
名医のブランド「養父医者・長嶋的庵」を養育した湯浅元友の墓といわれる墓石
嬉(うれ)しさは ふるさとの話 ネタ探し 住職さんに 話聞くとき
お客さまNさんが言います。「アトムさんの毎月のクイズ、楽しませてもらっています」、
「ところで、クイズの作成も大変でしょう。ふるさとの話も書くの大変でしょう。調べて、考えて、まとめて書くの何日もかかるでしょ」と問われます。
『なかなか苦労しています。ふるさとの話は現地に出向いて取材して、
本を読んで調べて書き上げるのです』と答えます。
思いついたテーマのふるさとの出来事は、
分かる範囲で取材をします。
先日の 〝やぶ医者の語源は「養父医者」” という養父市のパンフレットを見てから、
7月号のふるさとの話は「やぶ医者の語源」にしようと決めて、いろいろ調べ始めました。
養父市のホームページから、長嶋的庵の父の出身地が但州養父であること、
長嶋的庵は、九鹿村で医師湯浅元友に養育されたことを知りました。

八鹿町九鹿に的庵の何かがないかと、ただそれだけで車を走らせました。
造り酒屋で聞こうか、それともお寺で聞こうかと立ち止まります。
立ち寄って聞いたお寺の住職さんが、バッチリ目当てのお方です。
「昨日16日の朝日新聞の但馬版 〝「天下一」養父の医者” の記事を読んで来られたのですか?」、
『いえ、朝日新聞は購読していません。記事は知りませんが偶然でしょ。ちょっと調べているのです』、
「寺のちょっと裏手に、的庵の子が建立した養父母の墓があるよ」、
「八鹿の公民館にある筈だよ。長嶋家の子孫にあたる永島加年男氏が書き残した 〝泥亀永島家の歴史” という書籍に、長嶋的庵のこともとても詳しく書いてあるよ」と優しく教えていただきました。

早速、公民館に出向きます。ありました。「泥亀永島家の歴史」という本がありました。
医者の道を進んだ長嶋的庵の家系とは違い、
新田開発などで素封家となった(長嶋)永島家の子孫の本です。
見つかりました。
公民館に出向いてゆっくり調べ、7月号のふるさとの話のネタを取材することが出来そうですね。