(煙が立ってましたので、いらっしゃると思って寄りました)
奥三谷はとても山奥です。
集落も八世帯の小です。住んでいらっしゃる方も高齢者ばかりの、それも一人暮らしかせいぜい二人暮しの世帯です。
一人暮らしのばあちゃんの、奥三谷のKさん宅を訪ねます。
『煙突から煙がモクモクと出てましたから、いらっしゃると思って寄りましたよ』と、玄関の戸をガタガタとさせて、カギを開けて出てきましたばあちゃんにあいさつします。
「あらあらアトムさんかえ、カギが掛かったままでしたか。すみません」と、ニコニコ笑顔で話します。
『ばあちゃん、地区の作業場にいつも書いてあるいい言葉、誰が書かれるのですか』、
「あれはね、区長さんが書かれます。市から来た案内から書き写しておられるのです」、
「煙ですか?、煙はね、今日は米麹(こめこうじ)を作るために、米を蒸しているのよ。そうそう、アトムさんとこ麹(こうじ)なんかある、ないでしょうね。出来ている麹を持って帰り、あげますよ」、
「あのね、麹はとてもいいものですよ。醤油と麹の中に、魚でも肉でも一日漬けるの、焼き魚にしてもそりゃあ美味しくなるよ、やってみて」、
『ありがとうございます。いただきます。早速魚を漬けてみます』と喜んで受け取りますね。
「それから甘酒、甘酒を熱くするから飲んでいって」、いつの間にかアツアツの甘酒を、お盆に乗せて目の前に出しますね。
煙突から立ち上がる煙を見まして、ビョ~~ンと時空を飛び越え妙な思いに駆られます。
第16代・仁徳天皇が、人家のかまどから炊煙が立ち上がっていないことに気づき、三年の間租税を免除したと云う話。「民のかまど」の話です。
仁徳天皇は民のことに気遣って、その間は天皇自身の倹約も、茅葺屋根の修繕もしないで努めたという、仁政の治世だったと、その称号も「仁徳(にんとく)」なのです。
もちろん、陵墓も日本最大の仁徳陵ですね。
ちょっと調べました。
日本書紀に出てくる頃の初代神武天皇にしても127歳と、第16代仁徳天皇は143歳と、誰も彼も100歳をはるかに超す御歳です。
不思議なことですね。
そもそも、神武天皇から10代あたりまでは神代の話のようなもので、存在そのものも定かでないような説もありますから仕方がありませんが、仁徳天皇の143歳には驚きますね。
今日は第125代・今上天皇の御誕生の日、80歳の傘寿(さんじゅ)のとてもめでたい日です。
国民皆でお祝いする、国民の祝日「天皇誕生日」の日です。
新聞を読みますと、第124代昭和天皇の87歳8ヶ月、第108代後水尾天皇の84歳2ヶ月、第57代陽成天皇の80歳9ヶ月についで、めでたい傘寿と伝えます。
素晴らしいことですね、125代も続くわが国の誇りであります天皇の系譜、「民のかまど」の143歳の仁徳天皇ではありませんが、今上天皇もいついつまでも、健康で長生きされることを願うばかりの一日ですね。
《煙り見て 天皇思う 変ですか》