池田草庵の塾・青谿書院の門下生

2018年09月02日 | 但馬の人物
             出石町小坂小学校の運動場


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(3級)問題より

【85】幕末期の儒学者で「但馬聖人」と呼ばれた池田草庵
は、多くの但馬内外の子弟を教育しましたが、次のうち門下
生だったのは誰でしょうか。

(a)赤木正雄  (b)北垣国道  (c)斎藤隆夫  (d)太田垣士郎


 池田草庵は、京で塾を開いて儒学を教えていました。
地元八鹿に請われるまま、13年ぶりに帰り「立誠舎(りっ
せいしゃ)」で塾を開きます。

弘化4年(1847)34歳の時、故郷・宿南に念願の「青谿書
院(せいけいしょいん)」を開きます。
以来30余年の間、延べ700人に達する、但馬内外の子弟を
教育。幕末から明治にかけて、多くの優秀な人材を輩出しま
した。

青谿書院に学んだ一人に養父市能座出身の「北垣国道(きた
がきくにみち)」がいます。
北垣国道は天保12年(1841)幼少の頃より、池田草庵先生の
元で学び、青谿書院の塾頭にまでなった人物です。

文久3年の生野義挙に参加した後、因幡に逃れさらに戊辰戦
争で戦った後、明治新政府に仕えることになります。

明治14年(1881)京都府知事に就任、琵琶湖の京都疏水工事
や、在任中の数々の功績は現在でも最も優れた京都府知事であ
ったと言い伝えられています。

答えは、(b)の北垣国道です。

ちなみに、赤木正雄は「砂防の神様」、斎藤隆夫は「憲政の
神様」、太田垣士郎は「黒四ダムを完成」した社長で、それ
ぞれ立派な人物なのです。


『だしけぇ だから』

 昨日書いたね、「だら そうでしょ」って。
それと似た但馬弁で、「だしけぇ だしけ~」って言い方があ
るの。

「だら」よりもよく使われたかな。豊岡はもちろん日高なんか
でも、「~だしけぇ」って但馬弁はよく使われてたように思う
ね。

「だしけぇ」は、「だから」と言う但馬独特の方言なの。

「ケンちゃんの父ちゃんは日曜日早いの。消防の操法大会で朝
7時には神鍋に並んどらんといけんの。だしけぇ早よう風呂入
って寝らんとあかんの」って言ってたね。

「だしけぇ」は、日高町などでよく聞いた方言です。
「何々だから、どうする」って言う時に使います。

「こんどの但馬検定難しそうだわ。だしけ~もういっぺん参考
書よう読み直すわ」なんて使います。

お年寄りと地域によっては、「だしけ~」が「だしきゃ~」に
なることもあります。
それとも地域によっては「だけ~」って、「し」を抜くことも
あるようです。

「傘持ってけ言ったのに、雨に濡れたの。だけ~言っただら~
が、母ちゃんの言うことを聴かんとあかんがな」なんて使うと
ころもありますね。

「だしけぇ」は、とっても日高っぽい但馬弁なんです。