じっと見ると、朝青龍に似てます

2009年09月28日 | ふるさとの話
               (博物館の入口に立つ、貫録の騎馬像)

「資母小学校に配達できますか~」の電話に、『ハイハイ、承知しました』の返事です。
豊岡市はむちゃくちゃ広い、広すぎるのです。
但東町中山にある資母小学校までは車でたっぷり30分、なんぼ田舎道でスイスイと走っても遠すぎますよ、少しの商品かないません。

2階の職員室にICレコーダー1台の納品、『教育委員会からの御注文ですよ』と先生に手渡すと、「電気屋さんはどちらから?」、
『国府は、府中小学校の横の電気屋です』、「えらい遠くからご苦労様です」、『ハイ、アトム電器と申します。これアトムの特選品カタログ、ホヤホヤの10月号ですよ』と、チャッカリ宣伝です。

資母小学校のある豊岡市但東町中山は豊岡市の東のはずれ、山を越えると天の橋立に通じる丹後半島なのです。
小学校のほんの近くに、日本に唯一存在するものがあります。
実はこんな山奥に、モンゴルの博物館があるのです。
「日本・モンゴル民族博物館」と称して、立派な建物が街の中心に出現するのです。
建物の中には、実寸大のモンゴル草原に点在する住居、ゲルがあるのです。
館内には、モンゴルの暮らしと文化に関わる5000点もの資料が展示されているのです。
もしもモンゴル好き、モンゴルのファンであるなら堪らない展示品の数々、じっくり見ると時間を忘れます。

どうして但東町にモンゴルが?、不思議なことでありません。
但東町は昔機織(はたお)りの町、京都西陣の「ちりめん」の生産地だったのです。
当店が創業した頃は、この中山のお客さんの中には機織りの「ガッチャン、ガッチャン」の音の大きな家がありました。蚕(かいこ)さんからつくる絹(シルク)の町が但東町、同じシルクで栄えた丹後半島に通じる、シルクロードの町が但東町だったのです。
シルクロードに通じるモンゴルとの交流がきっかけ、平成8年11月にこの博物館が出来たわけ、それも日本に唯一ですから凄いです。一度は見る価値ありの博物館なのです。

前庭に立つチンギス・ハーンの騎馬像は、極彩色ですごい貫録、じっと見ていますと、昨日24回目の優勝を成し遂げた朝青龍に似ているではありませんか。
目の細いところ、ヒゲの様子、りりしい姿は朝青龍そっくり、
何年か前に来館した本人も、この像を見て内心ニヤリとしたことでしょう。
そんなこんなのモンゴル博物館を横目に見ながら、但東町のお客様へごあいさつの訪問なのです。