今日はお休みだー
3か月ぶりに髪切ろうと思う。
でも予約が3時なのでその前の時間をどうしようかな。
あ、ところで昨日はポルポト政権崩壊の日だったらしいです。というわけで、こないだ買ったDVDを観ることにしました。
1985年公開のイギリス映画「キリング・フィールド」
内容はうまく説明できないからいつもお世話になってるMovieWalkerから引用させていただく↓
戦火にさらされた70年代カンボジアを舞台に、アメリカ人ジャーナリストと現地人助手との友情、そして流血と恐怖の戦場をリアルに描く。製作は「炎のランナー」のデイヴィッド・パトナム、監督は新人のローランド・ジョフェ、脚本はブルース・ロビンソン、撮影はクリス・メンジス、音楽はマイク・オールドフィールド、編集はジム・クラークが担当。なお85年度アカデミー賞撮影賞、編集賞を受賞。出演はサム・ウォーターストン、ハイン・S・ニョール(85年度アカデミー賞助演男優賞受賞)、ジョン・マルコヴィッチ、ジュリアン・サンズなど。
1973年8月。ニューヨーク・タイムズの記者シドニー・シャンバーグ(サム・ウォーターストン)は、特派員としてカンボジアの首都プノンペンに来た。当時のカンボジアはアメリカを後楯にしたロン・ノル政権と、反米・救国を旗印に掲げた革命派勢力、クメール・ルージュとの闘いが表面化した時期でもあった。カンボジア人のディス・プラン(ハイン・S・ニョール)が、現地で彼の通訳・ガイドとして仕事を助けてくれることになった。翌74年に入って、革命派のプノンペン進攻は目前に迫った。外国人や政府関係者は、必死に国外へ出ようとかけずりまわり、プランの家族も、シャンバーグの手を借りて、無事にアメリカへ旅立った。同年4月、プノンペン解放、ロン・ノル政権はついに崩壊、新しくクメール・ルージュを率いるポル・ポト政権が誕生した。シャンバーグ、プラン、そしてアメリカ人キャメラマンのロックオフ(ジョン・マルコヴィッチ)、イギリス人記者のジョン・スウェイン(ジュリアン・サンズ)は、病院に取材に行くが、クメール・ルージュの兵士に逮捕される。プランは三人の命の恩人となったのである。四人は最後の避難所であるフランス大使館へと逃げ込むが、やがて、カンボジア人であるプランだけが、クメール・ルージュに引き立てられ、どこかへ連行されていった。数日後、シャンバークたちは無事、国外へ避難することができた--。ニューヨークに戻ったシャンバークは、プランの身を案じながらも、カンボジアの取材記事でピューリツッァー賞を受賞した。この栄誉はすべてプランのおかげだった。受賞式の日、ロックオフがシャンバーグを訪れ「あの賞が欲しくてプランを脱出させなかったんだな」となじるのだった。--その頃、プランは、過去の身分を隠し、クメール・ルージュの監視下で労働していた。町の住人たちは農村で強制労働させられ、子供が親をスパイするという惨状の中で、数え切れないほどの人々が殺された。やがて、辛くも脱走したプランは累々たる屍を踏み越えて、とある村にたどりつき、村の長の家でハウスボーイとして働くようになる。しかしその主人もクメール・ルージュに殺されたため、託された少年とともに村を脱出。途中、地雷で少年は死に、プランが死ぬ思いをしながら、タイの難民キャンプにたどりついたのは、79年も秋になったころだった。プラン生存の連絡を受けたシャンバーグは、タイの難民キャンプへ飛んだ。「許してくれ」とシャンバーグ。「許すことなどないよ」とプラン。抱き合う二人をカーラジオから流れるジョン・レノンの“イマジン”が優しくつつみ込んでいた。
というお話だった。すごく面白かった。こういう、戦争を扱った社会派映画は作ればいろいろ云われるけど作らないよりはましだろう。アメリカがアジアの国の内戦にちょっかい出してどうにもならなくなり散らかしたままアメリカに帰って、その代償は現地の人々が払い続けるという話だ。
そういえば中学生くらいの頃までカンボジアについてのニュースはけっこう流れていた(すでに内戦は終わって久しかったが)でもあまりよく知らないままだった。
そして大人になって2000年だったか、イトとアンコールワットを観にカンボジアに行ったときにガイドさんと夜カラオケに行って日本製のカラオケ機械があったので私たちは少々古いラインナップを歌い(仮面舞踏会とか、B’zとかリンドバーグの歌など)ガイドのリャトレイさんはカンボジアの歌を歌ってたが、歌い終わるたび「この歌手はポルポトに殺されました」と言ってて、無知な私はその時「へ?なんで歌手が殺されんの?」と思ってたけど、当時はインテリや文化人が特にわけもなく殺されていたのだ。メガネをかけてるだけで殺されたらしい。
この映画で主人公のシドニー・シャンバーグを演じたサム・ウォーターストン(右)と、その通訳のカンボジア人ディス・プラン役のハイン・S・ニョール。
このハイン・S・ニョールさんはカンボジア人で医者をしてたが、実際クメール・ルージュに捕まって、医者ということを隠し(インテリだとばれたら処刑されちゃうから)4年間強制労働と拷問に耐えたんだって。そしてその後タイに脱出しアメリカに移住して、役者の経験はないがこの映画に出演、そしてアカデミー助演男優賞をとる(でも最期はロスの自宅付近で強盗に射殺されちゃったんだって。それって、あんまりじゃない…)
確かにすごく良かったよ!クメール・ルージュに囚われていて脱出しようとするシーンが何度かあるが、本当に怖かった。メルセデスナンバー1の少年に再会するところは少々出来過ぎな気はしたが…
最後はタイの難民キャンプにまでのがれて、そこに駆けつけたシドニーと再会するのだ。そのときシドニーが降りてきた車のラジオから、ジョン・レノンのイマジンが流れていてそのままエンディングとなり、あざといほどに涙を誘うのであった。
もう一度、いや、何度でも観たい!事あるごとにDVDを引っぱり出して観ようと思います。
さて昼ごろに観終わったから、お昼ごはんを食べに出かけた。今年初バーガーは
UZUのアボカドチーズバーガーにしました。
なんかもう…美味いよね~パンがフカフカだ。
ノンビリしたいところだが…この後美容室の予約してるから大急ぎで錦糸町に戻り、髪切ってもらいました。3か月ぶりにすっきりしていい感じー
という1日でした。
3か月ぶりに髪切ろうと思う。
でも予約が3時なのでその前の時間をどうしようかな。
あ、ところで昨日はポルポト政権崩壊の日だったらしいです。というわけで、こないだ買ったDVDを観ることにしました。
1985年公開のイギリス映画「キリング・フィールド」
内容はうまく説明できないからいつもお世話になってるMovieWalkerから引用させていただく↓
戦火にさらされた70年代カンボジアを舞台に、アメリカ人ジャーナリストと現地人助手との友情、そして流血と恐怖の戦場をリアルに描く。製作は「炎のランナー」のデイヴィッド・パトナム、監督は新人のローランド・ジョフェ、脚本はブルース・ロビンソン、撮影はクリス・メンジス、音楽はマイク・オールドフィールド、編集はジム・クラークが担当。なお85年度アカデミー賞撮影賞、編集賞を受賞。出演はサム・ウォーターストン、ハイン・S・ニョール(85年度アカデミー賞助演男優賞受賞)、ジョン・マルコヴィッチ、ジュリアン・サンズなど。
1973年8月。ニューヨーク・タイムズの記者シドニー・シャンバーグ(サム・ウォーターストン)は、特派員としてカンボジアの首都プノンペンに来た。当時のカンボジアはアメリカを後楯にしたロン・ノル政権と、反米・救国を旗印に掲げた革命派勢力、クメール・ルージュとの闘いが表面化した時期でもあった。カンボジア人のディス・プラン(ハイン・S・ニョール)が、現地で彼の通訳・ガイドとして仕事を助けてくれることになった。翌74年に入って、革命派のプノンペン進攻は目前に迫った。外国人や政府関係者は、必死に国外へ出ようとかけずりまわり、プランの家族も、シャンバーグの手を借りて、無事にアメリカへ旅立った。同年4月、プノンペン解放、ロン・ノル政権はついに崩壊、新しくクメール・ルージュを率いるポル・ポト政権が誕生した。シャンバーグ、プラン、そしてアメリカ人キャメラマンのロックオフ(ジョン・マルコヴィッチ)、イギリス人記者のジョン・スウェイン(ジュリアン・サンズ)は、病院に取材に行くが、クメール・ルージュの兵士に逮捕される。プランは三人の命の恩人となったのである。四人は最後の避難所であるフランス大使館へと逃げ込むが、やがて、カンボジア人であるプランだけが、クメール・ルージュに引き立てられ、どこかへ連行されていった。数日後、シャンバークたちは無事、国外へ避難することができた--。ニューヨークに戻ったシャンバークは、プランの身を案じながらも、カンボジアの取材記事でピューリツッァー賞を受賞した。この栄誉はすべてプランのおかげだった。受賞式の日、ロックオフがシャンバーグを訪れ「あの賞が欲しくてプランを脱出させなかったんだな」となじるのだった。--その頃、プランは、過去の身分を隠し、クメール・ルージュの監視下で労働していた。町の住人たちは農村で強制労働させられ、子供が親をスパイするという惨状の中で、数え切れないほどの人々が殺された。やがて、辛くも脱走したプランは累々たる屍を踏み越えて、とある村にたどりつき、村の長の家でハウスボーイとして働くようになる。しかしその主人もクメール・ルージュに殺されたため、託された少年とともに村を脱出。途中、地雷で少年は死に、プランが死ぬ思いをしながら、タイの難民キャンプにたどりついたのは、79年も秋になったころだった。プラン生存の連絡を受けたシャンバーグは、タイの難民キャンプへ飛んだ。「許してくれ」とシャンバーグ。「許すことなどないよ」とプラン。抱き合う二人をカーラジオから流れるジョン・レノンの“イマジン”が優しくつつみ込んでいた。
というお話だった。すごく面白かった。こういう、戦争を扱った社会派映画は作ればいろいろ云われるけど作らないよりはましだろう。アメリカがアジアの国の内戦にちょっかい出してどうにもならなくなり散らかしたままアメリカに帰って、その代償は現地の人々が払い続けるという話だ。
そういえば中学生くらいの頃までカンボジアについてのニュースはけっこう流れていた(すでに内戦は終わって久しかったが)でもあまりよく知らないままだった。
そして大人になって2000年だったか、イトとアンコールワットを観にカンボジアに行ったときにガイドさんと夜カラオケに行って日本製のカラオケ機械があったので私たちは少々古いラインナップを歌い(仮面舞踏会とか、B’zとかリンドバーグの歌など)ガイドのリャトレイさんはカンボジアの歌を歌ってたが、歌い終わるたび「この歌手はポルポトに殺されました」と言ってて、無知な私はその時「へ?なんで歌手が殺されんの?」と思ってたけど、当時はインテリや文化人が特にわけもなく殺されていたのだ。メガネをかけてるだけで殺されたらしい。
この映画で主人公のシドニー・シャンバーグを演じたサム・ウォーターストン(右)と、その通訳のカンボジア人ディス・プラン役のハイン・S・ニョール。
このハイン・S・ニョールさんはカンボジア人で医者をしてたが、実際クメール・ルージュに捕まって、医者ということを隠し(インテリだとばれたら処刑されちゃうから)4年間強制労働と拷問に耐えたんだって。そしてその後タイに脱出しアメリカに移住して、役者の経験はないがこの映画に出演、そしてアカデミー助演男優賞をとる(でも最期はロスの自宅付近で強盗に射殺されちゃったんだって。それって、あんまりじゃない…)
確かにすごく良かったよ!クメール・ルージュに囚われていて脱出しようとするシーンが何度かあるが、本当に怖かった。メルセデスナンバー1の少年に再会するところは少々出来過ぎな気はしたが…
最後はタイの難民キャンプにまでのがれて、そこに駆けつけたシドニーと再会するのだ。そのときシドニーが降りてきた車のラジオから、ジョン・レノンのイマジンが流れていてそのままエンディングとなり、あざといほどに涙を誘うのであった。
もう一度、いや、何度でも観たい!事あるごとにDVDを引っぱり出して観ようと思います。
さて昼ごろに観終わったから、お昼ごはんを食べに出かけた。今年初バーガーは
UZUのアボカドチーズバーガーにしました。
なんかもう…美味いよね~パンがフカフカだ。
ノンビリしたいところだが…この後美容室の予約してるから大急ぎで錦糸町に戻り、髪切ってもらいました。3か月ぶりにすっきりしていい感じー
という1日でした。
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