない技法が用いられているという。土蔵を包み込んだ外観は、地区を代表する建物の一つである。
◎箱館元町の宿・響場(きょうば)(旧住宅兼診療所)(末広町20-1) <明治42年(1909年)築>
バス通りに面して建つ建物。もともとは、函館区病院(現:函館市立病院)第7代院長・饗場守三が独立し住宅兼診療所として建設したのが始まり。診療用と自宅用の玄関が2つ備えられているのもその為。この辺りは明治期開業医が多く、俗に医者町とも呼ばれていたそうだ。現在は、「箱館元町の宿・饗場」として利用されている。
外観は開口部を含め改変されているが、1階2階の外壁は南京下見板張り仕上げで、胴蛇腹のデンディルや飾りパネル、持ち送りを持っており、往時のバラエティに富んだ洋風要素が見受けられる。
◎元町ガラス工房(生田ステンドグラス函館)(大町1-33)<明治42年(1909年)築>
基坂に面して建つガラス店。1階は和風、2階は洋風と和洋折衷様式の特徴を持った建物で、平成4年までは町家であったが、現在は地下にステンドグラスの工房をもち、1階はガラスショップになっている。
◎相馬株式会社函館本社(大町9-1)<大正2年(1913年)築>
市電通りと基坂の交差点の北西角に建つ大正初期のルネッサンス様式の洋館。函館を代表する実業家の一人で、函館区公会堂の建設資金の大半を寄付するなど篤志家でもあった相馬哲平の相馬合名会社事務所だった。現在も不動産賃貸を主業とする相馬株式会社の函館本社として使用されている。
建物は互いに接続された3つの建屋から成っていて、マンサード、寄棟、切妻の3つの形式の屋根が複雑に組み合わされています。市電通りに面しているルネッサンス様式の主屋の正面ファサードは単純な対象形ではなく、向って右側に少し突き出るような翼屋がある。
外壁はモス・グリーンの幅広の下見板貼り。ルネッサンス様式の主屋の屋根には、正面左側に円形、東西中央部には切妻屋根の神殿風のドーマー窓を置いて変化を持たせている。窓は1階が三角ペディメント、2階が櫛形ペディメントの庇が付いた窓。このように使い分けるのはルネッサンス様式の特徴の1つだそうだ。北側の建屋は切妻屋根の建屋で、1階中央のガラス部に格子が付けられた引き違い戸と、両脇に引き違いのガラス窓があり、こちらは、かつての作業場のような印象である。
旧相馬邸は、国指定重要文化財の申請過程
で、公式ホームページの通り「旧相馬家住宅」と変更し現在はこの名称で統一しております。
ご指摘の件、ありがとうございます。早速訂正しておきます。