(わが家の屋根に、スズメがきれいに並んで日向ぼっこです)
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わ~~、ものすごい数のスズメが停まって、チュンチュン・チュンと騒がしい
私の歳を聞かれた時、『昭和20年生まれです。え~っと、今年は昭和で云ったら88年かな、なので68になります』と云いますね。
平成25年も、今日を含めてあと3日となりました。
来年、平成26年1月8日を迎えると、平成も四半世紀を刻みます。満25年になりますね。
元号にまつわる話です。
明治の最後の日は明治45年7月30日です。大正の最初の日は大正元年7月30日です。
なので、7月30日って日は明治でもあり大正でもあります。ダブっています。
大正と昭和の場合も同じこと、大正の最後が大正15年12月25日、昭和の最初は昭和元年12月25日でやはりダブっています。
それは、もっとさかのぼって明治の前の慶応でも、元治でも、文久でも万延でも安政でも、必ず元号の引継ぎは一日ダブっていますホントです。
ところがどうでしょう、平成はそれまでとは違います。
昭和の最後と、平成の最初はダブっていません。
昭和天皇が崩御されたのが昭和64年1月7日です。そして元号が改元されて、平成とされたのは翌日の平成元年1月8日となっています。これまたホントです。
日本の最初の元号は大化です。今から1367年前の有名な大化の改新の時代です。
それから元号って幾つあったかといいますと、大化から数えて飛鳥時代に6つ、奈良時代に12、平安時代に88、鎌倉時代に48、南北朝時代に38、戦国時代に13、安土桃山時代に3つ、江戸時代に35、そして明治、大正、昭和と平成の全部で247もあります多いですね。
というのは、天皇一代で元号一つの時代は明治以降のたったの4回なのです。
それまでは、だいたい天皇一代のうちに何度も改元がなされています。
たとえば、明治天皇の前は孝明天皇です。孝明天皇20年足らずのうちに、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治の6つです。
江戸時代最後は慶応ですが、その4年間は明治天皇の世で、慶応4年9月8日が明治天皇即位の日になって、代は改まって明治元年9月8日を迎えます。
平成は間もなく四半世紀25年を迎えます。
昭和は64年、明治は45年、それに次いで南北朝の後小松天皇の応永が35年、同じく後村上天皇の正平が25年、奈良時代の桓武天皇の延暦が25年なので、平成の25年は歴史上4位タイと云うことになります。
とてもとても長いほうです。凄いことです慶祝ですね。
ところで、最初の “歳を聞かれた時、『昭和20年生まれです。え~っと、今年は昭和で云ったら88年かな、なので68になります』” のことです。
もし、平成10年生まれの人の場合は、歳はと聞かれても一瞬に25-10才で15歳ですと答えられますね。
元号をまたいでしまうと厄介です。
平成25年-昭和20年=?って計算はしずらいのです。
いまだに、平成を昭和に直すと今年は88年ってな具合に、計算してしまうのは私だけかな?、難しいですね。
そりゃあ、西暦年号で生まれた年と2013年と差し引きすればよろしいのですが、長いクセです昭和生まれは昭和88年なんて云ってしまいます。おかしいですね。
そうするとどうでしょうかね、江戸時代に人は西暦なんて全く知らないです。
天保は、天保元年12月10日から天保15年12月2日までの15年間です。
その後は、弘化が5年と、嘉永が7年と、安政が7年と、万延が2年と云うように小刻みに続いていきます。
西暦がない時ですよ、天保8年2月3日生まれの人が、万延2年2月3日は何歳の誕生日ですかと聞かれたら、計算しにくいでしょうな。
天保15年と弘化元年は同じ年です。弘化5年と嘉永元年は同じ年、嘉永7年と安政元年は同じ、安政7年と万延元年は同じ年と云うことを頭に入れて、計算ですからムチャクチャ難しいです大変でした。答えは23歳ですよ。
もっと難しいのは、日本の長寿企業の年数計算ですよ。
日本で3番目に古い企業と云われています、城崎温泉の「千年の湯古まん」です。
創業が、奈良時代の元正天皇の時代、元号で言いますと霊亀(れいき)3年です。
霊亀から延々と数えて、元号は平成まで241もあるのです。全く西暦のことが分からなかった江戸時代のある時期に、「城崎温泉・古まん旅館は、創業何年になるのですか?」と尋ねられたらどうしたのでしょうね、
どんな計算で記録していたのでしょうか。ちょっと不思議に感じます。
ちなみに「城崎温泉・千年の湯古まん」さんは、霊亀3年(717年)創業ですから、なんとなんと創業以来1297年も経っていますね凄いです。
平成25年をあと3日に控えて、元号の話を拾います。
《元号は 時代できごと よくわかる》