たとえば、葡萄(大島真寿美 小学館)
美月は大手の化粧品会社を辞める。両親は長野で暮らしているので、やむなく知り合いの市子のところに転がり込む。コロナが流行しだして再就職もままならず、知り合いの起業家の辻に相談するうち、知り合いの香緒といっしょに山梨の古家を辻のために改装することになる。山梨には旧知の世武(あだ名はセブン)がいてワイン用の葡萄栽培をしていた・・・という話。
美月の両親は長野で(就学困難児等のための)グループホーム経営、市子はライター、市子の友人のまりは照明器具のプランナー、香緒は内装業者、と美月の周りは自営業者ばかりで、皆大成功しているわけでもないが、それなりに仕事を得て自己実現を果たしている。彼女がサラリーウーマンに耐え難くなってきたのは、そういう環境のせいだろうか。
サラリーマンの家庭に育ち、何十年も同じ会社にじっと勤めて来た私は、いくらコロナで就職先がなくても、「自営業をしよう」という発想にはならない(悲しいことに)。
若い人なんかは、もしかして本書を読むと、「よし、オレも独立するか」なんて何のツテがなくても思ってしまいそうなくらい、主人公の周りの人たちは楽しげに暮らしているように見えてしまい、そういうムードを楽しむのが本書の正しい読み方?なんだろうか?
大島さんの作品は「ピエタ」と文楽シリーズしか読んだことがなくて、いずれも緊密な構成のドラマだったけど、本書は、同じ人が書いたとは思えないくらい、うってかわって主人公が若者風?に独白する語り口だった。テーマ(世界と私??)は重めなんだけどね。
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